mixiユーザー(id:52518783)

2017年04月21日08:53

144 view

世界を攪乱する「赤い妖怪」は“破壊”を喜ぶ!

■パリ・シャンゼリゼ通りで銃撃、3人死傷 容疑者は射殺
(朝日新聞デジタル - 04月21日 06:21)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4537922


国際赤魔陰謀!
http://m.youtube.com/watch?v=VD9JOUK_LAs&sns=gr
「一九ニニ(大正十一)年一月,コミンテルンの呼びかけで,極東諸民族大会に出席した片山潜や徳田球一らは,共産党の創立の必要性を説得されて五万円の創立資金を貰って帰ってくる」(兵本達吉「日本共産党の戦後秘史」新潮文庫)
「国家間の差別および民族間の敵視は,ブルジョアジーの発達とともに,通商の自由とともに,世界市場とともに,工業生産およびそれに対応する生活関係の一様化とともに,もはや次第に消滅しつつある」(「共産党宣言」角川文庫)
「最初のボリシェウ゛ィキ革命は,この地上の最初の一億人を,帝国主義戦争から,救いだした.つぎにくる諸革命は,こういう戦争から,こういう世界から,全人類を救いだすであろう」(「レーニン三巻選集〈9〉」国民文庫)
「ボルシェウ゛ィキがロシアで権力を掌握したのは,ロシアを変えるためではなく,跳躍板としてそれを利用し,そこから世界を変えるためであったということを,いくら強く,あるいは頻繁に主張してもし過ぎることはない」(リチャード・パイプス「ロシア革命史」成文社)
「ローズウ゛ェルトの政策の別の面が,ナチスがワルシャワの外務省の廃墟となった建物の文書庫から略奪したポーランド側文書によって明らかにされた」
「一九三八年一一月,彼の個人的友人で駐パリ大使のウィリアム・C・ブリットはポーランド側に,大統領の願いは「ドイツとロシアが殴り合いになり」,そこで民主主義国家がドイツを攻撃し,これを降伏させることである,と仄めかしていた」(David Irving「ヒトラーの戦争」ハヤカワ文庫)
〔1981.12.8付連邦議会記録EE5768頁-P.L.グリーヴス議員〕
「そして一九三五年七月十九日,ウィリアム・C・ブリット前駐仏大使はコーデル・ハル国務長官に予言めいた公電を送っている‐
「アメリカと日本が開戦することをソウ゛ィエト政府は切望しています…日本と開戦すれば,ソウ゛ィエトが同盟国になるかもしれないということは,願っていれば,いずれ願いどおりになるということです.日本の敗北が決定的になるまでは腰をあげないでしょうが,日本の敗北が決定的になれば,ソウ゛ィエト連邦は機に乗じて一気に満州および中国のソウ゛ィエト占領地区を手に入れようとするでしょう」(ジョン・コールマン「真珠湾コンスピラシー」成甲書房

「反ファシズム」ソ連侵略主義!
http://m.youtube.com/watch?v=VD9JOUK_LAs&sns=gr
「一部の地域,とくにバルト諸国では“ユダヤ人の問題”はすでに一九三九年以降解決されていた.ドイツ側の報告によると,一九四○年にソ連がリトアニアに侵入した二日後,すべてのその土地の実業家は
「きれいにしてやるから」
午前七時に通りに出るよう命令された」
「するとロシア軍は彼らを機関銃でなぎ倒し,他方ユダヤ人だといわれる人民委員たちが彼らの商売を取り上げて国有化してしまった」
「-だが,ヒトラーが一九四一年一一月三○日にユダヤ人の“抹殺”を行なってはならないと命令した動かしがたい証拠がある」(デウ゛ィッド・アーウ゛ィング「ヒトラーの戦争」ハヤカワ文庫)
「ユダヤ人ボリシェウ゛ィキは,彼らのイデオロギーの棲み家を革命的普遍主義のなかに見出した」
「これらのユダヤ人は,居住制限地域のユダヤ人の限定された社会的,宗教的,文化的生活から,全く故意に,そして意識的に,絶縁し,ユダヤ人の社会主義者とシオニストの世俗的文化を攻撃した」
「ユダヤの宗教儀式への迫害は,ユダヤ人社会民主主義者の党であり,一九ニ一年には共産党に合同したブントに委ねられた.ブントの党員は,ボリシェウ゛ィキと同じように宗教を軽蔑しており,シオニズムをとりわけひどく嫌っていた」
「彼らは,ユダヤ性からの逃避を共産主義のなかにみた背教者であった」
「トロツキーは「ユダヤ人の訪問団が同胞ユダヤ人の援助を訴えたとき,彼は「私はユダヤ人ではなく,インターナショナリストだ」と,怒って応答した」
「もう一人のユダヤ人共産主義者カール・ラデックは,ドイツ人ジャーナリストに,あらゆるユダヤ人を「絶滅」したいと,打ち明けていた」(リチャード・パイプス「ロシア革命史」成文社)
「「レーニンの息子たち」のうちの約二○名を引き連れて,サムエリ・ティボルはハンガリー赤軍によって占領された最初の町ソルノクに行き,民族的観点からも(ルーマニア政権はボリシェウ゛ィズムに反対していた)敵と見なされるルーマニア人との協力のかどで非難さるべき名士を数多く処刑させた」
「クーン・ベラは,食糧補給にやってきた五○○○名のポーランド系ユダヤ人を一網打尽にさせた.彼らの財産は没収され,彼らは追放された」(ステファヌ・クルトワ,他「共産主義黒書-コミンテルン・アジア篇」恵雅堂出版)
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する