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2017年04月22日12:57

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「戦争放火」したのは中国共産党の犯罪テロ性質!

■国会議員の靖国参拝、中国外務省が批判「一貫して反対」
(朝日新聞デジタル - 04月21日 21:07)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4539501

「通州の邦人大虐殺」
http://m.youtube.com/watch?v=AjDJzO_SRfE&sns=gr
〔フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ記者「Behind the News in China」〕
「蒋介石がソ連の要求に屈し対日戦の実行に同意した,との報を得て支那共産党は狂喜した」
「在支日本人を殺せばよい.ことに,それを日本人に限るならば,日本以外の国が干渉する心配はない.日本は面子を保つべく,行動に移るであらう.さうなれば蒋介石も戦はざるをえない‐」
「かくして蒋介石が軍備建設に腐心している最中,大規模な日本人虐殺が次々に発生する.北支の私の住居から百五十マイルの範囲内で,老幼男女を択ばず約二百名の日本人が虐殺された」
「ことに一九三七年七月二十九日未明に起つた通州事件は,平素から日本人を含む一般市民の護衛に任じ,その信頼を得ていた支那兵が,その信頼を裏切って日本人二百六十名を一挙に惨殺した」
〔チャールズ・キャラン・タンシル教授「戦争への裏扉」〕
「日本でなく,中国が戦闘勃発を準備していた」
〔国際連盟「リットン報告書」〕
「日本は,シナの無法律状態により他の何れの国よりも苦しみたり」
「シナが過渡的な時期に必然的にともなう政治的紛糾,社会的混乱,分裂的傾向を有する発展途上国であることについても略述した」
〔ジョン・マクマリー「平和はいかに失われたか」〕
「ワシントンで合意した九カ国条約の諸条例を無視した中国の政策とそれに迎合した米国の政策がワシントン体制を崩壊させ,日本の武力行使を招いた」
〔1981年12月8日付アメリカ連邦議会記録E5664頁-パーシー・L・グリーヴス議員(共和党)〕
「一九三一年,共産主義を吹き込まれた中国人の秩序無視の振る舞いから満州での権益を守ろうと日本が躍起になっていたとき,スティムソン氏は国務長官として,アメリカによる日本への制裁を求めた」
「その結果,日本は極東地域でソヴィエト連邦相手に孤軍奮戦せざるをえなくなった」
〔クリストファー・ソーン教授「満洲事変とは何だったのか」〕
「互いに相手を出し抜こうとする国民党内部の派閥間抗争は,さらに排外熱を高めた.北京その他の反国民党の軍閥もまた,この国民感情の動きを利用しようとした」
「ワシントン条約の政治的前提や漸進主義的傾向に対する中国民族主義者のこのような攻撃は,その多くはソ連から刺激を受けたものだった」

沖縄への間接侵略が進行…中国人工作員は県民になりすまし「沖縄独立」反日反米煽動!
http://m.youtube.com/watch?sns=gr&v=c9VtrsRXEds
〔「張作霖爆殺事件の真相」井星英・日本文化大学教授「藝林」昭和五十七年十二月号〕
「河本大佐は,次のごとく語る」
{平野記録}
「さて,久し振りに満洲に来て見ると,今更の如く一驚した.張作霖が威を張る一方では,排日が到るところに行はれ,全満に蔓延っている.日本人の居住,商租などの既得権すら,有名無実に等しい」
「日清,日露の役で将兵の血をもつて購はれた満洲が,今や奉天軍閥の許に一切を蹂躙されんとしてゐるのであつた」
「つづいて河本大佐の慨嘆は,張作霖による満鉄包囲計画,英米資本の導入,日本の経済開発妨害,郭松齢事件に関する忘恩的態度等に及ぶのであるが,しかしそれらはかならずしも河本大佐ひとりのそれにとどまらず,当時の日本人一般の批判として」「東方会議に反映されたのであつた」
{関東軍高級参謀補佐-川越中将の手記}
「-着任後まもなく参謀室で河本大佐と二人きりの時,私は『満蒙の日支懸案はいくつ位ありますか』と尋ねたら,大佐は
『二百七十三件あるよ.総てが日本との条約を無視して,張作霖が勝手に一方的に振舞つて実行してゐるのだ』」
{昭和3年4月4日磯谷大佐宛私信}
「満洲の現状は支那側益々横暴,実情に直面すると黙過し難きもの多し.而して其の原因は日本軍閥が余りに彼等を増長せしめた慊なきにあらず」
〔国際連盟「リットン報告書」和英両文〕
{渡部昇一「全文 リットン報告書」株式会社ビジネス社}
「この紛争は,一国が国際連盟規約の提供する調停の機会をあらかじめ十分に利用し尽くさずに,他の一国に宣戦を布告したといった性質の事件ではない」
〔『田母神論文を補足,援護する』小林よしのり氏「WASCISM」Vol.29〕
「満州には,日露戦争で国際法上合法的に得た権益に基づいて日本人が居留し,それを守るために関東軍が駐留した.日本は馬賊出身の張作霖を援助して満州の支配者に立て,満州の安定と権益確保を図った.後に皇帝溥儀を立てたのと似たような構図である.しかし張作霖は満州の支配者だけでは満足せず,北京を拠点にして中国全土の支配者となる野望を持ち,日本の言うことを聞かなくなったばかりか,公然と反日政策を採り始め,在留邦人が危険にさらされるようになってしまった」
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