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2017年04月04日20:01

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矛盾した恐怖

先が見えない恐怖と先が見える恐怖というのがふと思い浮かぶ。

まず、先が見えない恐怖とは・・・。
予測ができないから対処できない。だから不安だというもの。
これは経験が不足しているとか、若いとかが理由となる。
これを払しょくするには、ひたすら想定をして、事前準備をしておけばいいとも言える。

次に、先が見える恐怖とは・・・。
これは想像がつくから、そのとおりにことが運び、どんな苦しいことやつらいことが起こるのかが事前に分かっていることからくる不安だ。
分かっていても、対処できないことを知っているから、悩む期間がかえって増えてしまうわけだ。
典型例は避けられない死に対する不安だろう。


ここで、先が見えないことに恐怖を感じるならば、先が見えたら、安心なのか?と思えば、そんなことはなく、反対に、先が見えるから不安であれば、先が見えなければいいのか?と思えば、そうでもない。
・・・だったら、どうしたらいいんだ?
と。
言ってることがおかしい。
両方ともに怖いというのであれば、どうしたらいいんだ?
と。


ここで、原点に戻る。
恐怖とは何か?
とある本を見たときに納得できる答えがそこにあった。
恐怖とは、大人たちが子供たちに植え付けるものなのだ。
生まれてきた赤子にとって、先が見えない恐怖とか、先が見える恐怖とかそんなものがまったくない。
あるはずがない。

では、いつその恐怖が生まれるのか?
と言えば、どこかの時点で、大人もしくは親が子供に囁くのだ。
これは怖いものだと。
恐怖というのは、代々、継承していく。
親が感じた恐怖を子供に伝えていく。
だから、恐怖は増え続けていく。減ることはないだろう。

親が貧乏で暮らしがつらくて、学歴に嫉妬していれば、子供にこう言うだろう。
「勉強しなさい。そうしないと将来、苦労するよ。」
と。
一面、正しい。
しかし、やたら、それを恐怖に変えて、不安がらせ、勉強させることに意味はあるのか?ということ。
能力を向上させるのに不安という感情を利用するのは、一番手っ取り早い。
ただ、その感情からは、楽しさは生まれない。
常に追われて、苦しい状況でも、さらにつらく苦しい状況にはなりたくないという落差からの安心しか生まれないのだろう。

だからと言って、楽しく勉強させるのは、怖がらせて勉強させるよりも大変だ。
教育者というのは、手腕が問われる難しい職業だろう。
(公務員で安定で教師になるというのは、論外だな・・・)



最初に戻って、2つの恐怖は作られたものだといえる。
いろんな例を考えたら、納得できる内容もあるだろうが、それでも、「人工恐怖」でしかないと思う。
そして、世の中、こういう「人工」のものが結構あるような気がする。
当事者は、自分がおかしいと気付けない。
誰からも干渉を受けていない人間でしか気付けない。
そんな人間はほとんどいない。
あえていうなら、世間に染まっていない子供ぐらいだろう。

精神的に弱っている人間には、その感情が人工的で矛盾しているものだったとしても、理解はできない。
そして、逆に弱っている側の立場を理解してくれないと感じるだけなんだと。
ここが難しいところなんだろう。
自分が弱っているときは、どうしても、受け入れられない状況になっているものだから・・・。


人は大人になるにつれ、いろんな不条理を受け入れていく。
それが「人工物」なんだろうな。
そして、誰もが例外なく、同じように染まっていく。
意外と自分だけ悩んでいると思いきや、他人も同じことに悩んでいたりする。

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