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2017年05月26日00:11

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「差別」のどこがいけないのか? その1

「差別」のどこがいけないのか?「亡国憲法改正」がそれほど大切か? : 石川久遠の「日本人なら知っておきたい真実」
http://the-soliloquy-of-ishikawa-quon.blog.jp/archives/1066157315.html?_f=sl

《「差」があるから「別」に対応して何が悪いのだろう? 「在日擁護法」ともいうべき、所謂「ヘイトスピーチ対策法」を立法化した現政権を私は支持できない。「日本の韓国化」を放任したまま「亡国憲法改正」を目指す現政権に「気高き大和民族の精神性」を再生させ、その資質を子々孫々に伝えていく大義が理解できるとも思えない》



日本人は「差別」と言う言葉には滅法弱い。「差別だ」と在日や反日左翼に決め付けられると大抵の日本人は狼狽える。併し、差別が悪い事だなど誰が決めたのだろう。同じ人間でも男女間には明らかな違いが有る。また人間の能力は人によって大きく異なる。つまり区別や格差は、人間が人間である限り避けられない問題であるのだ。「差」が有るのだから「別」に扱う事は当然の事なのである。



教育現場に於ける教諭や教授は学生と同じではないし、先輩と後輩の関係では平等などあり得ない。実社会でもプロフェッショナルとアマチュアは平等に扱われるべきではない。様々なものを犠牲にして、努力や苦労を重ねた、経験豊富な働き盛りの企業戦士(少々古い言葉か?)と入社したての研修生に能力差があるのは当然だし、同じ報酬を得られる筈もない。



社会生活で、全ての者が平等に扱われる事など絶対に無いし、人々は否応無しに「差」をつけられ、実力に応じて「別」に扱われる。スポーツでも、得点をあげたチームは勝利し、高得点を獲得した受験生は不合格者を尻目に合格の喜びを味わう。そうした篩い分け(ふるいわけ)の結果として、高学歴者は低学歴の者より高収入の仕事に就ける確率が高まる。



人間社会では区別や格差、そして「差別」は、日常茶飯の如く行なわれ、実生活に於いて日本人はその現実に不満を持ったりはせず、極普通の事として受け容れて生活している。



普段から、「格差・区別・差別」を極当たり前に受け容れておきながら、日本人は「差別はいけない事だ」という善悪二元論のイデオロギーで非難されると狼狽え、反論する事さえできなくなってしまう。よく考えてみれば「差別」それ自体が悪いのではなく「偏見」や「思い込みによる侮蔑」「見下し」が悪いのである。確かに「差別」という言葉には侮蔑のニュアンスがついてしまっているから、言葉遣いには注意が必要だが「差」が有るから、その「差」に応じて「別」に扱う事は至極当然であり、殆んどの人は意識せずに自然に受け容れている。



努力が必ず報われる保証はないが、努力しない者より努力した者の方が高い確率で報われる。これは全く当たり前の事であり、誰も疑問に思わない。「機会均等」は良いが、「結果平等」は不公平であり、そんな優劣のつかない社会では、馬鹿らしくて誰も努力などしなくなってしまう。努力した者と、何もしなかった者が平等に扱われる社会の方が「不公平」なのである。それは国家、民族に置き換えてみても同じである。長年の誠実な努力の積み重ねにより世界から信用される日本人と、スポーツマンシップの意味も知らず、嘘ばかりついて、他国に迷惑ばかりかけて、世界から信用を得られない民族が「差」により「別」に扱われる事は当たり前の事である。



併し、「差別」を正々堂々と自信を持って実践するには欠かす事のできない条件がある。それは、儒教で言う「仁」であり、弱者への思い遣りを持つ事である。仏教が教える「慈悲の心」を失なってはいけない。日本人が自然に身に付けている「和の精神」を欠いてもいけない。特に日本人・大和民族は、我が国開闢の精神である「八紘一宇」の精神を大切にするべきだ。「差」を当然と見做し、「差」に基づく扱いをしながら「仁」「慈悲」「和の心」「八紘一宇」の精神に基づき、相手を尊重し、思い遣る心が大切なのである。



