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2017年06月05日21:22

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朝鮮汚物掃除令!

1910年の日韓併合後、朝鮮総督府から地方へ最初に派遣された日本人の役人が、朝鮮人があまりに糞尿となれ合う様子を見て思考が停止し、総督府に指示を仰いだところ、「そんな馬鹿なことがあるか!」と一喝されてしまったという。実際に目にしなければ信じがたいほど、朝鮮半島は想像を絶する汚物にまみれていた。国民は字も書けない者が大多数で、天然資源があるわけでもなく、あるのは糞尿まみれの土地だけという国を、誰が植民地にするか?併合と植民地は違う。植民地という言葉を使用する者がいたら、その人は無知である!韓国人が「李氏朝鮮時代は豊かだった。その全てを日本が奪った!」と言ったら、「植民地とは搾取する対象だが、日本は逆に大金を投じて汚い韓国人の糞まで掃除してやった。そんな植民地がいったいどこにあるのか!」と言い返してやろう!

一進会は、李氏朝鮮時代の朝鮮の宮廷における権力闘争に幻滅し、外国の力を借りてでも韓国の近代化を目指した人々が設立した、大韓帝国最大の政治団体である。一進会は、日清戦争、日露戦争に勝利した日本に注目して接近し、日韓併合実現のために活動し、日韓併合を強力に推し進め、1910年8月22日の純宋皇帝の御前会議で韓国は正式に日韓併合を決定し、李完用総理大臣により「韓国併合ニ関スル条約」の調印が行なわれ、8月29日公布実施された。糞尿処理は、日韓併合時代を通して京城府をも苦しめた問題だった。京城府とは日韓併合時代の行政区域で、現在のソウル市。当時も首都であったが、首都さえ糞尿まみれであった。伊藤博文だって日韓併合を嫌がっていたのに、一進会は余計なことをしてくれたものだ。

ソウル歴史編纂院が「ソウルと歴史」第93号に収録した研究論文↓
当時、京城府の最大の業務は「糞尿の処理」だった。京城府の経常支出のうち、81%を占めていた。1910年代を通して、糞尿の処理費用は経常支出の半分以上を占め続けた。現在で言えば、ソウル市の最大の予算が「糞尿くみ取り費」になったようなものだ。その後、別の項目が大幅に増額されたことで処理費の割合は10%台まで低下した。しかし処理費は、水道費、事務費と並んで支出の上位3項目に入るほど、財政のかなりの部分を占めた。京城府は衛生事業を拡大するため、1935年から、糞尿回収に手数料を導入し、1936年には市の清掃義務を定めた「朝鮮汚物掃除令」が公布された。

回収された糞尿は、光化門外の新堂里と麻浦の処分場に集められ、肥料メーカーや農場、個別の農家などに販売された。しかし全般的に、肥料としての糞尿の需要は日本の大都市ほど高くはなく、処分場の糞尿滞積は常に問題となっていた。化学肥料の導入、コレラ、寄生虫など衛生問題のため、後期になると肥料としての価値は下落した。糞尿処理は、植民地時代を通して京城府を苦しめた問題だった。(引用ここまで。ソウル歴史編纂院によるものなので、併合ではなく植民地という言葉が使用されている。)

全てを平等に慈しみ差別しないという「一視同仁」を実現するため、日本は未開の朝鮮半島に莫大な投資を行った。

正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現ブログの「語られざる改善」より↓
https://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/24174431.html?__ysp=5L215ZCI55u05b6M44CB5pyd6a6u44Gu6Yec5bGx5riv44Gr5LiK6Zm444GX44Gf44KJ44CB6YGT44KJ44GX44GE6YGT44GM44Gq44GP

今お話したように、統治時代のことについては戦後誇張されているウソがいっぱいあるわけですが、実際には「一視同仁」を実現するために、朝鮮総督府は本当によくやったと思います。例えば、併合直後に朝鮮に渡った私の大叔父の話によると、釜山港に上陸したら道らしい道がないことに驚いたそうです。なかには、道の真ん中に家が建っているところもあった。なぜかと言ったら、とにかく千三百年間支那の属国でしたから、道路を作ったら侵略されるということで、道らしい道がなかったのだそうです。

