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2017年05月27日00:59

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国益擁護に必要なら?!

■新たなPKO派遣先模索=「南スーダンの知見生かす」―稲田防衛相
(時事通信社 - 05月26日 11:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4590507

〔「藝林」S55.3「昭和初年の山東出兵における問題点」井星英氏(日本文化大教授)〕
(在留邦人虐殺事件)
「「居留民十二名の虐殺」は火に油をそそいだ,いはば副次的なものであつた.」媚中史家は…「その十二名が日ごろ中国人から嫌はれてゐたアヘン密輸入などの従事者であつたと記し,その典拠を戦史部史料としてゐる.よつて,それと思はれる資料をたしかめて見ると,「虐殺ノ原因ニ就キテハ未ダ明ナラザルモ平素ニ於ケル言動穏当ヲ欠キ近隣ノモノヨリ悪マレアリタルモノアリシガ如ク」とあり,またもひとつの資料には被害者名と被害状況を表記し,備考として「前記土産物商トアルハ済南ニ於テ産スル物品販売営業者ニシテ兼ネテ薬種商ヲ営ミ居ルモノナリ」と記してあるが,土産物商は十二名中の六名であり,それはアヘン密輸入者だとは書いてない.かりに密輸入者であつたとしても,惨殺されてよい理屈はない」
「まづ第一に,一九二七年春,北伐軍が長江北岸に達し,戦局の影響が京津方面にも波及するきざしを見せたとき,この方面の治安維持問題に関して列強ことに英国が大きな関心を寄せ,同年四月から五月にかけて日本政府に対しくりかへし共同出兵,北支駐屯軍増加の提議を行つたが,日本政府はこれに応じなかつた」
「それは田中首相の胸中に,蒋介石は武漢共産派の一掃をその前提条件としてをり,したがつて張宗昌軍の決定的な潰走でもないかぎり一挙に北京に至るとは考へられない,といふ見とほしが,次第に明瞭になり,また他方,張作霖は適当の時期に奉天に帰還するであらうし,たとへ帰還を拒否するとしても勧告によつて帰奉させうる,との見とおしがあつたからだと思はれる」(昭和3年5月20日電訓.駐支公使,上海総領事宛)
「田中首相には,二つの選択肢があつた.もし南軍の北進計画が田中首相の「見通し」どほりに運ぶならば,北伐を妨げ不祥事を招く可能性のある出兵は行ふべきでない.逆に北進計画が「見通し」どほりでなく,すなはち南軍が直線的に済南・京津地方に進撃するならば,戦乱の渦中に置かれる在留邦人に危害の及ぶ場合が予想され,出兵せざるをえない.「見通し」どほりか,さうでないか,田中首相は確固たる保証が得られず,結局,南京事件のごとき不祥事発生の予防を優先させた」
「しかも,第三次出兵は」(中略)「「済南ノ情勢悪化」して戦闘拡大し「現在ノ派遣軍ニテハ居留民保護ニ十分ナラザルノ虞アルヲ以テ」行はれたのであつた」

よく近代史の文献で満州軍閥,張作霖が“爆殺”された列車の写真があるが,車両の下部は無傷で天蓋が吹き飛ばされているのがわかる.
「田母神塾」-これが誇りある日本の教科書だ-(双葉社)
「この事件の犯人は,中国に駐留していた関東軍だと歴史教科書では教えられています.本当でしょうか.近年明らかになったイギリス情報部の資料によれば,そうとは言い切れないようです」
「当時,イギリス情報部は事件について調査し,その報告によると,犯人はソ連ではないかというのです.当時の日本政府は,事件は関東軍が起こしたものと思い込んで混乱していました.イギリスは日本政府の動きを踏まえて調査を続行し,その結果,やはり真犯人はソ連であると結論づけ,事件はコミンテルンの仕業だとイギリス本国に報告しました」
「冷戦崩壊に伴い,ソ連の資料も出てきています.ソ連の調査によれば,張作霖が殺された列車の天井には穴が開いていたそうです.爆薬は線路側に仕掛けられていたはずですから,天井に穴が開いているのに床に穴が開いていないというのは妙です」
「それに常識で考えて,高速で走っている列車の特定の車両をピンポイントで爆発させるなどという芸当が可能でしょうか.ゴルゴ13でもなければとても無理だと思います」
「張作霖が何両目の車両のどのあたりに乗っているのか.そうした情報を握ったうえで,その車両をドンと爆発させる.車両が1両ズレただけでも,確実に殺すことはできません.どう考えてみても,爆殺事件を関東軍が遂行したとは信じがたいのです」
田母神氏とは立場が違うが,日本文化大学教授で山岡貞二郎のペンネームで「支那事変・その秘められた史実」(原書房)等の著書がある井星英氏は「藝林」昭和57年3月号の「張作霖爆殺事件の真相」で「一九二五年(大正十四年)九月十七日,ウラジホ発ハルピン行列車が翌日早朝ボグラニチナヤ(綏芬河)に着いた時,満州税関吏によって大量の爆薬が発見された.ソ聯側はこれを曖昧に片づけようとしたが,しかし爆薬の携行を命じたのはイワノフであり,種々の状況から考へて,その使途は張作霖暗殺とする説が最も有力であった」と記述している.
張作霖はソ聯とも対立を深め,その満州への革命工作の封じ込めを図る.イワノフとは満州を東西に縦断するロシア権益の鉄道監理局長だ.1926年9月24日にも爆薬を携行したソ連工作員が逮捕されており状況証拠はある.