神武天皇の「八紘一宇」の御勅令の真の意味は、天地四方八方の果てに到るまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住む家族のように仲良く暮らす事。つまり世界平和の理想を掲げたものである。昭和天皇が「天地の神にぞいのる朝なぎの海の如くに波たたぬ世を」とお詠みになっているが、この御心も「八紘一宇」の精神である。



ブリタニカ百科事典では、「八紘一宇」を、「世界を一つの家にする」を意味するスローガン。第二次世界大戦中に日本の中国、東南アジアへの侵略を正当化する為のスローガンとして用いられた。 …と一方的・否定的に記述されている。併し、当時の日本人は「八紘一宇」と共に「五族協和」を唱え、「大東亜共栄圏構想」を描いていた事は紛れもない史実である。我が先人の最終目標は、「白人による有色人種に対する植民地支配から、アジアの同胞を解放し、行くゆくは対等貿易ができるような国同士となって共存共栄を実現したい」という高邁な理想であった事を忘れてはならない。



1919年のパリ講和会議の国際連盟委員会に於いて、人類至上初の「人種差別撤廃提案」をした日本が、アジアの同胞を人種的偏見に基づいて武力により強制的に植民地支配しようなどと考える訳が無いではないか。我が先人は、白人たちが犬か豚のように見下していた、朝鮮半島の原住民を、我々と同じ人間として厚遇した。日本人なら、数々の歴史的証拠を基に、そう信じるのが自然である。そのように真実を教育してこなかった歴代自民党政権が異常だったのである。



併し、誠に残念ながら現代の日本政府と日本国民は、悪意ある『東京裁判史観』と、それを丸々受け容れた間違った「戦後教育」をそのままに放置する怠惰により、真実から遠くかけ離れた教育を受けている。先人が嘗て、武力により朝鮮半島を侵略し、否応無しに植民地にして、朝鮮人を強制連行したり、性奴隷にしたりして、一方的に酷い事をしたとの虚偽の史実で洗脳されたままでいる。先人の高邁な理想が理解できないように日本政府自体が『東京裁判史観』を肯定しているのだから、国民がそれを信じて当然である。



現政権自体が「戦後レジームからの脱却」や「日本を取り戻す」などの、これからの日本にとって最も大切な概念を、実現する気もない単なる選挙用スローガンに貶め、選挙後は「戦後レジームからの脱却」どころか、『東京裁判史観』を押し付けた米国の言いなりになって、「戦後レジームからの脱却」を見事にかなぐり捨ててしまったのだから、多くの日本国民が、『東京裁判史観』=「戦後レジーム」からの脱却など、できよう筈もない。



敗戦後の日本国民は、GHQ/SCAP にこれでもかとばかりに強圧的な言論統制を受け、それを恐れて自己検閲するようになり、偽りの歴史観の深みに嵌り、洗脳され続けてきた。日本政府は、サンフランシスコ講和条約発効後も、敗戦利得者・反日左翼や日本人を憎む在日たちを一掃する努力を怠ってきた。彼等により強引に受け継がれてきた「偽りの贖罪意識」から逃れる努力を怠ってきた。戦後日本の誤りは全て『東京裁判史観』という、日本を無力化する為に植えつけられた偽りの歴史観を正す努力を怠ってきた歴代日本政府の不作為に依るものである。



ほんの一昔前までは、閣僚が「日本は昔、韓国に対して良い事もした」とか「慰安婦の強制連行など無かった」と少しでも真実を主張すれば、マスメディアによって辞任に追い込まれた。実際、そういう閣僚を何人も見てきた。今でもマスメディアは、反日左翼や在日たちにより手酷く汚染されているから、著名人がそういう事を言うと叩かれるかスルーされてしまう。そもそも韓国や在日を悪く言う者はマスメディアが起用しない構図が出来上がってしまっている。テレビに出演する言論人は殆んど『東京裁判史観』肯定派や「日本国憲法」の信奉者、所謂「護憲派」である。然も、真実の露呈を恐れ、虚言を弄する在日韓国人の大学教授などが重用されている。



