■パン屋「郷土愛不足」で和菓子屋に 道徳の教科書検定
(朝日新聞デジタル - 03月24日 23:23)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4494201
70年代、道徳の教科書らしきものはあったが、ほとんど使われなかった。
その代わり、自宅にあった「クオレ」をよく読んだ。
「近代国家」とか「国民」という「フィクション」を、どれだけ大衆に叩き込むか。
そういう「文学」だったけれど、恵んでもらった硬貨を、憤然として叩き返す「愛国者」
を、その気持ちを、自分は理解できなかった。
そのフィクションが「イタリア」だったからかどうか、わからないけれども、
「愛国」や「勤労」は、自分にはしみ込んでこなかった。
祖父母や父母の労働は別であって、なんというか、「働くこと一般への敬意」というものは、
涵養されなかったのである。
「ソフトをインストール」したところで、自分は駆動されなかった。
世には、人をラップトップと同じだとみなす人が、思ったよりも多い気がする。
何かあると「教育」が「躾」が、悪い、と。
「不良品」を、善悪の此岸に連れてくるのは、そんなものだろうか。
自分には、どうも信じられないのだ。
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