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2017年04月08日10:21
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March 28, 2017 ◎ David Wilcock : さぁ、『コズミック・ディスクロージャー』へようこそ。 司会の、ディビッド・ウィルコックです。 今回は、コーリー・グッドと共に、特別ゲストのジョン・リアをお迎えしてお送り致します。 ジョンは、リア・ジェットの発明者であるビル・リアの息子です。 最初の映像では、彼の生い立ちをご紹介します。 では、前置きはこのぐらいにして、早速、ジョン・リアの証言映像をご覧に入れましょう。 ▲ John Lear : 私の父はビル・リアで、リアジェットの発明者です。 私は小さい時から、航空の世界と関わりっきりでした。 様々な航空会社のパイロットとしても、世界中を飛び回しました。 1985年になって、それまで信じていなかったUFOの世界に関心を持ち始めました。 東南アジアのパイロット同窓会は、2〜3年おきにラスベガスで行われます。 そこで、ベントワーターズに駐留していた人と会話しました。 「あっ、それって、円盤が着陸したと噂になっている場所だね」と、私は言いました。 「噂じゃなくて、本当に着陸したよ。俺は見ていないけど、実際に見た人を知ってる。」と彼は言いました。 「それって、本当のことなの?」と私は言ったのです。 そこから、全てが始まりました。 真相を追いかけていくと、どんどん深みに嵌(は)まっていきました。 ◎ David : 次の映像からが、本番です。 ここでは、UFO書籍の古典的な話が出て来ます。 私がこれを読んだのは、恐らくインターネットが登場する前だったと思います。 インターネットがなかった時代では、UFO情報を手に入れるには、本屋でUFOの新刊本を見つけて来るしかありませんでした。 当然、そこで手に入った情報は、一年ほど前のものしかありませんでした。 その時のUFO関係の書籍に頻繁(ひんぱん)に現れる名前の一つは、ボブ・ラザールでした。 一体誰でしょうか? 次の映像で、彼のことが出て来ます。 見てみましょう。 【 あるインサイダーの誕生 】 ▲ John Lear : 私の話し相手の名はジーン・ハーフで、関税の査定官でした。 二人で、UFOの話をしていました。 近くに座っていたボブ・ラザールは呆れ顔で、「あんたらバカじゃないの?」と言い放ちました。 「俺はロスアラモスで働いていたけど、そんな秘密があったら、俺が知らない訳がない。」と、彼は捲(まく)し立てました。 「俺が、知らない訳がない!」。 そんな決まり文句は、腐るほど聞いて来ました。 よほど無知でないと、そういう言葉は使いませんよね。 ハハハ。 ともかく、夏の終わりまで、私達はボブに色々なことを聞かせました。 それで、ボブはまだロスアラモスで働いていた同僚に確認しました。 手応えがありました。 彼らは、確かに何かを知っていました。 そこでボブは、ロスアラモスで知り合ったテーラー博士に電話して、科学分野に戻りたいと告げました。 テーラーは、彼に聞きました。 「私と一緒に、カリフォルニアのリヴァーモアで働いてみる? それともネバダで?」 ボブは、「エリア51で働きたい」と答えました。 テーラーは「分かった。折り返しで電話するよ」と言いました。 それは、1988年10月のことでした。 それから、ボブは、その後の数週間に亘(わた)って、3つの面接を受けました。 最初の面接は、EG&G社(Edgerton,Germeshausen,and Grier)で、とある委員会から受けました。 彼は、全ての面接を難なくこなしました。 何しろ、科学に限って言えば、彼の職歴も大学での研究とかも、全て要件を満たしたのです。 二つめの面接で、彼らの冒頭の質問は、ジョン・リアとの関係でした。 ジョン・リアと一緒に、何かをしたのかと。 彼らは、間違いなく興味を示していました。 ボブはよく夜間にやって来て、たわいない世間話をしました。 ある時、彼は「今日円盤を見たよ」と言いました。 