mixiユーザー(id:21969907)

2017年06月01日01:30

289 view

日本の国は今、回復不能なほどに朝鮮民族に蝕まれている その1

日本の国は今、回復不能なほどに朝鮮民族に蝕まれている : 石川久遠の「日本人なら知っておきたい真実」より転載

http://the-soliloquy-of-ishikawa-quon.blog.jp/archives/1066247759.html?_f=sl


《現代の日本人は、悪しき『東京裁判史観』に塗れた、「偽りの贖罪意識」を植え付ける内容の「戦後教育」しか受けていないから、日本と韓国の関係性を正しく理解できなくされてしまっている。日本政府(自民党政権)がこの悪しき戦後教育を改める兆しはない。我が大和民族の国家「日本」と、朝鮮民族の分断国家である「韓国・北朝鮮」は、何の共通点もない国である。勿論、ついこの間まで日本政府が韓国に対して真顔で言っていた「価値観を共有する国」であった事など歴史上一度足りともない。当時は分からなかったが、「日韓併合」中も、日本人と朝鮮人は全く別の生き物と言っても良いほど懸け離れた価値観・人生観を持っていた》



戦後の日本人は韓国という反日国家に不用意に接近し過ぎた余り、忌まわしき朝鮮民族の本質を見失なっている。敗戦後、間も無く始まった、事実上、米国一国による6年8箇月に及ぶ「洗脳統治」と、彼等が凡ゆる法を犯して押し付けて行った「亡国憲法」にしがみついてきた余り、日本人は次第に「大和民族としての気高き精神性」という人類史的に稀有な資質を失ないつつある。米国は大東亜戦争開戦前に企てた通りに、日本を二度と白人に逆らわない腑抜けた国にしてしまった。現代の日本では、米国が悪意を持って埋め込んで行った腐った種が開花したかのように、国家の枢要な部分を韓国朝鮮系の帰化人や在日たちに支配されてしまっている。



大和民族は、敗戦後72年の歳月をかけて着実に朝鮮民族に蝕まれてきた。近年、「日本の韓国化」が著しいという実態に気づいている日本人がどれだけ居るだろうか? 日本の最高学府の中でも取り分け一流と言われる大学の大学院の「憲法学者」が「亡国憲法」について、在日にほぼ支配されているテレビ局の在日キャスターの質問に答えて、神妙な面持ちで自らの護憲思想を開陳する姿は、日本を愛する者としては見るに耐えない。また、彼等、優秀な筈の日本人が賛成し推進する女系天皇を容認したら、「万世一系の歴史」を失ない、日本は日本では無くなってしまうだろう。半世紀以上の歳月をかけて歴代自民党政権が、恐らく意図せず、単なる怠惰や臆病や利権への欲得によるで有ろう不作為で蝕んできた、この日本は、何れ「つぎはぎだらけの亡国憲法」を押し戴き、本来の資質を失なった事実上の大和民族ではなくなってしまった日本人が住む、本来の主人なき国家に成り果てるのだろう。



そんな暗澹たる気持ちに苛まれながらも、一人でも多くの日本国民に、米国の悪辣さと朝鮮民族の鬼畜さと劣等性と卑劣さ故に、この日本が危機の淵に追い詰められている実態を知って貰いたい一心でこのBlogを書いている。



大和民族と朝鮮民族、そしてアングロサクソンなどの白人たちとの違いを推し量る材料としては、「奴隷制度や階級差別」を「悪しきもの」として自国の文化に定着させるのを拒んだか否かである。余り知られていないが、奴隷制度は古代の日本にも短期間ではあるが存在した。併し、古代の日本人は「声無き心の声」に従って、奴隷制度は悪しきものであると悟り、排除した。以来、日本人は一度も奴隷制度を持たなかったし、階級差別による虐待の歴史も経験していない。併し、朝鮮民族である在日たちを悪意を持った米国に仕込まれると、短期間のうちにいとも簡単に、朝鮮民族系の帰化人や在日たちに国の中枢を明け渡しつつある始末。これは敗戦後の日本を預かった歴代自民党政権の取り返しのつかぬ迂闊である。