それから、家にトイレもなかったから、臭いもすごかったすごかったそうです。朝鮮人は部屋の中で用を足し、その大小便を朝、窓から外へ捨てるから、もう臭くてプンプンしていた。伊藤博文が仁川で上陸してソウルの王宮まで行くのに、臭くてとてもかなわんということを書いてますけれども、当時の朝鮮の人に言わせるとそれがいいと言うんだ。異民族が侵入してこないためにもこれがいいんだと。そういう非衛生的な状態が蔓延していたから、コレラ、チフスがすぐ出る。それに、病院がないから人がばたばた倒れて、その辺にごろごろしていた。大叔父はそのような話をしていました。日本人はそういうところに行って、街路をきれいに整備した。そのお陰で朝鮮は三十六年間で近代都市に生まれ変わったんです。また、病院をどんどん作って衛生思想を普及した結果、コレラ、チフスといった伝染病が根絶され、餓死者が一人も出なくなった。餓死者というのは、栄養失調だけでなくて病気もありますからね。この功績はいくら強調してもしすぎることはないと思います。そういう朝鮮総督府の善政は、朝鮮の民衆が一番よく知っていたはずなんですよ。(引用ここまで)

以下の著書により、当時の朝鮮がどれだけ不衛生であったか、理解できる。

「政治史」第77巻、豚犬的生活五より細井肇著「漢城の風雲と名士」より↓
「韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(人糞の比喩)が場所も構わずにあちらこちらに咲き乱れいて、足の踏み場もなく潔癖な人は一目その不潔さと臭気の酷さに驚くのである。
(中略)
現に、この国(韓国)の中央都会である京城(ソウル)のような、「韓国の帝都」と言われる都市でさえ至る所に人糞や牛馬糞を見ないことはなく、辺りに漂う恐ろしいほどの臭気は人の鼻を襲い目を顰めない人はいない。さらに京城市内(ソウル市内)を流れている川には、そこに隣接する各家々から排せつされる糞尿が混じり、川の水は黄色に染まり、ドロドロとなっているなど目も当てられない光景であるが、韓国人はその水を洗濯に使っている。全く持ってとんでもない話である。毎年夏期になると京城(ソウル)では伝染病が流行し、その伝染病にかかる患者の殆どが韓国人であり、大流行時には何千人もの患者を出すことも珍しくはない…」

荒川五郎の著書「最近朝鮮事情」1906年 清水書店より↓
「五、六人以上朝鮮人がいるうちには必ず一、二人は痘痕(あばた=天然痘が治った後、顔などに残る窪みのこと)の者がある。これは衛生の思想の無い明らかな証拠で、天然痘が流行しても種痘をしてこれを予防するなどの考えも無ければ、またその道も開けていない。だから今どき日本の内地には痘痕面(あばたづら)の人はメッタに見られないけれども、朝鮮では至る所にこれを見ることができる。しかし今では種痘も漸次広まりつつあるそうである。朝鮮は概して飲料水がよくない上に、朝鮮人の無頓着なることは、雨が降って河川が赤濁っておっても、これを濾(こ)して用いるなどの考えは、更に無い。そこで赤痢じゃの、腸チフスなどの病気がとかく発生しやすい」
(中略)
「朝鮮人の不潔ときたら随分ヒドイ。 てんで清潔とか衛生とかいう考えはないから、いかに不潔な家でも、いかに不潔な所でも一向平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が混じって居っても、さらに頓着せずにこれを飲む。 実に味噌も糞も朝鮮人には一緒である。といえば朝鮮に行かない人には、極端の言いようのように思われるかも知れないが、事実その通りで、一例をあげれば、家を造るに、壁土の中に馬糞などを混ぜて喜んでこれを塗る。その訳は馬糞を混ぜると壁が堅くなって泥が落ちにくいというている。

さらに驚くべく信じ難い程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなるというて居る。 また小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効じゃというてこれを用い、また強壮剤じゃというて無病の者でも飲んでいる。 いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、大便を食べさすということも聞いている。 なんと驚かしいことではないか。 塵や芥(ごみ)がばらけておろうが、物が腐って臭かろうが、食物に蝿などがたかって汚しても、更になんとも思わないで、年中風呂に入るの、湯をつかうのということは無い」

「朝鮮における司法制度の近代化の足跡」友邦協会編より元京城控訴院判事山口真昌氏の1908年6月の証言↓
「道路は非常に狭く、しかも糞尿は至るところ道ばたに落ちているという有様でした。
井戸水は混濁していて、風呂に入れば茶色の湯で、かえって身体が汚れるような感じで、飲料水は石油の空き缶一杯で何銭(当時のお金の単位)で買ってきて使用すると言う状態で(要するに飲料水は買わなければならなかったと言うこと)、電灯は今だ一般の家庭には普及しておらず、私たちが当時借家としていた家にはその設備(電灯)が無いためランプを使用しておりましたが、冬になると寒気が激しく、石油が凍って段々と光りが薄暗くなり、仕事が出来ないほどでありました」

