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2017年04月11日05:35

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4月11日

陸軍現役将校学校配属令公布。中学校以上の公立学校で軍事教練を開始:大正14年のこの日。大正14年4月11日に、「陸軍現役将校学校配属令」(大正14年4月11日勅令第135号)が公布された。同令によって、一定の官立又は公立の学校には、原則として義務的に陸軍現役将校が配属された。私立学校については任意的であった。なお、配属将校は教練に関しては学校長の指揮監督を受けた。学校教練とは、大日本帝国の学校における教練をいう。「教練」とは教えて熟練させるの意。軍事教練ともいう。大正14年から行われ、これによって配属された陸軍現役将校を一般に配属将校という。学校教練を履修した者は陸軍では幹部候補生(学校教練制度設立当初は一年現役兵)を命ぜられる資格を得るなどの特典が設けられた。明治19年頃、文部大臣森有礼の提唱によって学校に兵式体操が採用されたが、本来の精神とは乖離し、形式に流れ、神髄が失われかけていた。大正3年に第一次世界大戦が勃発し、各国で国民教練の機運が高まり、日本においても国民の心身を発達させ、資質を向上させ、国力の根幹を養い、国運を隆盛し、その基礎を固くすることが必要であると叫ばれ、まずは学校における教練をより振作し、体育を促進し、徳育に裨益し、国防能力を増進することが図られ、現役将校を配属させることとなった。学校教練教材要目としては、各個教練、部隊教練、射撃、指揮法、陣中勤務、手旗信号、距離測量、測図学、軍事講話、戦史などで、教材の配当は学校の程度に応じて差異があった。本制度設立の目的としては、主に次の点が考えられる。総力戦であった第一次世界大戦の経験に鑑みて、広く軍事的予備教育を施す必要が認識された。宇垣軍縮により剰員となる相当数の陸軍現役将校の予備役編入(失業)を防止し、補職を確保する必要があった。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、大阪高等商業学校(現・大阪市立大学)の学校教練。
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