地球の歴史が人の力で動かされているなんて思っていたらとんでもない愚か者かもしれない。
確かに一種のものだとは認められたにせよ
多数の鏡なんかじゃないことが すなわち象徴を意味するのだ。
それをいくらみたところで偶然でしかないし偶然でもない。
偶然であるのだろうかと神威を疑わせるものでしかなくなるものさ。
そして原形が受け継がれ その責任を取らされるんだろ。
そうした投影されていくことで隠れたり出てきたりする。
それを定着ともいうのも失墜した理由は答えを見つけられなかったからであろう。
奇蹟というのが頻繁に起こらないだとか 奇蹟だと思うことは 励まされているだけのもの。
そうした鎮魂の世界で充分なことをしないでいるのだから それはそのようにも自然は危険を知っているからだ。
それらを秘密でもなく秘密に見立てるようにもし、昇華していくことを秘密と締めくくる。
そういったものは世界にどこにもあって集めたものでしかすぎない。
消えた 残った 出てきたと騒ぎ 考えはあるかという。
つまり支配してからでしょう。
その隠ですら 極めて奇妙にも思えないほどに隠す理由もないものであろう。
そもそもそんなものは隠せれるものでもないのだから隠したりする必要もないことが判別できる。
すなわち もともと そんなものはなかったことも可能なのだ。
よって研究する方向は間違っていることが伝統から引き継がれてきたということになるのです。
つまりテーマはそこにはないということです。
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