ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
聖体の祝日のためのリタニア 変ホ長調K.243
レナーテ・フランク=ライネッケ(ソプラノ)
アンネリース・ブルテマイスター(アルト)
エーベルハルト・ビュヒナー(テノール)
ヘルマン・クリスティアン・ポルスター(バス)
ライプツィヒ放送合唱団(合唱指揮:ホルスト・ノイマン)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送交響楽団
かんち自身の解説
以前、モニューシコの「オストロブラムスカの連祷」を取り上げた時、参加者から「モーツァルトのが聴きたい」というリクエストがありましたので、今回それにお答えする形で取り上げますのが、モーツァルトのリタニアの中でも大規模な「聖体の祝日のためのリタニア 変ホ長調K.243」です。
モーツァルトのミサ曲と言いますと、レクイエムばかりが有名なので、いつか戴冠ミサなどもしっかりと取り上げたいなって思っていますが、このリタニアというジャンルも4曲作曲しています。モーツァルトがコロレド神父に従って様々な宗教作品を作曲していたことが窺えます。
モダンにするか、ピリオドにするか悩みどころだったのですが、今回はモダンにしました。生き生きとした演奏が魅力のケーゲルの指揮するモーツァルトの宗教作品。じっくり味わっていただけると幸いです。
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リタニアとは何かといいますと、祈祷歌の一種で、中世にて好まれた曲です。具体的なものは、以下のサイトから引用することとしましょう。
「聖母マリアのためのリタニア」
K195(186d)
http://www.mirai.ne.jp/~nal/mozart_K195.htm
「『切なる願い』という意味のギリシア語に由来するリタニアは1人の先導者が主なる神や聖母マリアなどに賛美の言葉をもって呼びかけ、その1句ごとに会衆が「われらのために祈り給え」や「われらを憐れみ給え」といった折返し句をもって応えるという、応答形式による祈祷であり、箴言的な祈求からなるものである。リタニアは中世において大変愛好され、絶えず新しいものが生み出されていたようであるが、現在では「聖母マリアのためのリタニア」を含め5種が公認されているだけである。音楽史においては、16世紀末に多声声楽曲としてのリタニアが盛んに書かれるようになり、19世紀初頭にいたるまで、南ドイツやオーストリアの地域において、なかでも特にウィーンやザルツブルクにおいて、多くのリタニアが生み出された。」
このサイトはあくまでもK.195の説明ですが、ネットではこれが一番端的に説明していると思います。ただ、このCDに収録されているK.243では厳密にはその形式を守ってはいません。これは想像ですが、この曲においては先導者の言葉には音楽がついていないのだと思います。転調などはすでに中期の様相を呈しているにも関わらず、ミサ曲どうよう古い形式を保持しているというこが言えるかと思います。
一方で、このリタニアは革新的な部分も含まれていると唱える学者もいます。
K.243 聖体の祝日のためのリタニア
http://www.marimo.or.jp/~chezy/mozart/op2/k243.html
確かに、この曲には二重フーガが大規模に展開されていて、それはベートーヴェンの第九の比ではありません。それでいて、きちんとコロレドの指示にも時間という意味では従っています。ですので、私は単純に上記サイトでアインシュタインが言っていることにはくみしませんが、ド・ニの意見には傾聴すべき点がいくつもあると思います。
その意味で、ド・ニの言う「モーツァルトにとって信仰の中心である聖体において具現される「受肉」による神の慈愛の神秘が、これほど深く音楽になっている曲は、彼のミサ曲の「御からだを受け」を除いては見当たらない。 この『尊き聖体の秘跡のための連祷』は、モーツァルトの宗教音楽のなかでも、もっと頻繁に演奏されてよい曲の一つであろう。」という意見には全く同感です。彼が言うようにこの曲には先進性がちりばめています。
ミサ曲を取り上げる合唱団はいくつもありますが、リタニアを取り上げる合唱団はさすがにアマチュアでもほとんどないのではないでしょうか(プロは残念ながら全くなので論外です)。しかし、こういった一見形式的に古くさいように見えて実は一歩先を行くという作品がモーツァルトにはピアノ協奏曲などにも多いことを顧みる時、その点を重視してリタニアを取り上げることはとても大事なのではないかと思います。
モーツァルトはリタニアを4曲書いていますが、実はこの全集の中で初めて取り上げられるのが、最後のリタニアであるこのK.243です。ミサ曲でも2番目に早くも戴冠ミサを取り上げたり、比較的成立が遅い作品から取り上げている傾向がこの前週にはあるように思います。まるで遡っていくように・・・・・そういう編集もアリかもしれません。モーツァルトの音楽の「根源」を探す旅のようで、それもまた面白きかな、という気がします。
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さて、ここではケーゲルは淡々と音楽を鳴らすことに傾注していまして、ミサ曲で見られたような激しさというものは影をひそめています。その代り、アインザッツの鋭さなどが演奏における特徴となっています。そのため、テンポ的にはゆったりとしているにもかかわらず、冗長な感じを受けません。
勿論、一つ一つの作品がそれほど長くないということも有りますが、それにしても聴いていますとあっという間に時間が過ぎてゆきます。それだけ、惹き付けられる演奏であるといえるでしょう。
さらに、軽めの演奏もケーゲルにしては珍しいと思います。特にK.243の「活けるパン」でのテノールとオケの軽さは爽快で、快活という言葉がぴったりです!
管弦楽曲におけるケーゲルの演奏を知っていらっしゃる人からしますと驚かれるかもしれませんが、全くもって快活かつ軽快です。それでいて、荘重な部分もしっかりとあって、全体的なバランスがとてもいいのが素晴らしいです。
ともすれば、宗教曲は重々しく演奏するのが基本だといいたいような演奏が多い中で、ケーゲルのこの姿勢はとても評価できると思います。その点では、ミサ曲よりもむしろミサ曲以外のほうがケーゲルは聴くべき演奏が多いように思います。ミサ・ブレヴィスですと抜かしている部分があるわけですが、ミサ曲外のジャンルではまず信用して聴いていられます。
宗教曲を聴いているにもかかわらず、なぜか気持ちが愉しくなってくるような、そんな演奏である上に、緊張感も適度に持っていて、このどこに突っ込めばいいのでしょう?合唱団も実力を伴っていますし、へたすればピリオドのアーノンクールよりも素晴らしいかもしれません・・・・・
勿論、この演奏もピリオドの影響を恐らく受けているでしょう。ピリオド演奏というのは実はけっこう歴史は古いもので、日本でブームになった以前から存在しています。ただ、現在まで全集で出ているのはこのケーゲル以降に収録されたアーノンクールのものしかピリオドではないのが現状です。ですから、私はアーノンクールの全集にこの演奏は影響を与えたという訳でして、実際にはピリオド演奏の歴史から言えば、ケーゲルも充分ピリオド演奏の影響を受けているといえるかと思います。
それができたのはひとえに東ドイツという国の存在が大きかったでしょう。いったん宗教的なイメージから離れてみて、純粋にスコアと向き合ってみた結果、たどり着いたのがこの演奏なのだとすれば、いろいろ納得できる点が軽さやテンポ、緊張感などに見いだすことができるからです。その上でモダンならではのバランス感覚。それがさらにピリオドにも影響を与えてゆく・・・・・ヨーロッパの文化・芸術の深さを感じることができる演奏だと思います。
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