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2017年04月24日22:14

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東武特急「リバティけごん&会津」で行く会津の旅

21日の東武ダイヤ改正初日に続けて、土曜日には新型特急500系の「リバティけごん&会津」を利用して会津を旅してきました。

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今回の行きは、浅草7:00発の「リバティけごん3号」に乗車。土休日のみ運転の列車で、「リバティ会津」の併結がなく浅草出発当初から3両編成で走る数少ない列車です。
また、リバティは全ての列車で車内販売がなく、特急乗り場前では「次の列車は車内販売がありません」と強調しながら駅弁などの販売が行われていました。観光列車色が強い「スペーシア」と異なり、どちらかというとビジネス色が強いリバティですが、全列車は無理でも一部車内販売を実施する列車があってもいいのではと思いました。
ちなみに今回乗ったのは、500系のトップナンバー501Fでした。浅草発車後は、他の特急と同様にとうきょうスカイツリー、北千住に停車しましたが、自分の指定券と乗車位置を予め確認していない人が多いのか、停車してから慌てて入口にダッシュする人が多すぎます。列車の遅延にもつながるので、乗る前にはきちんと確認したほうがいいですね。
北千住までに満席にはならないもまずまずの乗車率になり、次は春日部に停車。ホームには登山者姿の人が多くいましたが、誰一人としてリバティに乗らなかったのが印象的でした。南栗橋乗り換えで急行を利用する可能性大でしょうね。
東武としては、そういう行楽客の特急への誘導を企んでいたようですが、厳しい見方をすればその企みが空回りしているようにも思えます。
その後は、栃木、新鹿沼に停車し、下今市で下車して、会津田島行きの普通列車に乗り換えました。
普通列車はダイヤ改正で浅草から撤退した6050系で、今後はしばらくこういう列車が主な活躍の場になりそうです。ボックスシートが沢山並んだ車内は、今となっては昔ながらの「汽車」の雰囲気が味わえる数少ない車両ですね。
また下今市は今後、8月に運転開始となる「SL大樹」の始発駅となり、転車台が作られていますが、同じく下今市でリバティけごんを下車して乗り換えた指原莉乃に似ていると言われると怒りそうなフランスに行った怖いお姉さんみたいな人が、見て非常に興奮していました。
なお、「SL大樹1号」の下今市発車時刻は、今回乗った普通列車の少し後の9:02を予定していて、乗ってきた「リバティけごん3号」はSLへの接続列車となります。もしかしたら、SL運転開始後に利用状況を見て6両化するつもりなのかもしれませんね。
鬼怒川線は単線なので、途中で交換待ちがあり、浅草行きの「リバティきぬ」とのすれ違いもありました。
また途中では、7月の開業を目指して東武ワールドスクウェア駅の建設が進められていましたが、まだホームの土台しかできていませんでした。
その後は、私も怖いお姉さんみたいな人も鬼怒川温泉で下車。
駅前にはSL転車台が建設中で、やはり怖いお姉さんは真っ先に向かっていました。
あと、足湯があるので待ち時間に使いたかったですが、私のしたことかタオルを忘れてしまいました。迂闊でした。
発車まではあまり時間がないので駅周辺を見るだけでした。
最後は駅前のお土産店でレモン味のパンを買ってから、野岩鉄道、会津鉄道経由の磐越西線喜多方行きの快速「AIZUマウントエクスプレス」に乗車。
使用車両は転換クロスシートのAT-600形で、関東地方に来る普通列車では豪華な部類に入る車両ですが、特急並みのリクライニングシートでもっと豪華なAT-700形があり、何故か会津鉄道方面でその車両を狙うとことごとく乗れないので、今回もそれでなかったのが少々残念です。
発車後に鬼怒川公園で、早速反対側の東武日光行きのAIZUマウントエクスプレスとすれ違ったのですが、そちらはリクライニングシート車が使われていて、さらにはアテンダント(しかも西野カナ系な人)まで乗っていました。一部列車にはアテンダントが乗って車内販売をしているそうで、同じAIZUマウントエクスプレスでこんなに格差があるのは遺憾です。
快速は、特急スペーシアきぬの到着を待って出発しましたが、特急からの乗り換え客が非常に多かったので、立ち客多数でラッシュ並みの混雑になりました。登山のような重装備の人が多かったです。また、私の目の前に整形前のスザンヌ(または七つの大罪のゴウセルの実写版)みたいな人も来ました。
