■14歳藤井聡太四段、羽生三冠破る 将棋の非公式戦
(朝日新聞デジタル - 04月23日 23:33)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4541779
「藤井聡太四段 炎の七番勝負」と「羽生善治四段 タイトルホルダーに挑戦・五番勝負」
昨年10月に史上最年少となる14歳2カ月でプロ入りを果たした藤井聡太四段が
7人の棋士と対決するAbemaTV将棋チャンネル特別対局企画
「藤井聡太四段 炎の七番勝負〜New Generation Story〜」が
3月12日の19時(19:00 〜 21:50)からスタートした。
→AbemaTV将棋チャンネル
放送日程と対戦相手は次の通り。
第1戦(3月12日):対 増田康宏四段
第2戦(3月19日):対 永瀬拓矢六段
第3戦(3月26日):対 斎藤慎太郎七段
第4戦(4月2日):対 中村太地六段
第5戦(4月9日):対 深浦康市九段
第6戦(4月16日):対 佐藤康光九段
第7戦(4月23日):対 羽生善治三冠
よくぞこのような絶妙な組み合わせにしてくれたものだと唸りたくなるような素晴らしい編成。
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戦後では、1946年に新大阪新聞(毎日新聞系)の企画で「木村・升田五番勝負」、
1948年に朝日新聞の企画で「塚田・升田五番勝負」が行われており、
外部の企業が企画した公式戦以外の人間同士の対局としてはそれ以来のものとなるのだと思う。
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羽生善治三冠が四段になった時も、将棋世界誌上で特別企画の対局が組まれた。
それが将棋世界1986年3月号から始まった「天才少年激突三番勝負」で、
1985年6月に17歳で四段となった阿部隆四段と1985年12月に15歳で四段になった羽生善治四段の三番勝負。
この時は羽生四段が2連勝している。
→羽生善治四段(当時)四段昇段後の初めての対局
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そしてこのほぼ1年後、将棋大賞新人賞を受賞した羽生四段の
「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦」が将棋世界1987年6月号から始まる。
羽生四段が時のタイトルホルダー全員と対局するというもので、
第1局 対 中村修王将・・・・・・・・・・羽生四段の勝ち
第2局 対 桐山清澄棋聖・・・・・・・・羽生四段の勝ち
第3局 対 高橋道雄王位・棋王・・・高橋二冠の勝ち
第4局 対 福崎文吾十段・・・・・・・・羽生四段の勝ち
第5局 対 中原誠名人・・・・・・・・・・羽生四段の勝ち
と、羽生四段が4勝1敗という見事な戦績を残している。
以上、将棋ペンクラブログより。
さて、その後30年間で、公式戦の対戦成績はどうなったのかといえば
羽生対 中村修 ・・・羽生 の11勝2敗
羽生対 桐山清澄・・・羽生の9勝1敗
羽生対 高橋道雄・・・羽生の23勝2敗
羽生対 福崎文吾・・・羽生の9勝1敗
羽生対 中原誠 ・・・羽生の19勝10敗
となっている。(データベース【玲瓏】より)
中原以外の4人の対戦成績は、羽生の42勝6敗 で、勝率が0.875という一方的な数字だ。
対中原でも、羽生の勝率は0.655・・・つまり2勝1敗ペースだった。
「藤井聡太四段 炎の七番勝負」は、藤井四段の6勝1敗だった。
増田四段○
永瀬六段●
斎藤七段○
中村六段○
深浦九段○
佐藤九段○
羽生三冠○
「永瀬拓矢六段の白星が光る」という表現が的確になる程藤井四段の凄い勝ちっぷりだ。
「炎の七番勝負」は、非公式戦で、2月に収録済みだが、
昨年度新人王の増田康宏四段
タイトル挑戦経験のある中村太地六段
B1リーグ昇級を1位で決め、
4月25日の棋聖戦挑戦者決定戦を制した、斉藤慎太郎七段
A級の実力者深浦康市
A級の佐藤(康光会長・・・3月にNHK杯優勝)
A級の羽生(言わずと知れた覇者・・・王位・棋聖・王座の三冠)
を撃破している。
既に、A級上位の実力があるし、タイトルを獲っても可変しくない!
将棋界の常識を覆し続けてきた羽生3冠は、
藤井四段棋士との対局後「すごい人が現れた」と言った。
同じく、元中学生棋士で、藤井四段と対局した加藤九段も、
「自分が四段の時よりも強い」と言っている。
羽生三冠も「自分が四段の時よりも完成されている」と言う。
プロよりも強いコンピュータソフトの登場や
スポンサーである、新聞出版業界の不振の影響で
将棋界は、斜陽産業だと言われるが、
人間同士の指し将棋の魅力は、全く衰退しない、
AI にはない魅力があると思うからだ。
乗り物のスピードがいくら上がっても、ウサインボルトの記録が色褪せることがないのと同じだ。
羽生のプロデビューから、30年を経て、本当に楽しみな才能が出てきてくれた。
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