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2017年05月05日18:12

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土岐を散策(5月4日)

今日は、JR東海の「さわやかウォーキング」に参加して土岐(岐阜県土岐市)を散策しました。高山城址など、コース以外のポイントにも廻って、土岐の歴史と文化に触れながら、汗ばむ陽気の中、日頃の運動不足も解消できて充実した散策となりました。

《コース名》
織部の里を満喫「定林寺窯元祭り」と下街道・高山宿を巡り「現代茶陶展」へ

《散策コース》
土岐市駅⇒美濃陶磁歴史館⇒織部の里公園⇒清安寺⇒段尻巻古墳⇒乙塚古墳⇒仲森公園⇒白山神社⇒定林寺祭り(窯元めぐり・いっぷく小路)⇒稲荷神社⇒観音堂⇒泉陶磁器工業組合⇒高山城址⇒慈徳院⇒高山公園⇒セラトピア土岐(現代茶陶展)⇒土岐市駅

《写真》
写真1:織部の里公園。「大窯」・「連房式登窯」が見られる。
写真2:高山城址から土岐市街地を望む。
写真3:散策中の花々にも癒されました。

《散策メモ》
○美濃桃山茶陶:
400年前の桃山時代、美濃地域は日本最大のやきもの産地で、黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部といった美濃桃山茶陶を生産して全国へと出荷していたとのこと。今回の散策にて、織部の里公園(元屋敷陶器窯跡)では、当時の技術の粋を極めた「大窯」・「連房式登窯」と呼ばれる地上式の窯を見学し、美濃陶磁器歴史館での企画展示では、定林寺古窯跡群での茶陶類から日常食器類への生産様相の変遷に触れ、美濃焼の歴史の一端に触れることができました。
○定林寺の地名と定林寺まつり:
足利幕府の重鎮であった土岐頼貞が、大富(土岐市泉町大富)に館を構えて東西の拠点とし、その鬼門に当たる下河合村に瑞雲寺定林寺を建立した。頼貞は高僧仏光国師を開山とし、天下の名僧を招き、全国十名刹中八位に数えられるほどの寺にし、七堂伽藍を集落に点在させる形で二十余年の歳月をかけて完成させた寺であったとのこと。戦国の世、甲州武田軍に焼き討ちされ定林寺は消滅したが、百余年後に住民の思いが実り、観音堂が再建されて、いつしか寺域一帯を定林寺と呼ぶようになったとのこと。
昨日・今日と、「定林寺まつり窯元めぐり」というお祭りでした。定林寺地区は陶磁器の産地で、多くの作家・窯元があり、窯元の軒先販売や工房見学、また、地元の人々の各種バザーと、区民手作りのお祭りでした。
○高山城址:
土岐高山城は、美濃源氏土岐氏の居館(浅野館(土岐市肥田町浅野)・大富館)を守備する要塞として土岐氏一族の高山伊賀守秀頼により創建され、鎌倉・室町時代の統治の要となった。戦国時代には織田信長と武田信玄の天下取りの激しい戦いがこの地で繰り広げられ戦火の嵐に巻き込まれ、関ヶ原の合戦の後、一国一城令により高山城は廃城になったとのこと。
○下街道と高山宿:
下街道は、中山道の大井宿と大湫宿の間にある槙ヶ根追分(恵那)から名古屋城下を結ぶ中山道の脇街道で、中山道よりも峠が少ないため利便性が良く、善光寺参り、御岳参り、伊勢神宮参りの人々に加え、信州、美濃、尾張からの荷物が牛馬によって往来したとのこと。 また、高山宿は、下街道十五里二日の行程の中間地点であったため馬継場、宿場町として栄えたとのこと。

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