英国人イザベラ・バードの著書「朝鮮紀行」1898年より↓
「釜山で朝鮮が私に与えた第一印象は、さほどいいものではなかった。道は狭く不潔で、家屋は低くて見栄えがしなかった。日本のように人目を引く商店や、古い寺などもない。四方から悪臭が漂い、戸外にはごみが積もり、長い毛をだらりと垂らした犬が集まってきては食べ物をあさっている。あちこちに乾上った下水道があるが、そのべとべとした底ではいろんな汚物が腐りかけている。そしてその中で髪の毛の長い子供たちが遊んでいる。
朝鮮の海辺の村落を通り抜け、車夫らは道がより広く比較的きれいな、日本風の市街地へ向かった…」

イザベラ・バードが見たソウル
「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。 礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。

ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。蓋のない広い水路を黒くよどんだ水がかつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。ソウルには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない。結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない」

「南山の中腹に日本公使館があるが、木造で白塗りの建物としてはあまり感心できない。その麓に日本人居留地があり、約五千人の日本人が小さな天地をつくっている。料理店もあれば、劇場もある。朝鮮人町と反対に清潔でよく整って気持ちがよい」(引用ここまで)

エリザベス・バードは、ソウルは「世界一不潔な都市」とまで言った。

ところが、現在、発売されている英語版のイザベラ・バードの朝鮮紀行(Korea and Her Neighbors)は二種類あり、韓国延世大学から出版された韓国版では、上記の事実は隠蔽され、「当時のソウルは清潔で人々は とても快適かつ豊かに暮らしている」と、ソウルは近代化されていて東洋一きれいな都市と書かれ、本の紹介欄では、そんなきれいな都市を日本がどんどん破壊していったと書かれているとのこと。NYタイムズからも、内容が本物と違う偽物のコピーが出ているとのことだが、どれも実物を見たことがないので、真偽不明である(これに関しては、「愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)」参照↓
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080827/copipe

実際には、朝鮮半島の人糞汚染を裏付ける科学的な証拠が出ている。2012年10月10日、ソウル大学医科大学人類学古病理研究室シン・ドンフン教授チームは「景福宮の塀、光化門広場の世宗大王像の下、市庁舎付近、宗廟広場などソウルの主要な地点の朝鮮時代の地層で回虫、鞭虫などの寄生虫の卵を発見した」と発表。韓国メディアは、「朝鮮時代の人々の胃に寄生虫、衝撃」「朝鮮時代、漢陽通りは糞尿天国」などと題し、世宗路につながるソウルの中心地は朝鮮時代、臭いに悩まされ、通りでは汚物を踏んでしまう汚れた街であり、衛生状態も深刻だったと伝えた。朝鮮王朝実録などの古文献に漢陽の汚染状態が記録されたりしていたが、土から抽出した寄生虫の卵など、これらを実証した研究が国内の考古学界に報告されるのは今回が初めてとのこと。

研究チームは、地層から肝臓ジストマ、回虫などの卵を発見。寄生虫の卵は、主に人糞から排出された後、野菜などの食べ物に混ざって再び人の口に入る方式で感染するという点から、この地域に人糞が散在していた可能性を見せる部分だ。実際の景福宮の前で抽出した土壌からは、1グラムあたり最大165個の卵が確認され、残りのサンプルでも平均35個の卵が検出されたという調査結果を公表。シン教授は「当時、人糞による土の汚染度がかなりひどかったという事実を示す結果となった。現在に置き換えた場合、寄生虫の卵がこれほどたくさん出てくる地域は、衛生施設が劣悪な発展途上国の大都市だけ」と説明した。

朝鮮には伝統的に「トンスル」という人糞酒があり、嘗糞(しょうふん)という習慣がある。人糞を治療用として食べた記録もある。

2010年08月20日 中央日報より↓
「人糞を治療用として食べた記録も見られる。 『東医宝鑑』は、自ずと死んだ鳥や獣の肉を食べて中毒になった時、人糞汁を食べさせればよいと書いている。毒キノコ中毒になった時、人糞を一升食べさせるという記録もある。むちにひどく打たれて重い病気にかかった人に人糞を食べさせる秘方もあった。 昔の歌歌いがのどを通すために人糞を濾した糞水を飲んだというのはよく知られている話だ。最近ではパク・ドンジン、イム・バンウルなどの国楽人もそうだという。

それでも現実で人糞は最も汚いものの代名詞であり、不名誉の象徴だ。 このため人に人糞をかける行為は憂憤吐露と叱咤の方便でもあった。 万海・韓竜雲が監房で怖気づく惰弱な民族代表に人糞の洗礼を浴びせたのもそのためだ。 受ける側の立場では屈辱の極致だ。 1978年に労組解体のために動員された暴力団が、東一紡織の女工たちに人糞をぶっかけ、食わせたりまでした事件は、反人間的で野蛮的な行為そのものだった。

