携帯電話弄ってたし、車も乗っていたし、正確な時刻は取得できたはずなのに、何をいつやっていたのか、どうしても思い出せません。
ただ、ひたちなか市内の勤務先から大洗町のアパートまで何とか戻ったら、防災同報無線の嵐だったのは確かです。
まるっきり新人の(とは当時知らなかったけど)増田消防士が、最初は
「緊急避難命令、大至急高台へ避難
して下さい」
と放送していたのが
「緊急避難命令、大至急高台へ避難
せよ!」
と命令口調となり、最後には
「緊急避難命令、**町から**町より海岸よりの住民は大至急高台へ避難せよ!」
と狙い撃ちの放送に変わったのは記憶の隅に残っています。
自分が住んでいたのはその”高台”だったので(標高26m)、同報無線に神経を集中していませんでしたが、その後翌朝まで津波第6波、第7波…と来週の度にひたすらなり続けたサイレンは忘れようが有りません。
幸いにも大洗町内では津波による犠牲者は有りませんでしたが(魂消て転んで亡くなられた方が一名いました)、改めて犠牲となられた皆様のご冥福をお祈りします。
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