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2017年03月27日18:15

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昭恵に対する重要な盲点。

「100万円」の授受があったのか否かについて、「渡した」「貰っていない」という、
嘘か本当かに目を奪われているのが現状だが・・。

実のところ、この点や関連する事項については意外な“盲点”がある。

ざっくり結論を言えば、

【昭恵は三度も講演を引き受け実施したにもかかわらず、
講演料の一切を受け取ってないとすれば、財政的に余裕がないとされている
森友学園に対して“財政協力”したことと同義であり、即ちその行為は“寄附”そのものである】

ということだ。

一見してこれは慈善的なもの・・とされ、そこには昭恵自身のキャラや
“健全っぽい”活動が「表面的な慈善行為」に映り、何だか良いことをしているように
解釈されがちだし、擁護する側の根底には大なり小なりこの部分から離れられない、
または否定したくないという心理作用が働いているのかもしれないが・・

先の「公人・私人」の定義に関連して、そもそもが「首相夫人」というとてつもない肩書きが
付いて回る以上、どんな内容の活動でさえも、招く側も出る側もそこに何らかの
「メリット」を考慮するものであるのが本質といえる。

これが福祉や公共的な慈善内容であるならまだしも、私学〜幼稚園の類は
「教育関連」であるという表面的な「公共性」と勘違いされる所に落とし穴があり、
昭恵自身も政府も大衆世論にも、その落とし穴にハマっている、ともいえる。

一方で、三度に渡って大阪くんだり出掛けて講演を行っているということは、
その時々にて何かの都合に合わせて学園に寄った・・
即ち「抱き合わせ」があった可能性を含めても、額の多少に関わらず、
純粋に「出張経費」=アゴアシ代が発生していて当然だ。

また、政府役人がお付きとして「公務」している以上、ここにも関連経費が発生しているわけで、
その掛かった経費が如何様であるかと、その経費が納税者国民にとって
納得いくものなのか否かについて、きちんと公開する義務が政府にはある。

役人部分は一旦横置きするとしても、極々一般的なイベント催事にて、
ギャラの内訳上でアゴアシ項目が除外されているなんてことは一切に渡り存在しないし、
慈善的催事であってもアゴアシ要素を勘案しないものなど有り得ないからだ。
つまり、大抵は「アゴアシ込みorアゴアシ別」という観点で予算を組むのが通例なんである。

これを、「私人」であることを背景理由として「ポケットマネー」から拠出したものなのか・・
そうであるなら、その出所については単に個人預貯金の類か否かについて、
追って探る必要性はあるわけで、はたまた、「公人」であることを背景にすると、
どこかしらからの「出所」があることが前提だが、ではその経費は
どこから拠出されているかについて、そこにこそ調査の必要性があるはずだろう。

そのからくりが明らかになることで、「100万円の寄附」と、対して学園側から支払われたとする
「10万円の謝礼金」との整合性が付いて来るわけであり。

その可能性の数々や、そもそもの定義辺りについて、とある憲法学者が
詳細に渡って論考を重ねており、例の「FAX」に関する疑義についてを含めて
連載を進めている最中だが、実に興味深い。

http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51853720.html

これらの観点に基づき詳細を明らかにすることは、囁かれている篭池氏に対する
部分的な罪状なんてものよりも、遥かに意義深く重たいものであるというのは、
何よりも「首相夫人」という、公私定義に問わない重大な責務であることに変わりがないからだ。

よって、昭恵の喚問の重要性というのは、籠池氏の説明に対する反論や反証だけでなく、
政府予算そのものについてのあり方如何と、昭恵における
「利益供与」の観点で検証する必要が大いにある・・ということだろう。


■4野党、昭恵氏の喚問迫る=与党は応ぜず―森友問題
(時事通信社 - 03月26日 13:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4496067
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