■「ゲイは男性を襲う」根強い偏見…LGBT当事者に聞く多様性とはなにか
(BizLady - 04月25日 11:41)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=222&from=diary&id=4544020
多様性の称揚。これは、文化相対主義と通底するだろう。
例えば「信仰の自由」だ。
我々は、「在る国の最高権力者が、国教を侮辱する(と彼が見做す)書物の作者を殺せ」という指令
を出した時、我々は、というか、「他国、および、かの宗教をもたない人々」は、彼の命令について「彼と彼の国、国民にはそう考え、行動する権利と自由がある」と言うだろうか。
自分は、そのようには言わない。
その宗教によって、日本人が殺されたことを忘れることは、決してない。
彼の指令は邪悪であり、倫理に反し、彼を駆り立てた教えは「間違っている」と主張する。
「我々の教えは穏健」だと主張する人々は、「テロリストは一部の跳ねっ返りであり、教えを捻じ曲げている」と言う。
しかし、殺害命令を下したのは、テロリストではない。
彼が死んだ時、彼の国の民は悲しみ、葬儀の際、棺の蓋を開け、遺骸に触れようとしたのだ。
彼らが「殺害命令と彼の人格を別個に判定している」など、自分は信じない。
イラン人たちは、彼と彼のファトワについて、今どう思っているか、言え。
「信仰の自由」など、「世界の大勢が支持している」という、「多勢に無勢」への、そして「有名な宗教」への「こびへつらい」であり、「拝跪」である。
だから、それを支持している人は、「どんな教えも支持する」わけではない。
「バモイドオキ神」をもてはやしたり、それを流布しようとする者など、寡聞にして聞いたことがないではないか。
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