鬼怒川温泉を出発して、東武鬼怒川線から野岩鉄道に入り、川治温泉などに停車。東京では散ってしまった桜も、ここでは今満開です。
その後、整形前のスザンヌ(または七つの大罪のゴウセルの実写版)みたいな人も含めて乗客の多くは湯西川温泉で下車し、そこから先は空席もぼちぼち見られました。
その後は、中三依温泉、上三依塩原温泉口に停車しました。上三依塩原温泉口はまるで早口言葉みたいな舌を噛んでしまいそうな名前の駅ですが、漢字のみを使用した駅名では日本一長いそうです。計画時の仮称は「上三依駅」でしたが、当時の国鉄会津線(現・会津鉄道)に読み方が同じ上三寄駅(現・芦ノ牧温泉駅)があるので、混同を避けるために「下野上三依駅」として開業しましたが、塩原を結ぶ道路が開通したのを機に塩原への玄関口であることを強調すべく「上三依塩原」と改称され、2006年にはさらに温泉郷を強調する現駅名に改称されたという歴史があります。
その後は、周囲に民家などが全くなく何故こんなところに駅があるのだろうという男鹿高原を通過して、会津高原尾瀬口に停車。
会津高原尾瀬口駅は昨年10月に浅草発の6050系野岩鉄道車の貸切ツアーで行った場所で、その際に駅横にあるSL転車台跡を見学しています。
ここから先は会津鉄道になり、長いトンネルが多かった野岩鉄道に比べるとトンネルがかなり少なくなり、山間部から田園地帯の風景に変わります。途中には、映画「スタンド・バイ・ミー」に出てくるような細い鉄橋もありました。
また、これまでは男鹿高原以外の各駅に停車していましたが、会津鉄道に入ってからは通過駅が多くなり、会津田島、会津下郷、塔のへつりにのみ停車して湯野上温泉に到着。

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湯野上温泉は茅葺き屋根の駅舎で知られますが、これは古民家を改造したものではなく、会津鉄道発足後に最寄の茅葺き屋根の建物が多数保存されている集落の大内宿をイメージして新築されたものです。待合室に囲炉裏も設置されているのが面白いですが、ただ格好いいから設置したのではなく、囲炉裏の煙で虫を寄せ付けなくする効果があることから、茅葺き屋根の防虫のためには必要不可欠な設備なのだそうです。
また、ここも駅前に無料の足湯がありますが、タオルを忘れたし買うのも面倒なので断念。
バスの発車を待つ間に、待合室で売られていた甘酒を囲炉裏の前で飲みました。
そして、12:05に広田タクシーの大内宿行きのバス「猿游号」に乗車。
レトロ調車両を使用していて、ネットや本などの情報だと黄色いボンネットバスが写っていることが多いのですが、今回はボンネットではないバスでした。
広田タクシーは、ボンネットバスやロンドンタクシーなど大小様々なレトロ車両を所有しているそうで、それぞれに宮沢賢治の作品の登場人物の名前が付けられています。今回乗ったバスは「マリヴロン」という名称です。また、今のバスはごく一部の例外を除いてワンマンが主流ですが、このバスはなんとツーマンで車掌が乗っていて、乗車券を買って乗る方式です。
車内の降車ボタンには何故か「須磨海浜水族園」と書いてあり、調べたところ神戸の街巡り循環バスで使われていた車両であることが分かりました。
バスは山道を上がって行き、20分ほどで大内宿に到着。冬は雪が深い場所のため、まだ雪が若干残っていて寒かったです。
ここは、会津若松と今市を結ぶ下野街道(会津西街道)の途中にある半農半宿の宿場町ですが、明治に入り新しい道(現在の国道121号線)ができたことでメインルートから外れ、その後は宿場から農村に転換し、昭和40年代まで世間からその存在は忘れられていたそうです。
途中に一見あぜ道にしか見えない細道があったのですが、それは旧街道だそうです。
再び注目を浴びるきっかけになったのが、武蔵野美術大学の相沢韶男名誉教授(当時は大学建築科4年生)がここを訪れた際に、江戸時代のままの街並みが残っていることに感動し保存を呼びかけたことだそうで、その後マスコミにも取り上げられましたが、一部の心無いメディアが超高層ビルなどを引き合いに出して、茅葺き屋根に住んでいる人は貧乏と馬鹿にしたことや、防火を理由に行政が補助金を出してまで茅葺き屋根の撤廃を進めていたこともあり、一時は屋根をトタン屋根に張り替えてしまう家が続出し、保存の動きは頓挫しかけたそうです。
保存の動きが本格化するのは、1981年に、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されてからで、以降は茅葺き屋根を復活させたり、茅葺き職人の育成や防火体制の整備など保存活動が確立されて現在に至ります。
茅葺き屋根の家が多数並ぶ光景は時代劇や昔話の世界そのもので、非常に圧巻でした。
