mixiユーザー(id:64568716)

2017年03月10日22:25

261 view

教育勅語(きょういくちょくご)とは・・・

教育勅語(きょういくちょくご)とは・・・

天皇制国家の思想、教育の基本理念を示した勅語。
教育に関する勅語ともいう。
1890年(明治23)10月30日発布。「教学聖旨(きょうがくせいし)」の起草(1879)や「幼学綱要(ようがくこうよう)」の頒布(1882)など、自由民権運動や文部省の欧化政策に反対する天皇側近グループの伝統主義的、儒教主義的立場からの徳育強化運動が前史としてある。
1890年2月の地方長官会議が内閣に対して徳育原則の確立を迫る建議を行ったのが成立の直接の契機である。時の山県有朋(やまがたありとも)内閣はこの建議を受け止め、文部大臣芳川顕正(よしかわあきまさ)に対する天皇の箴言(しんげん)編集の命によって本格的な起草に着手。編集作業は初め中村正直に委嘱されたが、のち法制局長官井上毅(こわし)の手に移り、枢密顧問官元田永孚(もとだながざね)がこれに協力するという形で進行した。
全文315字。天皇の有徳と臣民の忠誠が「国体ノ精華(せいか)」であり、同時に「教育ノ淵源(えんげん)」であると説いた第1段、「父母ニ孝ニ……(中略)……天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ」と、14の徳目を示した第2段、これらの徳は「皇祖皇宗(こうそこうそう)ノ遺訓」に発し永遠に遵守さるべき普遍妥当性をもつと述べた第3段からなる。政治上の一般詔勅と区別するため大臣副書を欠いた。
発布後、文部省の手で謄本がつくられ、全国の学校に配布。学校儀式などで奉読され、国民道徳の絶対的基準、教育活動の最高の原理として圧倒的権威をもち、修身科をはじめ諸教科の内容はこれによって規制された。とくに十五年戦争時には極端に神聖化された。井上哲次郎の『勅語衍義(えんぎ)』(1891)など多くの解説書が刊行されている。
 戦後政治改革により1946年(昭和21)10月、奉読と神格的取扱いが禁止され、1948年6月19日には衆参両院で、憲法、教育基本法などの法の精神にもとるとして、それぞれ排除、失効確認決議。謄本は回収、処分された。しかしその後も、当時の文部大臣天野貞祐(ていゆう)の教育勅語擁護発言(1950)、首相田中角栄の勅語徳目の普遍性発言(1974)など、教育勅語を擁護する声は根強く、憲法改正を含む戦後天皇制再検討の動きとの関連で、一部政・財界人、学者・文化人、神社関係者などの間では教育勅語を再評価する動きが続いている。

『『教育勅語渙発関係資料集』全3巻(1938・国民精神文化研究所)
海後宗臣著『教育勅語成立史の研究』(1965・東京大学出版会) 
高嶋伸欣著『教育勅語と学校教育――思想統制に果たした役割』(1990・岩波書店)
大原康男解説『教育勅語』(1996・ライフ社) 
津田道夫著『君は教育勅語を知っているか――「神の国」の記憶』(2000・社会評論社)
岩本努著『教育勅語の研究』(2001・民衆社)』

■「口利きない」「再チャレンジする」 森友・籠池氏会見
(朝日新聞デジタル - 03月10日 19:17)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4471913
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する