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2017年03月08日13:04

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歌詞における汽車と電車のちがい

ややおおげさなタイトルを付けてみたが、きっかけは今のバンドでやっている曲の歌詞からである。70年代フォークがレパートリーの中心で、バンドの代表曲は「22歳のわかれ」、そして最近とりいれて人気がでてきたのがイルカでヒットした「なごり雪」である。名曲であることは周知のとおり。

「汽車を待つ君の横で僕は 時計をきにしてる」という出だしで、見送りに来た主人公が若い女性に寄せる思いをうたっている。「東京で見る雪はこれが最後ねと 寂しそうに君がつぶやく」と続くので、場所は東京近郊の駅ということになる。曲はもう50年近く前の作品ではあるが、どこの駅とはうたっていない。

一方、最近になって練習を始めているのがユーミンの「卒業写真」である。卒業後に世間ずれしてしまっている主人公が、在校時に心寄せていた男性の写る卒業写真に自戒をこめて語り掛ける。ここでは「話しかけるように揺れる柳の下を 通った道さえ今はもう電車から見るだけ」と歌う。

フォークの歌詞では「汽車」がよく使われている。演歌にはきっとさらに多そうだ。「汽車」というとSLを思い起こすのは私だけではないだろう。高齢者なら大半がSLを連想するのではないだろうか。私は高校の時までSLで通学していた。ローカル線ならではである。

さて件の「なごり雪」においての「汽車」だが、いかに半世紀近く前といっても、東京近郊ではSLはすでに走っていなかったと思うのだ。作者の伊勢正三は、この曲の着想を大分県の海に面した小さな駅で得ている。そこでもSLであったかどうか知らないが、SLが走っていた可能性は十分に考えられる。もしそうでなくても、田舎の駅でなら「汽車」と歌詞に書くことになんの抵抗もないはずだ。

ユーミンが作った「卒業写真」のシーンでは、彼女の住んでいた八王子を通る中央線か、京王線沿線がイメージされる。同じような時期でもこちらは当然「電車」である。舞台が都会生活なので「汽車」ではむしろイメージに合わない。

「汽車」というのは「列車」と同じような意味で鉄道車両全体を表すような感じもある。今でも日常生活の中で「次の汽車は何時?」のような使われ方をすることがある。

演歌では今後も「汽車」が多く使われるだろう。フォークが都会化してニューミュージックになり、「汽車」は「電車」になった。つまりはそういうことなのか・・。私がこれから書くとしたらどちらを使うのだろう。
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