「何だって?」と、私は言いました。 「円盤を見たんだ。」 「彼らの? それとも私達の?」と、私は聞きました。 「彼らの。」と、彼は答えました。 「エリア51に行ったの?」と、私は聞きました。 「そうだよ。」と、彼は答えました。 そこで、私は言いました。 「だったら、ここで何をしてるの? あんたは監視されているはずだよ。彼らのもとでしばらく働いて、真相を見つけ出してから、話を聞かせてくれよ。」 彼は、言いました。 「ジョン、この数年間、あんたに黙って来たけど、本当のことをずっと打ち明けたかったんだ。俺は、その円盤の中に入ったよ。手で触ったし。おいらの乗り物ではないよ。どこか数十億光年先からやって来たのかも。それは、分かんないけど。」 私はそうやって、ボブと出会いました。 その告白の後、彼は数ヶ月間、色々取り計らってくれました。 円盤のテスト飛行の日を、教えてくれました。 大抵、水曜日の夜でした。 それで私達は車で出かけていって、写真や動画を撮ったりしました。 ある時、捕まってしまいました。 テスト飛行の現場で、警備員に車を止められたのです。 高速道路で、リンカーン郡の保安官に車を止められたのです。 「車から出ろ。手を上げろ!」、ということになった訳です。 その時、保安官達は、二つの疑問を持ちました。 一つは、乗っていたのが5人だったはずなのに、車を止められた後は4人しかいなかったのです。 実は、(車を止めた後直ぐ)、ボブは砂漠の中に走り込んだのです。 更に、彼らは聞きました。 「9mm拳銃は、どこへいった?」 そういえば、ボブは9mm拳銃を持っていると言っていました。 一時間後、名前を忘れましたが、保安官は「理由は知らないが、何も言わずにお前らを釈放してやれと指示されたのだ」。 そういって、行かせてもらいました。 私達は、そのまま無事家に戻りました。 翌朝、ボブは、上司のデニス・マリアナに言われました。 「ボブ、飛行場に行くな。インディアン・スプリングスに行くことになった。車で迎えに行く。」 インディアン・スプリングスは、今のクリーチ空軍基地です。 そこは、あらゆるテスト飛行に関する警備活動の中心地です。 ボブはそこへ連れて行かれて、車から出されて、耳元に拳銃を突きつけられて、こう言われました。 「ボブ、お前に機密情報取扱許可を与えたが、だからって、友人を連れて来て空飛ぶ円盤を見せていいとは言ってないぞ!」 ハハハ。 実はその時、ボブの女房は、彼女の飛行インストラクターと浮気をしていました。 ボブは知らなかったが、彼らは彼の電話を全て盗聴していた為、彼らは知っていました。 何もかも、盗聴されていたのです。 私の家も、ボブの家も、ジーンの家も、全てが。 彼らは、ボブにこう言いました。 「家族問題も人生も清算したら、いつでも戻って来いよ。」 でも、ボブは二度と戻ることはありませんでした。 彼はその理由を、こう語っていました。 エリア51に二度行ったはずなのですが、グルーム・レイク行きのボーイング737に乗って、飛行機を降りたことも覚えていたのですが、その間のことは、何一つ覚えていませんでした。 どういう仕事をしたのか、自分が何をしたのか、何も。 おかしいと思ったのです。 自分はどんな仕事を任されるのかを知りたかったが、彼らのマインド・コントロール技術は、あまりにも先進的過ぎました。 ◎ David : さて、先ずEG&G社ですが、防衛関連の請負業者ですね。 ★ Corey : EG&GはICC(惑星間共同複合企業)の一員で、あらゆるところに顔を出しています。 ◎ David : 彼らは、先進的な宇宙船のリバース・エンジニアリングと関わっているのですか? ★ Corey : ええ、様々な関連部品を手がけています。 ◎ David : 彼は、ロスアラモスにも触れましたが、「ただの核施設じゃないか。」と舌打ちする人がいそうですが。 あそこは、核兵器だけを扱っているのでしょうか。 それとも他に何か? ★ Corey : 違いますね。 そういう施設では、常に裏で何か別のプログラムを動かしています。 ボブ・ラザールが呆れ顔で「何か秘密があったら、俺が知らない訳がない。」と言ったのが、非常に目につきましたね。 