李氏朝鮮の歴史を観ると、奴隷制度や階級差別が厳然と存在し、下層民を苦しめ抜いた。王族を頂点として、一番上に両班があって、その下に一般人である中人、その下に常民(小作人)、その下に賤民(奴婢・白丁)がいた。賤民は明らかに奴隷であり、常人にも人権はなかった。両班の息子 朴泰赫が書いた「醜い韓国人」(光文社)という本には、小作人の素行が生意気だという理由だけで、両班に打ちのめされ、足を折られたりして一生の不具者にされてしまうような、常民・賤民に対する壮絶な虐めが記されている。

 

李朝の身分制度の人口比は、両班・中人が約60%。常民・賤民が約40%。下層階級の比率が非常に高く、奴隷階級が40%に及ぶ国家など世界広しと雖(いえど)も李朝しか存在しない。金日成・金正日・金正恩と三代続く独裁政権下、多くの国民が飢餓に苦しんでいると言われる今の北朝鮮でも、最下層民の比率は、矢張り40%と見られる。社会主義国家に偽装したところで、身分制度を含め、中身は李氏朝鮮時代のままである。自由主義国家と見做されている韓国も、実態は財閥系の資産家たちを頂点に、その財閥企業に勤める高所得者階級、彼等の優雅な生活とは縁遠い下層民に分けられる。韓国には、所得による「身分差別」に加え、「地域差別」も厳然と存在する。国内の差別から逃れる為に、韓国は世界一の移民供給国家となっている。



日本の敗戦時に米国が日本を占領統治をしようがしまいが、在日朝鮮人たちの内の「被差別民」は、差別が待ち構えている母国には決して帰ろうとはしなかっただろう。そうした在日たちが帰国事業にも応じずに不当に日本に居座ったのである。ロサンゼルスに行くと沢山の朝鮮人がいて、コリアンタウンを形成している。彼等に出身地を聞くと、異口同音に「ソウル」と答えるが、実際は全羅道や済州島あたりの出身者である。彼等、全羅道や済州島の出身者は、母国では手酷く差別され人生に未来はない。それを恥じて「ソウル出身」と嘘をつく。嘗て、自民党の幹事長を勤めて権勢を欲しいままにしていたが、今ではすっかり落ちぶれてしまった小沢一郎氏も済州島出身者で年に一度の済州島への墓参りを欠かさないと聞く。被差別民である朝鮮人たちは先ず日本に来て、運がいいとそこから米国やカナダなどの欧米先進国に渡って行く。国を捨てたくなるほどの凄まじい階級差別があるからだ。



朝鮮民族の国家には、「奴隷制度」というものが常態として存在し、それに加えて様々な「差別」が存在する。韓国は、支那の真似をして韓国独立記念館を造ったが、そこでは日韓併合中に日本人が為したという朝鮮人拷問の様子が再現されている。例えば「ボウダ」という拷問は、足を結わえて足と足の間に棒を入れて抉(こじ)るというものだ。それで足を骨折させたりしたという。「残酷な日本人」がやったという紹介文がついているが、そんな拷問道具や方法など日本には存在しなかったし知りもしない。同じものが両班記念館にも、「両班が小作人を折檻した道具」として保存してある。朝鮮人にはこういう間抜けたところがあり、彼等は直ぐバレる嘘をつく。「醜い韓国人」を読まなくとも、朝鮮ではそういう虐待が行なわれていたという事が誰にでも分かる。



李朝では女性差別も甚だしかった。日本が1910年に朝鮮人の懇願を受け容れて大韓帝国を併合して驚いた事は、先ず人口動態を調べようとしたら、全く統計がない事だった。戸籍すらない。然も、女性には「名」もない事が分かった。「姓」はあるが、個々の名前がない。そこで日本が名前を付けさせ、戸籍を作った。それほど朝鮮人女性というのは差別されていた。李朝の文献を見ても、「閔妃」などの妃の名は出てくるが、下層階級の女性の名は一切出てこない。朝鮮総督府が戸籍をつくってから、「芳子」とか「君子」とか、日本式の「子」のつく名前が急増した。彼女たちは自ら望んで「創氏改名」をした訳だ。



また、日本の統治が始まる前の朝鮮人は染色技術を知らなかたったから、日本女性の和服姿を初めて目にして、目を輝かせた。それまで虐げられていた朝鮮人女性たちはこぞって和服を着たという。数世紀もの間、白い韓服しか身に着けていない事から、彼等は「白い民族」と呼ばれていた。今の韓国や北朝鮮の女性たちが、原色を多用した悪趣味なチマチョゴリを好むのは、色彩感が伝統的に養われてこなかったからだろう。



