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2017年05月06日14:46

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「岩戸開きも」起きる必要が無かったところまで行きたいのです。

アイヌ刺繡、ナナイ・ギリヤーク民族など北方系の民族も似たデザインの刺繡が有ります。(長文です)
この事は、ストーンサークルの文化圏と一致すると思い、渤海国もその一つと思いました、この渤海国の存在は日本の歴史にとって大変重要なのです。

縄文と言われる文化圏はそれはそれは広い世界に有りその痕跡が世界に残っています。
長野下伊那郡阿智村園原で私が7年すんでいた時、縄文の遺跡が発掘されたのですが、室町時代まで縄文の暮らしをしていた遺跡で鉄器と縄文土器が一緒に発掘もされたのですがそこはゴミ捨て場であろうという事で混雑して歴史感が分からないと教育委員会の一人が言っていました。

この阿智村園原は天台宗開祖伝教大師最澄上人ご遺跡地「月見堂」がある場所で東山道の難所御坂峠も有り、アマテラスの胎盤を捨てたと言い伝えが有る山「恵那山」。
巨人ダイダラボッチが腰かけたとされる山「網掛山」。
知恵の神、学問・受験・政治の神として祀られている、思金神(おもいかねのかみ)が御祭神の阿智神社。
ヤマトタケル東方遠征時、馬をつないだとされる駒つなぎの桜。
武田信玄が死去した寺、駒場の阿智村長岳寺・・・歴史が豊かです

今私が住む北海道、過去アイヌも移動してた部族と定住してた部族さらに山丹交易も関り、主にウィルタ 族の他、ニブヒ族、オロチョン族など沿海州の民族とアイヌの貿易で清朝の歴史がある衣装や宝物が蝦夷地の松前藩にまでもたらされいる。
広義には清朝が黒竜江(アムール川)下流域に設けた役所との朝貢交易から、山丹人、さらにアイヌを介して蝦夷地の松前藩にもたらされた交易をさす。
アイヌ部族の狩猟・採取は、地域の境目や不作による飢えから小さな争いは日々起きて、部族長が和解をお互いにチャランケ(何日もかかってでも話し合いで解決するまで話し合う、多くは立会人が居て審判役や仲裁もしくは通訳をしてたという)で確認しあっていたと聞きます。

歴史は造られ支配者によって改ざんされる、それでも変わらぬものを探すと有ります、アイヌ文様は近代的な文様も有るもの民族と部族の歴史でそれは各アイヌ支部の衣装と文様にも象徴的に表れています。

今、北海道白老に5つ目の国立アイヌ国立博物館をオープンさせようとしてますが各支部にある地方独自の伝承豊かなアイヌ文化を一つに統合させようともする事です。

私は、奄美で見てきたことと北海道アイヌの地で見てきたことの悲しい一致点を見つけました
アイヌの世界観は宗教ではなくアニミズムです柳の木を切って御幣状にしたヌサを13本ほど並べたヌササン(御幣の集まった祭壇)の前で恭しく囲炉裏を囲み集団で行うカムイノミ(いくつもの神々に祈りをささげる):イワクテ(物の霊送り)、チプ サンケ(舟降ろしの儀式)、シンヌラッパもしくはイチャルパ(先祖供養):イオマンテ(魂を神々の世界に送る)は、あえて言えば八百万の神々ヤオロズノカミガミ=古神道でお墓にお参りの世界もない地方も有り墓標も朽ち果ててそのまま・・・踊りは部族対抗も有り古くは倒れるまで続け、歌も神様がその人たちに下りてくるまで続ける等々シャ−マンの世界観も有ります。

一方奄美のノロの世界観島の豊かさと渡来神を迎える独自の神道で
民間信仰であったとも言われるユタの世界観は、癒し治療法・お告げ・口寄せ、様々な加持祈祷も含め、シャ−マン時にネィテブアメリカンのメディスンマンの世界も有ると見て感じましたが双方とも、色々な宗教により衰退と…対立まで起きているという事です。

(個人崇拝も含む)教条主義的宗教は、八百万の神々・シャ−マンを激しく否定します。

奄美ではノロ神様が出るのは血筋があるとも書かれていました、ユタ神様は先輩ユタ神様がストレスを過度に持って解放しようと立ち向かっている人に応援をしてユタの世界に向かい入れるとテレビで知りました。
すると、言うまでもなく道祖神信仰や浅間信仰、道教に由来 する庚申塚、「北斗信仰」も否定する事が分かります。

家族兄弟で、池田大作・創価学会、法然・親鸞浄土真宗、キリスト教に入り対立している姿がありました。
奄美では、知人にユタ神のこと聞いて知らないその辺は関係が無いのでと沈黙で対立丸出し。

北海道では、語らず触れずが多く、アイヌ協会の存在が良いも悪いも大きく、自らが関知しないがほとんどです。
この様になるのは、アイヌの世界で言えば「文化助成金」と言う存在も大きいのです、何しろ15年位前地方の役場にアイヌ対策室本部と言う看板が正面玄関に掲げてあったし北海道旧土人法の存在も差別/分断、同化政策の象徴です。

私は、このような意識を持ったのは、東京の山谷の近く西日暮里でアパートを借り、何度か山谷と言う「寄せ場」で越冬・越年を労働運動の仲間と一緒に行ったことと、寄せ場の仕事を経験したこと、死刑制度反対のホーラム90に参加して88年いのちの祭りに参加しヒッピー文化やネィテブアメリカンの文化「スエット・ロッジ・イエピィ」や歴史を知った事からです。
それは私の血・遺伝子に目を向ける、ルーツは、人は何故環境によりこんなにも変わるのかの好奇心と自分探し「当事者研究」でした。

故郷は離れても、心の血の故郷・遺伝子の故郷・DNAの故郷の声を聴きたいのですそこには、何もかも自然と繋がり一人一人がヤオロズノカミガミの存在で「岩戸開きも」起きる必要が無かったところまで行きたいのです。
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