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2017年05月25日01:40

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強攻策が正解!

■官民調査団、今月末にサハリン派遣 北方四島は来月以降
(朝日新聞デジタル - 05月24日 10:48)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4586857

旧露國國歌!
http://m.youtube.com/watch?sns=gr&v=emNUP3EMu98
「ドストエフスキイはロシア精神のあらゆる矛盾を反映する真にロシア的な作家であった.まことにロシア人の国民性をなす黙示主義と虚無主義とは,この人によって奥底まで剔刔されてゐる.ロシア人はその国民性から心霊的生活の中庸,文化の中庸に留まつて安んじてゐることができない.彼等は常に極端に向つて逸脱しようとする傾向がある.そこから彼等は文化と歴史とに對して反逆的な態度を示すのである.虚無主義と黙示主義―すなわち一切の文化的歴史的價値に對する敵意と,世界が巨大な宗教的激変によつて圧倒されるのだといふ終末論的な意識とは,ロシア人の特徴であつて,これは同じ民族的な根柢から発生する傾向であり,虚無主義は黙示主義の裏返しにされたものだといへる」
「西欧の人々が世界を歴史的に組織しようと努力する場合に,ロシア人は一足飛びに決定的な結末に至らんとするのである」(宮崎信彦「ベルヂャエフ」アテネ文庫 )
「ロシアの土地所有者は,自分の土地を当然のものとして所有しているという,絶対の確信をもったことはない」
「革命以前から,所有者であることはまちがいであるかのように,それは,ロシア人に一つの疑惑,一つの呵責を与えた」
「ベルジアエフ」(ソ連に国外追放された哲学者)「は,「新しい中世」のなかで,この観念を表明している.
「ロシア人は,いつの時代でも―これは彼らの特徴になることだが―西欧の諸民族には未知の,現世から解脱した精神で活気づけられていた.彼らは,地上のもの,つまり所有物,家族,権利,家具,生活の外的手段に結び付けられ,しばりつけられていると自分を感じたことはない.もしロシア民族が土地にしばりつけられているとしたら,それは罪によってであった……ロシア人はおそらく,西欧の諸民族よりは正直ではないし,ほんとうに公正ではない民族であろう」」
「ロシアという近隣の野蛮人に対する恐怖をつねに感じていながらも,ドイツ人はモスクワの雰囲気にはおどろかない」(アンドレ・シーグフリード「西欧の精神」角川文庫)
「われわれドイツ民族は真ん中にいるので,万力の一番きつい重圧を経験している.われわれは最も隣人の多い民族であり,したがって最も危険にさらされた民族であり,そのうえさらに形而上学的な民族である」(マルティン・ハイデッガー「形而上学入門」平凡社)

