mixiユーザー(id:1846031)

2017年06月06日11:16

1221 view

映画『たたら侍』は生き残れるか

橋爪遼容疑者が出演の映画「たたら侍」上映終了へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=4606570

 もしかしたらと案じていたことが現実になった。
 映画は、事件が起きる前から観たいと思ってはいた。けれども「地味で貧乏臭い時代劇なんて観たくない」という妻の、一応は真っ当な意見に圧されて、他の映画を観るのを優先させていた。一人で観に行くとしても、そんなにロングランしそうな題材の映画ではないので、急がないといけないなと考えていた矢先の上映中止である。
 公開が5月20日で、今週で3週目。興行収入ランキングでは、初週に10位に入っただけだから、281館スタートという大規模公開である点を鑑みると、それほどヒットしているとは言い難い。それでもモントリオール世界映画祭で、最優秀芸術賞(最優秀作品賞とは別)を受賞するなど、作品的な評価は高く、本来なら、あと1週間は上映する予定の映画館が多かったはずだ。「便乗打ち切り」なんて訳の分からないことをほざいているバカが湧いて出ているが、続映した方が集客があったに決まっている。製作委員会の上映中止の決断は苦渋の選択であったと思う。

 しかし、ここで事件を起こした橋爪遼容疑者に対して、お前のせいで映画が云々と責め立てたくなる心情は理解できるが、こういう事件が起きるたびに、製作中止だの公開中止だの、そういう事態に発展していくことは、いい加減で回避できないものかと思う。
 なぜ上映中止なんだよと最初に憤ったのがいつだったかはもう覚えてはいないが、『REX 恐竜物語』(1993)が松竹映画歴代1位の大ヒットを飛ばしながら、監督の角川春樹のコカイン密輸事件で上映中止に追い込まれたころから、こうした不祥事即上映中止は「既定路線」になってしまったように思う。そのたびに、「映画と、スタッフやキャストの私的な不祥事は無関係じゃないか」と不満の声が上がるが、結局はそういう批判は無視されて終わってしまう。
 けれども疑問でならないのは、「犯罪者が出ている映画など、上映してはならない」という意見があるとしても、それは本当に映画ファンの声なのだろうかということだ。昨今は「世間の目」というものが厳しくて、不倫をしたら起用が見送られるような事態も発生しているが、少なくとも不倫は褒められたこっちゃないが犯罪ではない。それでも責め立てられてしまうのなら、もう映画に起用できる俳優やら監督やらミュージシャンは、根絶してしまうのではないだろうか。
 「あんなやつを映画に出すな」と声高に叫んでいる連中が、実際に映画を観に行っているとは思い難い。試しに、映画ファンや、そうでない一般の人々に対して、「映画の出演者やスタッフが不祥事を起こした場合、その映画を上映中止にすべきだと思いますか」というアンケートを取ってみたらどうだろうか。少なくとも、私が知り合ってきた映画好きで、上映中止を支持した人はただの一人もいなかったのだが。

 仮に、『たたら侍』を、何事もなかったかのように続映していたとしても、製作委員会に抗議が殺到するとか、そういう事態にはならなかったと思う。けれども、製作委員会にはおそらく一般企業も参加して出資していると思われるから、何よりも企業イメージに傷が付くことを恐れたのだろう。小さな批判であっても、それを無視したとなれば、横暴な企業とのレッテル貼りをしたがる卑劣な人間が必ず現れるものなのだ。悪質なクレームを拒絶できる気丈な姿勢を通せる企業は、そう多くはない。
 だからこそ、もうこんな正義派の仮面を被ったただのクレーマーに屈するような事態は終わりにするように、世間の風潮そのものを変えていかなければならないと思うのだ。これ、立派な表現の自由の侵害で、大衆による言論弾圧の一例じゃないかと思うのだが。
 もちろん、上映中止は製作委員会の「自主規制」ではある。けれども、そこまで追い込む「無言の圧力」が常にこの社会に蔓延していて、それを看過してきた経緯が現実としてあること、それが引いては、表現の自由を保障することがいかに重要であるかをわれわれの意識から排除する方向に進んでしまっていることになっているのではないかと危惧しているのである。

 性的に誇張されたイラストが問題になって、ポスターが差し替えられたりするのと、問題は同根である。誰かが「これは気に入らない」と言い出したら、それが「正義」であると僭称されて、いつのまにか誰かの表現がこの世から消されていく。そんな事態がこれまでにどれだけ起きてきたことか。
 共謀罪反対を、表現の自由の侵害となることを根拠として唱える人は多いが、そういうあんたらが、これまで問題になってきた表現の自由が侵害されてきた事件の数々を、看過し肯定してきたんじゃないのかと、その認識の甘さに嫌気が差すことがある。あんたらは、全国の青少年健全育成条例に反対して、廃案に持ち込むとかしたことはあるのかよと。
 全ては繋がっている。正義派が正義だと思っているだけの何の根拠もない「偽善」のせいで、「表現の自由」という人間の尊厳を保障した権利が侵されているのである。

 『たたら侍』の製作委員会は、上映中止で全てが終了するとまでは言っていない。
 HPで「今後も皆様に映画『たたら侍』をお届けできる環境を整えるべく、引き続き検討してまいります」と、まだ何らかの「リベンジ」があることを示唆している。橋爪遼容疑者の出演シーンはそう多くはない模様であるから、カットするなり代役を使って再編集するなりの修正版を作ることが可能なのだろう。それから再上映、DVD、Blu-rayの発売も検討できるのだろうと思う。
 そんな面倒臭いことをしなくても、劇場公開版のままで発売したって構わないと思うのだが、作品が完全にお蔵入りして幻の映画になってしまうよりはなんぼかマシではある。『たたら侍』のスタッフ、キャストのみなさんが、今回の件で意気消沈するのでなく、自作に誇りを持ち続けられるような形で作品が残り続けるようにしていくのが、製作委員会の取るべき道であり義務であるだろう。



0 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年06月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930