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2017年06月06日08:17

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自殺が残すもの

■藤田ニコル、いじめ自殺した中3女子の加害者を心配 「ふざけるな!」と非難殺到
(しらべぇ - 06月05日 17:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=4606085


 藤田二コルさんはいろんなことを深く考えて話したのではないのかもしれないけど、自殺後に残された状況に自分なりに目を向けて考えたんだと思う。

 この視点は大切なものだと思う。

 つぶやきなどを見ていても自殺を罪だという人はほとんどいない。

 いじめによる、過労による、貧困による、虐待による、、、様々な自殺。

 自殺が後に残すものについて考えたらそれがどれほどの罪になるのか、みんなそれぞれ社会に生きる人間の一人なんだとしたらそのことにもっともっと目を向けて自殺を語るべきではないかと思う。サンデージャポンは見ていたけどやっぱり自殺者は罪人だという出演者はいなかった。多くの人がどんな場面でも自殺者は被害者だと思い込んでいることが多い。

 たくさんの人数で寄ってたかって一人の人間をいじめてその存在を貶める、いじめ、というものは卑怯な行為でありいじめる側の大勢が加害者なのは当然。いじめの状況の中において対象になっている一人の人は被害者なのも当然。
 そのことと、自殺、と言うものは因果関係としてのつながりはあるけれども、人間の罪、という部分でははっきりと区別するべきものだろうと常々思っている。

 いじめは罪、そして、自殺は自殺でこれも罪。大勢で一人の人をいじめる卑怯な行為は罪、そして、自分を殺すことで人生を諦めて放棄することで困難な問題を解決することはまた全く違う罪。

 自殺者は死ぬのではなく苦しい状況の中に居て生きて何かをするべきだった。それをしないで人生から逃げ出したことで自分は楽になれたとしても自殺者に関係していた人間たちはそのあとどうなるのか。親の一生はどうなるのか、いじめた人たちの一生はどうなるのか、いじめに気が付いていながら何もできずにいた友達の一生はどうなるのか、先生たちは一生何を思うのか、自分の自殺が後に残すものを一体誰がどうしたらいいというのか。自殺で何が良くなったのか。死ぬのではなく生きて何をすればよかったのか。

 自殺というのは罪なんだという認識は経験の浅い思慮の浅い子供にはなかなかわからないことだと思う。しかしもっともっと社会の大人の中で広く一般論として自殺が罪だということがはっきりと認識されていれば自殺というものはさげすむべき卑怯な逃亡に他ならないという位置づけで社会の重罪の一つとして強盗や強姦、暴力や殺人と同等の扱いを受ける罪深き存在になるのではないか。
 
 日本の社会にはその認識はほぼ見られない。

 ほとんどの人々が自殺を罪だと感じていない。下手すれば人生における問題解決の最終手段として容認してさえいる。それもただなんとなく。そして自殺をする本人も同じように自殺を罪だと思っていない。そうして安易にある意味自然に自殺を選択してしまう。位置づけとしては、悲劇の果て。それが、今の日本という社会のただなんとなくある自殺への認識だろう。だから、藤田ニコルさんのような視点にふざけるなという感想が普通に芽生える。

 いじめの卑劣さには気が付いているけれども自殺の罪深さには気が付いていないことの表れではないのか。 
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