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2017年05月16日20:40

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よろよろ日記138「前のめり」

眞子さま同級生とご婚約へとNHK報じる 結婚時期は来年想定
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=145&from=diary&id=4575066

「ずいぶんお急ぎになられてる感じがしますが、それほどまでにお相手のことをお好きだと?」
「もちろんそれもありますが、世継ぎ問題であまり振り回されたくはないんです」
「どんどん前のめりに既成事実を積み上げてしまえばあとは怖いものがないからですか?」
「でも決して総理のふるまいを見倣ってるわけじゃありませんから」

隣家の70代後半の女性が発行している「あぜみち」という文芸愛好家が集う小冊子の今月号に亡き母のことが紹介されている。20数年前の追悼文の再録ということらしいが自分ははじめて読ませてもらった。農婦と縫製工として一生を終えた母の意外な一面を知ってちょっと感慨深い。

その頃自分が書いた小文も載せておこう

「一枚の感謝状」

我が家の暗い廊下の片隅に一枚の感謝状が掛かっている。今は亡き母が昔、働いていた縫製工場から永年勤続の記念品と一緒にもらったものだ。あまり幸せだったとは言えない母の半生をその感謝状だけは知っている。

思えば身体の弱かった母が倹約と勤労だけに明け暮れる人生を送らなければならなかったのは皮肉な巡りあわせだった。通俗のディレッタントだった連れ合いとの生活の中で涙を見せることはめったになかったが、本当に楽しそうな姿もあまり見たことがない。ささやかな慰めを手にすることはあってもおそらくは面白くない人生だったろうと思う。それでも母は愚痴をこぼさず、こんな風に生きることが自分の運命だと半ばあきらめ、半ば悟ったように黙々とミシンを踏み続けた。

そんな厳しい毎日の暮らしの中で、ある時期たぶん母は決心したのだろう。「どうせなら講釈は言わず、精一杯寡黙に生きてやる」と。それは平凡で無名な主婦にとっての切羽詰まった意地と覚悟だったのかもしれない。そしてそんな意固地な生き方だけが報われなかった母にとってのたった一つの自己確認の方法だったのだろうと今になって思う。やがて無理がたたり病に倒れた後も、母は寡黙に生きるという意地と覚悟の定まった生き方を貫いた。

どんな人生であれ自分なりに引き受けて母のように辛抱強く、不満も漏らさずに生きていくことはなかなか難しい。いくら他人の人生を解説できたところで自分の人生が見えてくるわけでもない。結局のところ自分の人生というのはたったひとりで寡黙に築き上げるよりほかに手がないからだ。

廊下を通るたび感謝状が母の人生そのもののように思えることがある、自分もそろそろ母が逝った歳に近づきつつあるが、いまだに母のように骨がついた生き方はできないままだ。あとひと月もすれば母の命日がやってくる。


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