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2017年05月19日18:10

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1978年の『日本共産党の研究』より

採決強行に反発 4野党抗戦へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4579917

ふと思い出して立花隆の『日本共産党の研究』を繰ってみたら、次のような文章があった。

「法は思想を罰してはならず、行為を罰するのみ。いかなる法も、市民の政治的活動の自由を含む基本的人権を侵してはならないという、法が従うべき法原理がある。」

「この法原理に従って法体系が作られている限り、暴力革命を主張する政治集団は、その存在と政治活動を、適法の範囲内で堂々とできる。当局が取り締まれるのは、一般刑法に引っかかるような違法行為が開始された後である」

「この点では暴力革命集団のほうが、当局に対して先手を握っている。また近代市民社会の原理からいって、そうでなければ困るのである」

「なぜなら、当局のほうが、暴力革命集団に対して先手を握れるような法律を作れば、必ず、先に述べた、法が従うべき法原理を侵し、思想を罰したり、基本的人権を奪うような法律にならざるを得ないからである。」

「戦前の日本にそうした法律としてあったのが、次のようなものである。集会、結社の自由などを制限した治安警察法、“公安を害するおそれのある者”を検束できる行政執行法、そして、国体変革と私有財産否認の思想を罰する治安維持法である。これらの法律によって、市民から政治的自由を奪うことから、全体主義がスタートしていった」

1978年頃に共産党批判として書かれた文章なのだが、気味が悪いくらい今の共謀罪への批判になっている。「暴力革命集団」を「テロリスト」や「組織犯罪集団」に置き換えればそのまま共謀罪の本質を突いた文章となる。

戦前の歴史をほんの少々でも知っている人間ならば、「暴力革命集団のほうが、当局に対して先手を握っている。また近代市民社会の原理からいって、そうでなければ困るのである」という認識が重要かつ妥当なものだとすぐに分かる。共謀罪への安易な同調を示すのは、確信犯でないのなら、深刻な無知と言うべきだろう。

本当に警戒すべき「テロル」とは、テロリストによって実行されるものではない。前回の日記に引用したアーレントの指摘するように、権力者こそが「テロルというものをその固有の本質とする、本当に全体的な支配」を実行するのである。

今の日本に必要なのは、「暴力革命集団のほうが、当局に対して先手を握っている。また近代市民社会の原理からいって、そうでなければ困る」という認識を取り戻すことだ。
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