まずは昼食にし、「分家玉屋」という店に入りました。もちろんここも茅葺き屋根です。ここはカフェのためか大内宿名物のねぎそば(箸の代わりに長葱で食べる蕎麦)はありませんが、絶対それを食べると決めていたわけではないので、数量限定の鶏せいろ飯にしました。
地元産米の上に会津地鶏の鶏肉が乗り、その上にネギがたっぷりとかかっていて、ボリュームも味もなかなかのものでした。味噌汁は具が多めでダイスカットになっているのが面白いです。お新香は漬物系だと恥ずかしながら残してしまうこともあるのですが、新鮮なカブでこれも美味しかったです。
カフェだけにケーキなどスイーツ関係も充実していましたが、今回は食事だけにしました。
食後は大内宿を散策。道の両脇は水路になっているのですが、ところどころに洗い場が設けられています。今も実際に使われていて、ここで飲み物を冷やしている店もありました。
次いで、蕎麦と酒の三澤屋を見ました。屋外で酒を売っていて試飲をさせてくれましたが、買っていません。そしてここには、三澤屋オリジナル商品のまたたび酒があります。またたびの実を漬けて作ったものだそうで、試したことはないけど猫が寄ってくるかもとのことです。28日に誕生日を迎える体長166cmの大きな猫にお土産で買って帰ろうかと思いました。
その後はある店の前に「美人専用」と書かれたテーブル席を発見。記念撮影している人が沢山いましたが、本当に美人がいたかについてはコメントを控えさせていただきます。あと、万が一美人じゃない人が座って写真をネットにアップしたら炎上してしまうのでしょうね。
その後は新しめの鳥居があったので、その先にある高倉神社に行ってみました。神社は集落の外れにあることが多いですが、この鳥居からはかなり離れた場所にありました。
あまり聞き慣れない神社名ですが、御祭神は後白河天皇の第二皇子・高倉宮以仁王で、源氏と平家が戦っていた時代の人だそうですが、平清盛が起こした治承三年の政変で後白河天皇が幽閉された後に、平氏討伐を企てるも失敗して討ち取られたと言われています。ところが、実はその後も生存して東国に逃れ密かに源頼朝や木曾義仲に指示を送っていたという伝説が存在し、ここはその際に潜伏していた場所の一つとも言われているそうです。源義経=ジンギスカン説や明智光秀=天海大僧正説にも通じるものがありますね。
神社には手水舎がなく、中を横切る水路に柄杓が置いてありました。かなり流れの早い水路で水はきれいでしたが、これを見た人が川の水で手を洗うなんて汚らしいとか小馬鹿にしていたのが残念でした。そして、この水路は農業用水にもなっているのか、あちこちで分かれているのが印象的でした。
その後は来た道を戻りましたが、途中に学校の校舎のようなものが見えたので近づいてみたところ、かつては小学校の分校だったようですが今は廃校になり、茅葺き職人の研修や体験施設として利用されているそうです。時々体験ワークショップが行われているようですが、今回は無人でした。

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その後は、正法寺横の坂を上がって大内宿見晴台に行き全景を眺めました。
世界遺産の白川郷合掌造り集落とは一味違った美しさがありますが、こちらは世界遺産を目指そうという話は特に聞きませんね。もっとも、世界遺産に登録されたところで観光客が異常に増えて環境が悪化したりという本末転倒な事態が起きている場所も多いので、無理してまでそういう道を選ぶ必要はないと思いますが。
見晴台を見終えた後は、弁財天の階段を降りましたが、これが非常に急で恐ろしい階段でした。階段の下には庚申塔などもありました。
その後は、美濃屋(名主阿部家)を見学。お土産店兼一般住宅ですが、一部の部屋を200円で一般公開しています。「博物館ではなくあくまで一般住宅なので解説はありません」とのことでしたが一応最小限の解説はあり、それによると建築年代は不明だけど、幕末期に建てられたと推定されるそうで、江戸末期には没落した本陣に代わり、参勤交代の時の大名の休憩宿にもなっていたそうです。
博物館だときれいに整備されてしまっていますが、こちらはほぼ手つかずで残されており、長い年月を経たことによる汚れなどが目立ち、それがかえってリアルさを増しているのが面白いです。
天井は非常に高くなっているほか、欄間の格子が矢の形をしているのが印象的でした。
また、明治初期に東北や北海道を訪れて「日本奥地紀行」という本を出版した英国人女性旅行家のイザベラ・バードが宿泊した場所で、入って一番最初の部屋に宿泊したとのことでした。当時は肌の色が違う人種が現れたことによる珍しさからなのか、障子に穴を開けて覗き見をする人が続出したそうですが、赤ワインを飲んでいるのを生き血と勘違いして震えあがったそうです。同じ部屋には戊辰戦争で使われた砲弾の実物も展示されていました。