日本の中枢は、怠慢としか言いようのない、日本政府の「法整備の不備」の放置により、在日たちに殆んど抑えられてしまっている。立法府(政界)も、行政府(官僚や地方公務員)も、教育機関も、法曹界も、財界も、マスメディアも、出版界も、芸能界も、皆驚くほど在日たちが決定権を持つポジションに就いて権勢を振るっている。立法府と行政府、教育機関とマスメディアが在日勢力に抑えられてしまったら、「大和民族の気高き精神性」の復活などできる訳がない。現在の日本は絶望的とも言える危機に瀕しているという自覚すら持てない仕組みが、ほぼ完成しつつある。



併し、ネットが普及した現在では少なからぬ日本人が、在日たちの言説は虚偽である事を知るようになった。少なからぬ日本国民に、在日は出稼ぎに来たり、密航してきた人たちであるという真実が知れ亘ったし、在日の反日活動家に反感を持つ日本人も相当数に増えてきた。「日韓併合」も、朝鮮民族の国と国民に望まれて、国際法に則って条約を結び、何の問題も無く平和裡に進められた事を、普通の日本人もその気になりさえすれば知る事ができる。



併し、文科省の検定を通過した中学校の歴史教科書には「日本は武力により朝鮮を植民地支配しました」などと、未だに韓国政府や在日たちの嘘の主張をそのまま載せている。これでは、ネットなどで真実の歴史に触れる前の思春期のいちばん多感な青少年に、日本政府が捏造史観を刷り込んでいる事になる。これを改めようともしない自民党政権の議員たちの歴史観と良識を疑う。



敗戦後の日本は、GHQ/SCAP により「在日朝鮮人を戦勝国民と同等に扱え」との通達を受け、政治家も教育者もマスメディアも全てそれに従った。従わざるを得なかった。日本人を無力化したい GHQ/SCAP の洗脳統治に逆らいそうな気骨あるリーダーたちは、日本に長年住んで日本の事情に詳しい在日たちの情報を基に発令された「公職追放令」により悉く第一線から退けられ、それまで冷や飯を喰わされていた無能とも言える反日左翼に取って代わられてしまった。



それを正そうともせず、放置してきたから、サンフランシスコ講和条約発効後65年も経つというのに、日本は未だに反日左翼や在日たちの亡国思想に囚われている。日本の中枢は殆んど在日たちに抑えられている現実は、心ある日本人を戦慄させているが、政権与党の自民党自体が保守を僭称しながら、その実態は親米左翼政党なのだから、掛け声ばかりで行動面では、『東京裁判史観』からは絶対に脱却しようとしない。



日本の敗戦時に朝鮮人が日本人に対して為した、破壊工作、集団強盗、物品略奪、土地強奪、殴打暴行、婦女子への強姦、理由なき殺人、など凡ゆる犯罪の史実は、一部の自ら真実を学び、行動しようとする日本国民には知られるようになったが、日本政府自体がこの有様だから、多くの普通の日本国民の覚醒を妨げている。日本政府自体が在日たちの工作である史実隠蔽に加担しているのである。



日本をこれほど酷い国にしてしまったのは、実は歴代自民党政権である。この現実に気づかない日本国民を育てたのも自民党であり、選挙で自民党を勝たせ続けた日本国民の成せる技である。現在の安倍首相は今までの自民党党首よりは多少マシに見えるから長期政権となる事が予想されるが、所詮は日本を破壊し続けてきた自民党政権である以上、日本国民を『東京裁判史観』から覚醒させてはくれないだろう。



我が家は代々、自民党支持者であった。私も第二次安倍政権には大いに期待もした。併し、今ではその投票行動を深く悔いている。もっと早く真実に目醒めるべきであった。多くの日本国民は、自民党政権の利権あさりや恣意的不作為により知的水準が低いお花畑の住人に堕してしまった。何しろ GHQ/SCAP が、日本を無力化しようとの悪意を持って押し付けていった現行憲法を大切な護るべき憲法だなどと言っているのである。



安倍政権は、この「亡国憲法」を、2020年を目処に少しだけ改正しようと真顔で主張している。そんな事で保守を気取る暇があるなら、強い軋轢が予想されようとも、日本の中枢を在日に抑えられている現実にメスを入れ、徹底的に日本人の手に取り戻して、『東京裁判史観』から日本国民を解放する事の方が余程、喫緊の課題である。


その2へ続く
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