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2017年03月21日12:38

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キムタクがフーテンの寅になった日。

木村拓哉主演『A LIFE〜愛しき人〜』最終話で有終16.0%
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=4487089
このドラマについては、酷評と絶賛がはっきり分かれた。私は酷評派だが、その理由は、なにをやってもキムタクなどという低レベルなものではない。ドラマとしてはその設定がカオスすぎて破綻しているから。医療系ヒューマンドラマなのか、大病院の陰謀ものなのか、不倫なのか、訳あり男女のドロドロものなのか、混乱しまくっているから。さらに有名俳優の無駄遣いがあまりにも酷過ぎたから。新しいなと思えたのは、医学用語が字幕で出る、さらに手術シーンに現実の手術の様子かそうではないのかは不明だが、現代風のリアリズムがあったこと。しかし医療ドラマが得意なはずの脚本家・橋部敦子さんの作品にしては、とっちらかっていて、ウルさすぎる、彼女の作品世界はもっと静謐な質感にあるはずだ、これなら井上由美子さんだろう?と私は何度も批評を書いて来た。

そして世間には酷評が、それは低レベルから高レベルまで、ヒートアップするのに呼応するかのように、絶賛論が溢れ出た。しかしその絶賛派の批評の中身は、ドラマ批評としてはあまりにも偏差値が低いと感じられるものばかりで、メディアの絶賛も、これはSMAP解散のイメージダウンをなんとか免れたいというジャニーズ事務所に恩を売る?つもりなのか?と邪推したくなるほど、これも酷かった。

で最終回、感動した!涙が出た!という絶賛がネットにあふれたようなのだが、え?どこに感動したの?と私は聞いてみたいのだ。どこに涙ポイントがあったのだろう?

この最終回、冒頭の数分見ただけで、クライマックスの再手術には、マサオ(浅野忠信)がやってくるというのは小学生でもわかる、お約束だ。だから淡々とシーンは進み、キムタクはこの病院を離れ、またシアトルへ行くというラストシーンを見ながら、酷評派の私は、ああ、これはひょっとして?と思ったのだ。

それはマサオのキムタクへのセリフ、さんざんひっかきまわして、を聞いたときだった。

ひっかきまわす、そう、キムタクはこのドラマでなにをやったのか?不倫していた元カノのダンナ、幼なじみのマサオと再会して、かれらの夫婦仲をもどし、家族愛を再構築する、それが病院の発展にも寄与する、しかもそのあいだに何人もの重篤な患者の手術をし、元カノの脳腫瘍まで(専門外なのに!)をマサオと協力して、治すというスーパーマンでもできないような大活躍、しかも自分の得るものはなんだ?愛ではない、元カノはマサオと仲直りだし、木村文乃(彼女の好演だけが見ものだった)との、あるようなないような関係も発展はしない、とさんざん他人のために働いてまたヒーローはシアトルへと旅立つのだ。

これはなんだ?ヒーローものか?いや、ヒーローは確かにみなを、世界を危機から救う、しかしボランティアではない(笑)、その大活躍のご褒美としてかれはちゃんと愛=恋人をゲットできるのだ。キムタクのヒーローものの典型であった、HERO、あの検事だって、松たか子や北川景子とちゃんとメデタシメデタシになるのだ。それなのに、このドラマのキムタクはなにをゲットしたのだろうか?

そう、なにもゲットしない。愛さえも、だ。かれはさんざん他者のために働きながら、またサスライの旅に出るのだ。え。これって、フーテンの寅さんじゃないの?

停滞した葛飾柴又の日常を活性化するために、ぶらっと還ってくるフーテンの寅、さんざん周囲をひっかきまわし、混乱させたあと、みなを幸福にして、また旅に出る。香具師と医師のちがいはあっても、渥美清と木村拓哉のちがいはあっても、このドラマのキムタクはヒーローではなく、トリックスター、まさにフーテンの寅なのだ。

おそらく橋部敦子さんの狙いはそこにあったのかもしれない。だったら、『相棒』の杉下右京のような強烈な個性があったら、もっとドラマ全体が活きたかもしれないが、その個性づけが、キムタクではなく、浅野忠信にやられたものだから、ドラマとしては求心力がなくなり拡散ばかりすることになってしまった。これはプロデューサーと演出家のミスだろう。

フーテンの寅という役割が、これからのキムタクの俳優としての新しい魅力になるかどうかはわからない。まだ見極める時間が必要だ。公開間近の映画『無限の住人』のキャラが、あの『安堂ロイド』の時代劇版だと見ることもできるのだし。

そういう視点や考察もなく、ただ感動しただけでは、ドラマを本当に見た、とはいえないのだ。


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