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2017年04月23日18:40

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魔女観の違いというか、文化の違いというか

以前、東方Project関連の影絵がニコニコ動画で人気を博し、YouTubeに転載されて世界の知るところとなり、
米国のTV局までが番組で話題に取り上げたことがあった。

この時、おそらく敬虔なクリスチャンと思われる同局のアナウンサが、
作中に登場した魔女(霧雨魔理沙というキャラクタ。ステレオタイプのとんがり帽子+箒といういでたちをしている)を見て取り乱し、
番組中にも拘わらず魔女に対する個人的な嫌悪の情を吐露して話題になったことがあった。

その時、

「日本と欧米(あるいは米)とでは魔女に対する認識がかなり違うのだなあ。
向こうは伝統的に魔女とは信仰を脅かす存在であり、教会の敵であった名残がまだある。
日本にはそういう背景なしにキャラクタとして伝わったものなので、嫌悪感はほとんどないようだ」

という感想を抱いたものだが、
他の作品に関してもちょっと似たような思いを抱いたので記しておく。



任天堂のゲームに登場するキャラクタに、魔女アシュリーというものが存在する。

そのゲームを実際に遊んだことはないので詳しくは知らないが、
年端もいかない女の子だが、性格はキャラクタとしての魔女を、幼さを考慮して調整した感じのものらしい。

このアシュリー、作中ではテーマソングがあって、アシュリーの登場場面ではそのテーマソングが流れるというが、これが英語版と日本語版とでかなり内容の違うものになっているそうだ。



という訳で調べてみたところ、なるほど確かに違う。

どう違うかというと、日本語版は幼さを前面に押し出しているのに対して、
英語版は幼くとも魔女ということを前面に出している印象がある。

以下、引用の範囲を超えない範囲で記していきたい。



日本語版の歌詞は冒頭、アシュリーの自画自賛から始まる。

コーラス「世界一、皆の人気者」
アシュリー「それは彼女のこと、アシュリー」
 ※歌では、似たような内容をもう一つ重ねる

としておいて、その後続くのは、

アシュリー「ナワ・ブナ・ヌー、笑いの呪文」
アシュリー「ジオ・イラ・ウン、何の呪文?」
アシュリー「イオ・ディ・エム、覚えられない」
アシュリー「ああ、いや、退屈!」

と、魔法が覚えられずに投げ出す様子で幼さを演出している。



この点は英語版も似ていて、

コーラス「Who's the girl next door living in the haunted mansion?」
 (お化け屋敷の住人、お隣の女の子どなた?)
アシュリー「You'd better learn my name, 'cause I am-- Ashley!」
 (私の名くらい覚えておきなさい、私はアシュリー)

としておいて、その後、

アシュリー「 Eye of newt, I cast a hex on you.」
 (イモリの目、お前に呪いをかけてやる)
アシュリー「Grandma's wig, this will make you big.」
 (婆様のハゲ隠し、巨大化の魔法)
アシュリー「Kitten spit, soon, your pants won't fit.」
 (子猫のつばき、ズボンが合わなくなる魔法)
アシュリー「Pantalones giganticus! Oh, no! Not again...
 (パンタロネス・ギガンティクス! ああ駄目! 失敗はもういや……)
 ※ "巨大ズボン"をラテン語風に言い換えたもの

と、未熟な魔女であることを演出している。

一方でこの歌詞を見れば分かるように、「笑いの呪文」などという生易しいものではなく、
呪いをかけるとか何とか、結構恐ろしいことを言っている。
(特にズボンが合わなくなる魔法の恐ろしさには戦慄を禁じ得ない)



また、その後日本語版では景気のいいことを言いながら、

アシュリー「夜空の海、数多の星、いつも独りきり」
アシュリー「皆と仲良くしたいの。どうしたらいいの」

と、孤独の寂しさと無力感とを訴えているのに対し、英語版では、

アシュリー「I'm a slave to my spellbook, and yes it's true, I don't have as many friends as you」
 (私は本の虫で、そう、確かにお前ほど友達はいない)
アシュリー「But I think you're nice, and maybe we could be friends.」
 (でもお前はいい感じだから、友達になれると思う)
アシュリー「And if you say "no", you're toast!」
 (嫌だと言うなら、トーストにしてあげる)

と、孤独の寂しさを訴えるまでは同じだが、思い通りにならないなら丸焼きにすると脅迫している。


ほかにも、多分にアシュリーの自画自賛を含むとはいえ、

「お前は魔法薬の材料にちょうどいいかもしれない」

とか、

「宿題の片手間に世界征服する」

とか、

「先生を匙に変える」

とか、結構物騒なことを言って魔女らしさを演出している。



また、これは聴いてみて思ったが、歌い手の声の選び方もそうかもしれない。
日本語版は幼気で無垢な幼女といった風情の舌足らずの澄んだ高音を採用しているのに対し、
英語版はやや語気の強い感じの、かすれ声の低音を採用している。



日本語では、魔女は魔女だがまだあどけなくてかわいい個性としてのアシュリー。
英語では、まだ幼いものの魔女は魔女であるという魔女としてのアシュリー。

キャラクタ付けには文化的な受けの良さが反映されるのだろうから、
この辺の違いはそういった文化的な違いに根差しているような気がする。

ちょっと面白い。
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