福田徳三は、李朝は日本より1,000年遅れていたとしているが、その計算だと李氏朝鮮の発展段階は日本の平安時代に相当する。福田徳三は経済学者だから、飽くまでも経済的観点からの意見だろう。1,000年前の日本といえば、紫式部や清少納言という女性作家・歌人が活躍して、独自の文化を成熟させていた平安時代である。女性差別が激しく、文学などの芸術の発展も全く見られなかった李氏朝鮮の遅れは文化面では1,000年どころの遅れではない。女性文学が11世紀に成立していた日本は西欧諸国よりも500年は先駆けていた。江戸時代には自然発生的に寺子屋制度も発展するが、寺子屋の先生の3分の1は女性だった。教育の普及に加え、有職の女性が既にそれだけ存在した事は世界の奇跡と言っていいほどである。



朝鮮民族を語る上で欠かせないのが、「言葉の貧しさ」である。これも日本とは大きく異なる。「華夷秩序」に組み込まれていた朝鮮の唯一の文化といえば「中華の真似ごと」であった。漢字・漢語を入れて、それを大事にし過ぎた余り、朝鮮由来の言語を殆んど失なってしまった。この朝鮮のケースは世界でも珍しいと言える。例えばフィリピンはスペインに占領されてスペイン語を強要され、次に米国に占領されて英語を教えられても、自分たちの言葉であるタガログ語は捨てなかった。ベトナムもフランスの統治を受けたがベトナム語を捨てなかったし、インドネシアは350年間もオランダに支配されながらも多数の現地語を護り通し、その後の3年間の日本統治中に国語を一本化された。



朝鮮民族は、支那という隣の国に文化的侵食を受けるや、自ら進んで言語まで放棄してしまった。筑波大学の吉田教授が一生懸命に朝鮮古語を研究されているが、現在までに僅か180語しか確認されていない。文化は言葉がないと育まれない。朝鮮半島には文化が全く残っていないから、今の韓国は他国の文化を剽窃して自国起源と言い張るような真似をする。彼等は自分たちの先祖がどんな名前をつけていたのかも全く分からない有様なのだ。今の朝鮮人の名前は「支那風の名前」であって、1,000年前に彼等は自ら「創氏改名」していた訳だ。



15世紀になって、李氏朝鮮の4代目国王 世宗が諺文(ハングル)をつくったとされる。漢字のみでは庶民に教育が普及しないので、大陸の覇者であったモンゴルが残していったパクパ(パスパ)文字を真似たと言われている。併し、漢字・漢語を権威として使っていた支配階級である両班が、女子供の卑しい文字だと抵抗して、ハングルは普及の努力もされず、忘れ去られた。それを1876年の日朝修好条規締結の為に帯同した日本の学者が発見して、研究し、体系化して朝鮮人に教育した。



併し、1910年に大韓帝国皇帝純宗の懇願に応じて「韓国併合」を天皇陛下が承認された時には、またもハングルは埋もれ、忘れ去らていた。日朝修好条規から僅か34年後の事である。そこで福沢諭吉が門下生の井上角五郎を朝鮮に派遣して、ハングル普及に尽力させた。そして韓国併合後は、朝鮮総督府が精力的に小学校を建設しながら「普通学校用諺文綴字法」(1912年)という正書法をつくってハングルを普及させていった。



韓国人は、よく「日本人は我々から言葉までも奪った」などというが、ハングルは日本人が発見し、体系化させ、無学な庶民層に教育を普及させる為に、両班の私塾が数校しかなかった朝鮮に何全校もの学校を建てながら、大変な努力の末に定着させたのである。韓国人が語る歴史は「正反対」に理解するのが正しい。併し、ハングルの基礎となっている支那の言葉も元々語彙不足だった為、支那は近代社会の概念に対応できず、「民主主義」や「共和主義」や「社会」「株式会社」などといった西洋近代文明の新しい概念を理解するのに欠かせない言葉を日本から輸入している。況してや支那の漢字を基礎にした朝鮮の文化に於いては、更に語彙が足りない。韓国人が短気で、カッとなり易いのは語彙不足による、「意思が伝わらないもどかしさ」が根底にあるという言語学者もいる。


その2へ続く
8 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する