「バーデンヴァイラー・マーチ」
http://m.youtube.com/watch?sns=gr&v=TaWwGiL3lsU
〔アンドレ・シーグフリード「西欧の精神」角川文庫〕
「ロシアの土地所有者は,自分の土地を当然のものとして所有しているという,絶対の確信をもったことはない」
〔円道祥之「栄光の日露戦争」宝島社〕
「なによりロシアは釜山を根拠地にして日本を殲滅する対日戦争計画を持っていた.日本を含めたアジアを征服する意図は,ありありとしていた」
「戦争に負ければ,北海道などはロシア領となり,佐世保や対馬は租借地とされていただろうといわれる」
「極東での力のバランスの面から,日本全土がロシアの植民地になることはなかっただろうが,日本が弱いとなればほかの列強もだまってはいなかったに決まっている.イギリスだって,日本を頼むに足る国と思うから同盟したのであって,ダメとわかればどんな態度に出たか,わかったものではない」
「また,日本が戦争に踏み切らなければロシアは満州,朝鮮半島に軍を進め,日本に強烈なプレッシャーをかけただろう」
「日本にはロシアの進出は北緯39度までとする,という提案をしてきた.そこまでは入ってくるつもりなのだ」
「ロシアの言葉が信用できないことは,満州撤退の件でわかっていた」
「日本としては,戦争をして,勝つ以外に道はなかったのだ」
〔ファインモールド社「九五式軽戦車・北満型」模型図解解説〕
「戦車部隊の存在はソ連装甲部隊を牽制し続けた」
〔「ノモンハンは圧勝だった」S会講演記録〕
「日本軍の高性能の高射砲,速射砲により飛行機は1,700機以上撃墜され戦車は800台以上破壊された.日本軍の飛行機の撃墜179機.戦車の損害は29台.ソ連軍死傷者25,556名.日本軍死傷者17,405名.ソ連の戦闘機は,布張りで,低性能であった」
「ノモンハン事件のソ連軍を指揮したジューコフ将軍は戦後,米国で記者会見において,生涯で最も苦戦したのは,日本軍相手のノモンハン事変(ハルヒンゴール)であったと述懐した.彼はソ連国民2,500万人を死亡させた対ドイツ,スターリングラードの激戦よりもノモンハン事変の方が苛烈で惨敗であり,日本陸軍は世界最強の軍隊であったと証明したのである」
「同様にスターリン首相もそれ以来,完全に日本陸軍恐怖症に掛かって度重なるアメリカ,イギリスの対日戦争督促に対して,決断できなかったのである」

ヒトラー悪玉論の欺瞞!
http://m.youtube.com/watch?v=VD9JOUK_LAs&sns=gr
「ローズウ゛ェルトの政策の別の面が,ナチスがワルシャワの外務省の廃墟となった建物の文書庫から略奪したポーランド側文書によって明らかにされた.駐ワシントンと駐パリのポーランド大使の電報には,ローズウ゛ェルトが合衆国を再武装し,アメリカの公衆に心理的に戦争の準備をさせる一方で,フランスとイギリスを扇動してドイツとの戦争に参加させようと努力している様子が暴露されていた」
「一九三八年一一月,彼の個人的友人で駐パリ大使のウィリアム・C・ブリットはポーランド側に,大統領の願いは
「ドイツとロシアが殴り合いになり」,そこで民主主義国家がドイツを攻撃し,これを降伏させることである,と仄めかしていた」
「例えば私はヒトラーに提出されたと同じ秘密情報資料を収集しようと大いに努力した.それは電話を盗聴し,国際無線通信を解読したゲーリングの情報調査局の数少ない傍受情報といったものである.そこから例えば1940年7月ヒトラーがスターリンの意図を知って愕然としたことが説明される」(デヴィッド・アーヴィング「ヒトラーの戦争」ハヤカワ文庫)
「スターリンもその将軍達も同時並行的に,しかも同じような強烈さをもって対独戦争の準備にとりかかっていた」
「「冷血な打算家」とヒトラーがしばしば名指したように,スターリンはなかなか自分の手のうちを明かそうとしなかった」
「だがスターリンは自分が独英双方から求婚されているものと思い,もっと多くのものを得ようとした.そしてヒトラーならもっと多くのものを差し出すだろうと思った」
「結局モロトフに公式の招待がなされ,これは受理されて十一月半ば彼がベルリンを訪問し,そこでヒトラー以下ドイツの首脳と会談することになった-その結果ヒトラーは決断した」(ウェルナー・マーザー「独ソ開戦」-盟約から破約へ-学習研究社)
「ドイツでは戦後,一般に,「対ソ戦争」と呼ばれてきた.しかし,六○年代後半ごろ,旧軍の退役将軍らが相次いで出版した回顧録の中で「ロシア戦役」と呼び,この呼称もかなり広まった.これには,スターリンの赤軍が攻撃に出る直前,ヒトラーが機先を制した「予防戦争」「自衛戦争」だったとの歴史観が反映しているという」(『20世紀 どんな時代だったのか』平成10(1998)年7月27日(月)「読売新聞」朝刊)
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