FRB(連邦準備銀行)で働いていた時の出来事を、話しましょう。 空軍に8年間いた部下が、いきなり自分のデスク前から立ち上がって、私に向かって言い放ちました。 「UFOの試験飛行やリバース・エンジニアリングが行われたといういくつもの場所で、私は働いていましたが、もし、それが事実なら、私が知らない訳がない。」と、私を睨(にら)みつけて言ったのです。 私はただ、「へえー」と振る舞うしかありませんでした。 ◎ David : なるほどね。 ★ Corey : 当然のことです。 区分化されている為、これらの施設で働いている人は大勢いますが、彼らは真実を何一つ知らないのです。 ◎ David : ボブはエリア51に数回戻ったけど、そこでやった仕事を全く覚えていないと言いました。 マインドコントロール技術がそこまで進んでいるということらしいですが、となると、ロスアラモスでの体験までもが抹消された可能性はありますか? ★ Corey : 間違いなく、記憶を消されたでしょう。 彼らは、大分前からその記憶抹消技術を開発して、宇宙飛行士やSSP関連の人達に使っていました。 私達の初めての核開発計画でさえ、彼らの研究対象にされました。 彼らは化学薬品など、色々な手法で記憶消去の研究を人間に対して行いました。 つまり、これは第二次世界大戦時から始まっていたことです。 ◎ David : では、ボブ・ラザールのことを、詳細に紹介したいと思います。 彼の最初の証言は、非常に素晴らしかったです。 それが、私の人生を形作って来ました。 ジョンは、彼のことにさほど触れませんでしたが、ボブは、この世界での中心人物です。 先ず聞きたいのは、原子番号115の元素についてです。 ボブ・ラザールは、原子量115を持つ、途轍(とてつ)もなく重い超ウラン元素について証言しました。 それが、宇宙船の推進力の源だそうです。 あの本が出版されていた頃には、あの重さの元素を作れる人はいませんでした。 でも、ラザールはこう言ったのです。 一旦、原子量112、または113を越えると、その先は打って変わって、放射性元素ではなくなるそうです。 極めて密度の高い安定した元素になるので、陽子を打ち込めば、膨大量のエネルギーを作り出し、宇宙船の動力源になるそうです。 彼が言うには、小さな球体の中にこの元素115が三角形のように置かれて、ウェーブガイドという上向きのチューブが付いていて、それが宇宙船の推進システムだそうです。 このラザールの証言について、何かコメントできるものがありますか? ★ Corey : 推進システムと動力装置が同じだと、彼はそう言っているのですか? ◎ David : ええ。 ★ Corey : より高度な地球外宇宙船として考えれば、辻褄(つじつま)は合います。 でも、大抵の場合はベル型と同じく、トーション場を使ったエンジンで…… ◎ David : はい。 ★ Corey : 別の動力装置から、大量の電気をこれらのトーションドライブに注入します。 ほとんどの宇宙船には、動力装置が3つついています。 ◎ David : その部分は、非常に重要ですね。 ラザールも、それについて言っていました。 この後で、もう少しそれに触れましょう。 原子量115のとても重い元素が、安定で非放射性になっていて、実際に手に持つことができて、命の危険はないって、本当? ★ Corey : 科学者チームと一緒の時、様々な宇宙船に居ましたが、壁に貼ってあった元素周期表には、112か114か118か、それ以上の元素数がありましたよ。 ◎ David : 本当に? ★ Corey : -- 頷(うなず)いて確認した -- ◎ David : それでは、次の映像で、今、私達が秘密宇宙プログラムと考えている原形の開発において、リアと彼の父親の航空企業が担った役割について見ていきたいと思います。 実に、興味深い内容です。 ご覧下さい。 【 SSP(秘密宇宙プログラム)とISS(国際宇宙ステーション) 】 ▲ John Lear : 1952年頃、父の会社は反重力技術に関連した重要な請負業者でした。 私はそのことを知っていました。 その関連資料も持っています。 残念ながら、父は秘密を黙っていられませんでした。 