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2017年05月15日11:56

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自民党は全体主義の標本

■際限ない捜査、警察は求める 「共謀罪」青木理氏に聞く
(朝日新聞デジタル - 05月15日 07:15)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4572186

もしこの法案を共産党政権が提出してきて、自民党が野党だったなら、きっと自民党は激烈な反対をしたことだろう。「取締りが厳しくなってテロリストを摘発できる、大賛成だ」とは絶対にならないだろう。自民党の愚かなところはこういう想像力を失っている点にある。

よい法律、よい法制度というのは、どんな政治集団が権力の座についても、適切な運用しか許さないような立て付けになっていることだ。

ところが自民党の連中というのは、「我々はそんなことをしないから大丈夫」という類の、詐欺師が好む論法しか使わない。そして正しいことをしている我々に反対する奴らはテロリストかその支援者だとでも言わんばかりの態度をとる。事実、特定秘密保護法の時も自民党幹事長は「テロと変わらない」と断じていたのだ。

こうした論法は非常に古典的である。1859年に刊行されたJ・S・ミルの『自由論』にはこうある。

「そのように有益な信念を弱めたいと望むのは悪人だけだと主張されることも多く、主張しないまでもそう考えている人はさらに多い」

共謀罪の話に当てはめれば、「共謀罪が必要だという“有益な信念”を弱めたいと望むのは、テロリストだけ」という理屈である。自民党の論法は160年近く前、つまり江戸時代に批判済みの愚論なのである。歴史に学ばないでいると、人間がどこまで愚かでい続けられるかよくわかる。

自民党はあまりに長い期間権力の座にいたせいもあって、根本的に「権力を監視しよう」という動機に欠けている。権力を強化するための道具立てばかり欲しがるのは、自己と権力を同一化させているせいである。

本当に警戒すべきはテロリストではなく、権力者なのである。

実は権力者が権力を維持するためには「テロリスト」がいたほうが助かる。むしろ権力維持とは社会の中に「テロリスト」を不断に見つけ続ける行為といっても過言ではない。「テロリスト」は権力行使を常に正当化し、その拡大を促す都合のいい存在なのだ。

つまり「テロリスト」とは実体ある存在なのではなく、単なる概念装置に過ぎない。権力者はテロリストを欲しているのである。だから「テロリスト」がいなければ、適宜認定して、その個人や集団を監視・摘発するための法律や機構を整備し、己の権力を確かなものにするのだ。

こういう現象はナチスやスターリン時代のソ連にもあったことだ。実際、これら二つの体制を「全体主義」として研究したハンナ・アーレントの『全体主義の起原』には、次のようにある。(彼女の文章は回りくどいので、部分的に端折って引用する)

「現実に存在する反対派がことごとく粛清され、・・・本来の意味の監視などほとんど不必要となったとき、・・・テロルというものをその固有の本質とする、本当に全体的な支配が始まるのである。」

「<客観的な敵>が誰かということはその時その時の事情によって変わる。だからあるカテゴリーがかたづけられてしまうと今度はまた別のカテゴリーに対して宣戦が行われることもある」

「全体主義の警察は犯罪を摘発するという任務を持たない。いかなる犯罪が行われ、そして誰がその時点で犯人であるかを決めるのは最高指導者である」

つまり、ひっきりなしに社会の中から「テロリスト」を見つけ出し続けることで、全体主義社会は維持されるということだ。そしてアーレントの分析によるならば、こうした運動は、社会からテロリスト(反対派)がいなくなったとき終わるのではなく、むしろ始まるのである。

自民党はおそらく無自覚にであろうが、全体主義社会の権力集団に典型的な行動をとっているのである。標本にできるレベルのわかりやすい事例である。歴史を紐解けばこういう権力集団がどのくらいの不幸をもたらすかなど、豊富に実例が見つかるのに、自民党を安易に支持してしまう国民は軽率だと思う。
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