〔「張作霖爆殺事件の真相」井星英・日本文化大学教授「藝林」S57.12〕
「河本大佐は,次のごとく語る」
{平野記録}
「さて,久し振りに満洲に来て見ると,今更の如く一驚した.張作霖が威を張る一方では,排日が到るところに行はれ,全満に蔓延っている.日本人の居住,商租などの既得権すら,有名無実に等しい」
「日清,日露の役で将兵の血をもつて購はれた満洲が,今や奉天軍閥の許に一切を蹂躙されんとしてゐるのであつた」
「然るに,その張作霖の周囲に,軍事顧問の名で恬然として俯瞰してゐるばかりか,『みんな,日本人が悪いのだ』とさへ放言して憚らない.そして唯,張作霖の意を迎へるに専らである」
「そこで自分は,旅順にじつとして居れず,変装して全満各地の状況を偵察することとし,チチハル,満洲里,東寧,ポクラニチナヤ等,北満を南北にわたつて具さに見た.東寧あたりでは,街路で邦人が鞭打たれるのを目撃し,チチハルでは,日本の娘子群が満人から極端な侮辱を受けてゐるのを視るなど」「切歯扼腕せざるをえなかつた」
「日本の軍事顧問や外交官が『日本人が悪い』といふに相当するものが,いつたい何処にあつたのか」
「いづれも,奉天軍閥が意識的,計画的に邦人を圧迫せんとしてゐる意図は,瞭然たるものがあつたのである」
「つづいて河本大佐の慨嘆は,張作霖による満鉄包囲計画,英米資本の導入,日本の経済開発妨害,郭松齢事件に関する忘恩的態度等に及ぶのであるが,しかしそれらはかならずしも河本大佐ひとりのそれにとどまらず,当時の日本人一般の批判として」「東方会議に反映されたのであつた」
{関東軍高級参謀補佐,川越中将の手記}
「-着任後まもなく参謀室で河本大佐と二人きりの時,私は『満蒙の日支懸案はいくつ位ありますか』と尋ねたら,大佐は
『二百七十三件あるよ.総てが日本との条約を無視して,張作霖が勝手に一方的に振舞つて実行してゐるのだ』」
{昭和3年4月4日磯谷大佐宛私信}
「満洲の現状は支那側益々横暴,実情に直面すると黙過し難きもの多し.而して其の原因は日本軍閥が余りに彼等を増長せしめた慊なきにあらず」
「此程,鉄道問題で少しやりかけて見たが,政府は内争に餘力なく,つまらぬ経済的報復手段」(張は長春-ハルピン市間の通信阻止)
{森記録}
「済南事件直後で,排日の風潮をそそる有様で,満洲における排日空気が一層悪化した」排日運動増長で済南事件の二の舞を怖れたのである」

〔国際連盟「リットン報告書」〕
「満州における日本の行動および方針を決定せしものは,経済的考慮よりはむしろ日本の安全に対する重大なる懸念なるべし」
〔小林よしのり氏の反論!(WASCISM Vol.29)〕
「秦氏が挙げた論点の一つに,張作霖列車爆破事件がある.田母神氏の「最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている」という記述を批判し,通説どおり関東軍の河本大作大佐の仕業で99%間違いないと断言したのである」
「だが,たとえこの件で秦氏が正しくとも,田母神論文全体には大して影響はない.「張作霖殺害犯は誰か」というのは,枝葉末節の論点でしかないからである.
それとも秦氏は,「張作霖は河本大作が殺した」と証明されたら,日本は侵略国家だった」という結論に達すると主張するのだろうか?河本大作が張作霖を殺害したとしても,それはその後の満州事変と同様,正当防衛の範疇に入るとわしは考える」
「満州には,日露戦争で国際法上合法的に得た権益に基づいて日本人が居留し,それを守るために関東軍が駐留した.日本は馬賊出身の張作霖を援助して満州の支配者に立て,満州の安定と権益確保を図った.後に皇帝溥儀を立てたのと似たような構図である.しかし張作霖は満州の支配者だけでは満足せず,北京を拠点にして中国全土の支配者となる野望を持ち,日本の言うことを聞かなくなったばかりか,公然と反日政策を採り始め,在留邦人が危険にさらされるようになってしまった.さらに,張作霖が日本の制止を無視して蒋介石軍と戦って敗れ,逃げ戻って来るに至り,このまま敗残軍を満州に入れては大混乱が起き,治安の維持が危うくなるという状況下で,事件が起こされた…というのが事件の概略である.正式な作戦行動ではない「暴走」だという非難はあろうが,決してこの行為は「侵略」ではない」
「秦氏は他にも,田母神氏が蘆溝橋事件や上海事変,ハル・ノートに関してコミンテルン陰謀説を採っていることを批判しているが,これも同じく枝葉末節の論点である.仕掛けたのがコミンテルンではなかったとしても,日本軍は支那事変が全面戦争状態になるまで常に受身で,攻撃を執拗に仕掛けられて否応なく戦争に引きずり込まれ,さらにハル・ノートによって日米開戦に踏み切らざるを得なくなったという大枠の事実に変わりはない.「日本は侵略国家ではない」という主張を覆すものでは全くなく」「ほとんど影響するものではないのである」
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