1953年になると、父はボゴタ(コロムビアの首都)へ行った時にUFOについて語り始めました。 父はあまりにも関わり過ぎた為、彼らは父をプログラムから追い出しました。 でも、父の会社、リア社はそのまま反重力関連企業としてプログラムに残りました。 それが完全に完成したのは、恐らく1956年だったと思います。 つまり、その時に私達は空飛ぶ円盤という、大層な物を手に入れたのです。 全ての秘密は、クェゼリン環礁にありました。 南太平洋で行われた打ち上げは、全てそれでした。 クェゼリン環礁にあるロナルド・レーガン弾道ミサイル防衛試験場では、打ち上げは一日おきに行われました。 いつでも搭乗できる宇宙飛行士は、今、1000人ぐらいはいます。 私の仕事は、ATS(Above Top Secret=トップシークレット以上)のものでした。 ロシアのロケットがISSに着くのに1時間しか掛からなかったのに、アメリカのシャトルがISSに辿り着くのに、48時間もかかるという矛盾が話題になっていました。 ISSから切り離されて地球に戻るのにも、48時間がかかったのです。 こっそり動画を見せてもらったが、ISSに着いたシャトルの扉が開いた時、シャトルの中の積み荷は半分しかなかったのです。 シャトルは、(宇宙空間で)秘密任務についた宇宙飛行士達に、果物などの腐り易い生鮮食品を届けてから、ISSで残りの積み荷を降ろしているのです。 また、ロシア側は、常にシャトルと同じ日にロケットを打ち上げます。 ロケットの中身は、シャトルに移されます。 シャトルが地球に戻る時、二日もかかった理由は、ロシア側からもらった荷物を、各宇宙ステーションに届ける為でした。 それを知ってから、冷戦について考えてみました。 冷戦なんて、全くのデタラメではないのか? 冷戦なんて、最初からなかったのでは? アメリカは、いつだってロシアと同盟を組んでいたのです。 ◎ David : 手始めに、ジョン・リアは、父親の航空企業が反重力の開発を任されていて、少なくともその任務を担う一企業であると語りました。 ★ Corey : ええ。 ◎ David : なのに、自分の会社が関わったままで、本人だけが実質的に反重力研究から排除されました。 そして、空飛ぶ円盤を手に入れたのは、1956年だと彼は推測しました。 貴方の体験や背景からみて、彼のこの情報をどう思いますか。 ★ Corey : 彼の言った通りです。 トムキンズがやっていたように、彼らは情報を様々な技術者や企業に提供していたのです。 貴方も、そう思ったでしょ? ◎ David : トムキンズが運んだ、パッケージ(ファイル)みたいに? ★ Corey : ええ、パッケージと同じです。 ◎ David : つまり、パッケージの中に、反重力装置の稼働プロトタイプの青写真が入っていたりして、それをリバース・エンジニアリングする訳ですね。 ★ Corey : ええ。 例えば、五つの関連グループがあれば、それぞれ異なる技術者チームがいて、それなりに違う構想を出して来ます。 その五つの多少違う構想を、それぞれが独自に開発していくのです。 ◎ David : もう一つは、彼の語っていた時期です。 1952年から、プロトタイプが完成される1956年までですが、貴方がこの番組で言っていた時期とはかなり近いですね。 ★ Corey : そうですね。 多くの開発が行われていた時期でした。 ◎ David : 前に貴方は言いましたが、アメリカが独自の研究で、ある段階まで到達しました。 でも、そこで実質的に壁にぶつかりました。 その結果、1952年にワシントンDC上空のナチス離脱派による領空侵犯を許しました。 そして、反重力技術を完成させる為の技術供与をナチスから受ける為に、アメリカは停戦協定を強いられました。 この説は、今も変わらぬ真実ですか? ★ Corey : ええ。 続き → http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1959692370&owner_id=15834251
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