次いで、しばらく町並みを見てから、大内宿町並み展示館を見学。江戸時代の問屋本陣を復元したものですが、当時の資料が残っていなかったため近隣の別の本陣を参考に再現したそうです。
当時の風呂や雪隠も再現されていました。
博物館なので当然展示内容は充実していますが、やはり前に見た美濃屋に比べるとリアルさに欠ける気がします。見学してから気づいたのですが、両方とも見るべきではあるけど先に博物館のほうを見てから美濃屋を見たほうが、知識を得てからよりリアルなものを見られるのでいいかもと思いました。
最後は、そば粉天饅頭を食べて湯野上温泉駅行きのバスに乗り、大内宿を後にしました。
帰りのバスの車内では、記念品にボンネットバスやロンドンタクシーの一覧の写真が掲載されたポストカードをもらいました。
湯野上温泉からは、会津若松行き快速「リレー117号」に乗車して芦ノ牧温泉に移動。「リバティ会津117号」から接続する列車です。
駅で売っていたカステラサンドを食べましたが、食用ほおずきジャム入りです。観賞用(有毒)に比べて中の実が大きいそうですが、実物は見たことがありません。味は例えにくいのですが苺のようでもあるしオレンジマーマレードのようにも感じました。
15分ほどで芦ノ牧温泉に到着。ここは猫駅長で有名になった駅ですが、猫の「勤務時間」内のはずなのに、無念にも猫はいませんでした。で、駅の人に一言聞いたら籠に入った猫を事務室内からカウンター越しに少しだけ見せてはくれましたが、見せてやったんだ感が漂っているし、改札を出たときもホームにいた職員に切符を見せたのに、売店のエプロンを付けた奴に「入場券がないとホームに入ることは・・・」と言われましたし、正直感じ悪かったです。また、初代猫駅長がフラッシュ撮影をする輩のせいで失明したため全面撮影禁止で、カメラをぶら下げているだけで悪者扱いして、分かっているのに撮影禁止だとケチをつけてくる職員もいました。猫の健康等を考えると、むやみに写真を撮りまくったり常に見せ物にしてはいけないのは分かりますが、感じ悪い接客は論外です。
また、観光地化されてしまったことで観光バスで乗りつける観光客も多いのですが、大人数で押しかけて待合室のベンチを集団で占拠したり大声で話し喫煙マナーの悪い団体と鉢合わせしてしまい、こいつらが明らかにタバコを吸ってはいけない場所でタバコを吸っているのもどうかと思いました(怒)。駅職員もそういう輩こそ注意すべきかと思うのですが、残念ながら注意する気配がなかったですし、もはやかつての素朴な田舎の駅の雰囲気はなく、ただの品のない商業施設に成り下がってしまった気がします。
そして、駅前にはラーメンなどで有名な牛乳屋食堂があり、そこの売店に立ち寄ろうと思ったのですが、ここの売店が15時閉店で、行ったら無念にもぎりぎりで駄目でした。そんな訳で、今回は芦ノ牧温泉に関しては大ハズレとしか言いようがありませんでした。
元々長時間の滞在は想定していませんでしたが、結局15分後の会津田島行きで早々と芦ノ牧温泉を去りました。

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芦ノ牧温泉からの普通列車は、今まで一度も乗ったことがなかったリクライニングシートのAT-700形で、ようやく乗ることができました。普通列車でありながらこれだけのハイグレードな車両は珍しいですね。ただし、朝にすれ違ったAIZUマウントエクスプレスのように西野カナ系なアテンダントは乗っていませんでした。
会津鉄道もそうですが、バスツアーでローカル線に短区間だけ乗車するコースも多く、そのツアー客のマナーの悪いジジババ集団に鉢合わせてしまいましたが、若干空いている席があり、後ろには整形前のスザンヌみたいな人がいました。
途中は、大川ダムや塔のへつり付近などの景勝を通過し、そこでわざと減速したりして撮影タイムが設けられていましたが、撮影時に走ったり押したり無理に割り込むなどジジババのマナーの悪さは度を越しており、心霊スポットとも言われている塔のへつりで奴等が撮った写真に霊が写り込めばいいのにと本気で思ってしまいました(怒)。
会津田島到着後は、帰りの特急「リバティ会津148号」出発まで約1時間半あるので、駅周辺を手短に散策。
まずは駅前のSL「C11-254」を見ました。実際に国鉄会津線で使われていたものだそうで、調べたら会津地区は東北地方では最後までSLが使われていた場所だそうです。会津鉄道にSLを走らせようという運動があり、単独での復活運転や東武のSL大樹を乗り入れるなどの構想があるそうですが、今のところ細々としか活動できていないようだし、東武からの直通だとトンネルが多い野岩鉄道を走行するのが難しいだけに、実現は遠いでしょう。個人的には会津若松で「SLばんえつ物語」(会津若松〜新潟)に接続して、SLだけを乗り継いで新潟まで行かれたら面白いとは思いますが。