このため人糞が武器にも使われたというのは驚くことではない。 朝鮮民兵の武器だった糞砲と金汁がその例だ。 糞砲は器にためておいた糞尿を竹の筒に入れて城の下の敵に噴射した。 金汁は人糞を濾して1年ほど腐らせたもので、毒性が非常に強く臭いが強烈だったという。

にらまれたという理由で知的障害がある女子高生をトイレに連れて行き、暴行を加え、人糞を食べさせた10代の少女2人が先日拘束された。 猟奇的で恐ろしい行動にぞっとする。 もしかすると、その子たちは自分がこれほどになるまで放置した社会と大人に向かっても人糞を浴びせたかったのではないか省みなければならない。金南中論説委員」(引用ここまで)

韓国が人糞大好きな証↓
「嘗糞(しょうふん)」とは、人間の糞を舐めて、その味が苦ければその人物の体調は良くなっており、甘ければ体調が悪化していると判断すること。

「嘗糞憂心」は、父親が病気になったので帰郷すると医者に、糞を嘗めて見ないと状態が解らないと言われ、その味が甘かったので憂いたと言う故事。 こうした風習は朝鮮時代まで続き、日韓併合後に禁止された。

「嘗糞遊戯」は嘗糞が娯楽化し、人の糞を舐めてその味で誰の糞であるか当てる遊び。

嘗糞は、「お世辞の言葉」としても使われ、お世辞の度が過ぎる輩の事を「嘗糞之徒」と言う。

「人中黄」は、冬期に竹筒に人糞と甘草を交ぜ地中に埋め、夏期に取り出し乾燥させて粉末にしたもの。

朝鮮王の中宗は、解熱剤として人糞を水で溶いたものを飲んでいたという。(東亜日報 2005年8月22日)

20世紀に入っても人間の大便を民間医術に使用する例があり、「最近朝鮮事情」には重病人に大便を食わせる例が載せられている。
・栄養不良の際には、十二・三歳の童の小便を服する
・内臓病には犬の糞水を1日二三回服用する、または農家にて永年使用せし小便溜の桶を煎じて飲ませる(排泄物に神秘性を感じる風潮の影響)
・高熱の場合には、解熱剤として野人乾水(大便を水で溶いた物)を飲用する(李氏朝鮮時代・中宗)
・梅毒の場合には、竹筒に焼酒(焼酎)を入れ、注ぎ口を蝋で塞ぎ、便壺の中で半年間漬け込む。便壺から取り出し竹筒をよく洗い、中の酒を飲用に用いる。半年以上の服用が理想的。
・肌荒れには、小便を肌に塗り込む、特に小児の小便を重用する
・精力強化のためには、カイコの糞を食べる
・早漏の対策には、馬糞を食べる(馬の精力にあやかった呪術的意味合いが濃い)

ホンタクとは、ギンガエイの人糞漬けの料理のこと。

韓国は、1988年から家畜屎尿や下水汚泥や産業廃棄物などを海へそのまま投棄している。韓国政府による家畜糞尿や下水汚泥や産業廃棄物などの海洋投棄放置により、ノロウイルスや重金属汚染などが深刻化しており、日本にも甚大な被害を及ぼしているのである。「糞尿、下水汚泥、生ゴミ排水、畜産排水など様々な廃棄物」がコンテナに詰まれて海洋投棄され、工業用水にも使えないほど汚染されている。

韓国海洋研究院が調査した結果、15トントラックで157万台分のゴミが海底に沈み海中を漂っている。鉛、水銀、カドミウム、ヒ素など人体や生態系に影響する有害金属が大量に含まれている。重金属は奇形の原因になる。韓国の海洋専門家によると、「今すぐ廃棄物の海洋投棄を中止しても、元の状態に戻るには100年はかかる」とのこと。

韓国政府は2007年、赤カニ漁を汚染のため禁止した。韓国海苔は、日本の板海苔の等級で比較すれば全体的に下級品であり、発色が悪く木目が荒い。韓国は最近まで、海苔の養殖場に人糞を撒いていたので、白いものが混じっていればトイレットペーパーかもしれない。 海苔の「あかぐされ病」の殺菌のため、本来禁止されているはずの硫酸や塩酸が使用されており、それらしきポリ容器が大量に日本海側に漂着している。韓国海苔は賞味期限が切れると、ものすごい薬品の味がして、味付けに何を使っているのか疑わしい。(時事ニュースより)

山東省共産党委員会は、五輪ツーリング会場で突如発生した得体の知れない物を、海苔として韓国へ輸出することに決定した。 韓国の下水汚泥の70%以上が海洋投棄されている。なお日本は海洋投棄を全面的に禁止している。(朝鮮日報より)
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