実家の愛犬ヴァルが、亡くなりました。
月曜日に、姉から連絡がありました。
一人暮らしのアパート生活の時は、実感がわかなかったけど、
今日、実家に帰ってきて、
いつもなら真っ先に迎えてくれたヴァルの姿がなく、
犬小屋が壊されていて、
本当のことなのだと、何かを飲み込んだ。
ヴァルは、ご近所さんが引っ越す時、
庭が狭くなって、自由にいられないのが可哀相だから、
飼ってほしいと頼まれてうちにきた。
とても悪い言い方だけど、前の家族に捨てられたようなものだ。
柔らかい捨てかただけれど。
人間以外の生き物と一緒に暮らすにあたって、
人間側が、最期を看取るのが、役割だと思う。
看取らせてくれるならね。
猫とかは、最期を看取らせてくれない時があるけれど。
だから、ヴァルの最期を看取るのは、
当然の役割だった、一緒に暮らすことを決めたからには。
でも、役割だからって、
覚悟を決めていたからって、
悲しいもんは悲しい。
切ないもんは切ない。
つらいなー。
そして、心配は、
ヴァルと一番心を通わせていた父。
姉の話だと、いつものように振る舞っている父が痛々しいとのこと。
帰宅した時には、就寝していたからまだ会ってないけど。
高齢だから、新たなに家族を迎えるには、
それこそ役割を果たせるかな話だから。
これまた、切ない話だけど。
まあ、でも、もし、出会ってしまったら、しょうがない。
よい出会いがあればね。
ヴァルは、今頃、
我が家の歴代の同居犬ラーズとスズキに挨拶していることだろう。
心から冥福を祈る。
私は、業が深いから、
歴代の犬達、猫達とおんなじとこには、行けないだろう。
だから、生きているうちに生きている同居ケモノの全力で愛でる。
これも役割。
生を全うした同居ケモノを忘れない。
これも役割。
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