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2017年04月27日18:15

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「ひとには聴きたい音しか聴こえない(坂本龍一)」

坂本龍一の新しいアルバム「async」を聴いた

単純にいえば「これは音楽なのか?」と思う作品があったり
率直に「これは好きだな」と思う作品があったりする

このアルバムを作った動機について
坂本が語っているテレビ番組を観た

「人間ってね 視覚でもそうだけど 見たもの聴いたもののなかから 馴染みのあるものだけをほぼ自動的に選別して観たり聴いたりしてるんだと思うんです」

「馴染み」というか
人間は観たいものしか見えないとおらはかねてから思っていたので
この坂本の発言には賛成である

いい例が読書である

欲しい知識や嗜好を充たさない書籍は
たいてい読まない
それどころか書店で手にとらない

それと同じで
音楽も同じだ
耳慣れた音質やリズムのものしか聴かない

だから
どうしても似た傾向の音楽しか聴かなくなる

それを「いい音楽だ」と思い込んでいる

しかしそれはいい音楽なのではない
「耳慣れているから抵抗なく聴けるだけ」のハナシである

このような傾向は
誰にでもある

それは保守的ですらある

イギリスの思想家マイケル・オークショットはこういっている
「道具の使用の本質は使い慣れることにある
 それゆえ人間は道具を使用する動物である限り
 保守的性向を有するのである」

それは道具に限ったことではない
見慣れないもの耳慣れない音に対しては違和感を持つ


彫刻家の岡本太郎は
「違和感が大きければ大きいほどぼくの芸術は活き活きと輝く」といった

渋谷駅の壁面に岡本が描いた巨大な壁画がかけてあるが
見慣れてしまい絵の訴えるものが見えてしまうと
あの壁画は面白味を失う

しかし
絵画は駅のコンコースで毎朝眺めるものではない

よってほとんどの絵画は違和感も新鮮さもたいていは失わない

ハナシを元に戻そう

坂本は新しいアルバムで実験を試みている

ひとつの音楽のなかに異なるリズムを嵌めこむ
或いは街で採取した音をインサートする
それを聴いたおれは
無意識のうちにそれを排除して
自分の求める音を探し始める

つまり
聴きたい音・聴きたいリズム・聴きたいテンポを自分のなかで構成しなおして
音楽を聴いているのだ


それは思想やイデオロギーも同じだ
読みなれた思想にひとは縛られる
見慣れたネットの書き込みに親近感を覚える

しかし
そこには「思考」が介在する場所はない
自身でかんじ自身で考えなくては
思想やイデオロギーは「無」に等しい

それはコピー&ペーストと同じだ

そして同じような書き込みを繰り返すのも
音楽の一部分をリフレインするだけと同じ
反復に過ぎない
知性も知識も必要ない

「ひとには聴きたい音しか聴こえない
 そして見たい風景しか見えない
 それは必ずしも美しいことではない」
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