その後は、古い街並みを眺めながら国道121号線を移動し、空き家と思われる石造りの建物や、7月に行われる会津田島祇園祭の屋台庫、屋台庫近くの水路と水門などを見ました。

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次いで、福島県南会津合同庁舎敷地内にある資料館として使われている旧南会津郡役所(明治18年/1885年築)に行きましたが、残念ながら16時閉館だったので既に閉館していました。
「郡」という行政単位は今は名前だけのものですが、明治維新〜大正時代いっぱいまでは都道府県と町村の中間の地方公共団体として扱われ、郡役所があって議会があって、議員や職員など働く人もいたそうです。今は都道府県の支所や出張所がその役割を担っています。
文明開化から明治20年代頃まで流行した日本式の工法をベースに洋風のデザインを取り入れた「擬洋風建築」の一種だそうで、エメラルドグリーンの壁色が特徴的です。今回はあいにく閉館後でしたが、いつか内部も見学したいです。
その後は、郡役所裏にある「南山六義人頌」という六地蔵と道祖神社を見ました。六地蔵は、1720年(享保5年)に起こった百姓一揆「南山御蔵入騒動」で犠牲になった6人を義民として讃えるために建立されたものです。
色々見ていたら丁度いい時間になったので会津田島駅に戻り、17:48発のリバティ会津148号を待ちました。
浅草到着は21時過ぎになるので駅弁を買うことにしたのですが、売店の閉店時間が迫っているので弁当全品半額になっていました。紙で包まれた本格的な駅弁風のがあったのでそれにしようと思ったのですが、ぎりぎりで買おうと思ったら売り切れてしまい、結局コンビニ弁当みたいな普通の見た目のものしか残っていませんでした。見た目はコンビニのものみたいだけど地元の店で作ったものだからそれなりに美味しいし、移動中の車窓を眺めながら食べれば、雰囲気はよくなりますね。
会津田島を出発後は下今市まで各駅停車です。下今市までしか乗らない場合は特急券不要(但し指定券を持った人には譲らなければいけない)なので、下今市からの特急券だけ買えばいいじゃないかということにもなりますが、リバティ登場で導入された規則によると、下今市以降も乗る場合は最初から特急券を持っていないと駄目とのことです。車内検札があって乗車券を見られるので、インチキをしようとしてもばれてペナルティを受けるだけです。ただ、抜け道はいくらでもありそうなので、このグレーゾーン的なシステムが原因のトラブルが起きるのではないか心配です。
また、車内表示器に停車駅などが表示される際に、駅名の後ろに野岩鉄道と会津鉄道のロゴが表示されるのが面白いです。東武線内ではこの部分に駅ナンバーが表示されます。
そして、行きは快速が通過していた秘境駅とも言われる男鹿高原にも特急でありながら停車しました。元々1日平均乗降客数が1人を切っていることもあって、乗降客はいなかったようです。
そして下今市では、東武日光発の「リバティけごん48号」との併結が行われ、ここから浅草までは6両編成になります。

せっかく乗ったからにはこの連結の様子も見ておこうと思い、下今市停車中に動画撮影しました。
数センチ単位での細かい作業が求められるだけになかなか慎重な作業ですが、車外からの無線での指示とうまく連携して3分程度で連結完了。
その後は、主要な特急停車駅に停車して、21:15に定刻通りに浅草に到着。運転開始から2日間で3回リバティに乗った物好きは私くらいかもしれませんが、これから末永く繁盛することを祈りたいです。あと欲を言えば、スペーシアには適用される平日料金や午後割・夜割などの割引料金適用などで特急料金はもっと安くした方がいいかと思います。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
(1)https://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40513057.html
(2)https://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40513094.html
(3)https://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40513125.html
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