私は、どんな人生を送りたいか、と聞かれれば、自分らしい人生を生きたいなぁと、思いますね。
じゃあ、自分らしい人生とは、というと、僕が僕であることを実現したいのですね。
もう、他の誰でもない、自分自身は、どこにあるのか?
それは、自分の内にあるものですね。
僕は何のために生まれたんだろう、と思うとき、目をつぶって見えるもの、それが僕なのですね。
それは、他の人から見たら、つまらないものかも、しれませんね。
でも、それは、私にとっては、かけがえのないものであり、私自身なんです。
まぁ、こんな風な思索をするときは、ときにありますね。
ヘッセは、こんな感じの人でした。
若いとき、16歳くらいのときに、ヘッセを耽読した私は、ヘッセのこんなところに、惹かれたのかもしれないですね。
デーミアン、という作品があります。
ちょうど、こういう思索を巡らしている時期ですね。
ヘッセの名前でなく、別の名で発表された、この作品は、車輪の下、や、郷愁、のヘッセを知る人には、びっくりすると思いますね。
この作品は、ヨーロッパが、二度の大戦で、人類には理性はあるのか、と問いかけざるを得ない、深刻な事態に陥った時期を生きたヘッセの出した答えですね。
まぁ、二度の世界大戦を経験した、ヨーロッパは、かなりの危機に陥りました。
人類には、理性はないのか。
まぁ、あるわきゃないわな、と誰もが思いますもんね。
そんなときに、何を信じればいいのか。
そうなると、はなはだ頼りない存在ではありますが、自分自身を信じる以外にはないという結論に、ヨーロッパの知識人は至ります。
そうした人たちは、実存主義哲学と言われる人たちですね。
サルトルや、カミュのような、フランスが、盛んでしたが、もともと、フランスは、100人いたら、100通りの生き方をする国であります。
パリの女子高生は、およそ、同じファッションをしないですね。
それこそ、100通りです。
1万人で見たら、1万通りかもしれませんね。
パリジェンヌは、そうらしいです。
パリジャンも同様なようです。
実存の用語の、フランス語の意味には、馬鹿馬鹿しさという意味があるようです。
他の人から見たら、馬鹿馬鹿しいものでも、自分にとっては、かけがえのないもの、それが僕が僕であることですね。
まぁ、昔の日本も、結構、個性的な人はおりました。
吹けば飛ぶような、将棋の駒に、賭けた命を笑わば笑え、の歌なんか、実存主義哲学者より、よっぽど深く、実存主義を語っておりますね。
さて、ハイレゾ自然音に至る、私の人生は、まぁ、かなりのアドベンチャーでありました。
正直、今、ダウンする寸前でありますね。
ドラクエで言うと、HPやMPが、なくなる寸前で、宿屋に、無事、たどり着けるかというところですね。
ふー、こういうときは、温浴施設が一番です。
温泉のある国に生まれてよかったなぁ。
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