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2017年03月06日19:30

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元都知事、石原氏の会見について

 石原氏の会見について、次のような報道がありました。

迷走の責任小池知事に 石原氏
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4460014

--------【記事引用開始】----------

 東京都の豊洲市場(江東区)の移転問題で、移転決定時に知事だった石原慎太郎氏が3日午後、都内の日本記者クラブで記者会見を開いた。石原氏は「小池百合子知事は権限を持って市場を豊洲に移転すべきだ」と述べ、移転を決めた自身の判断が正しかったと強調した。

 石原氏は会見の冒頭で「やるべきことをやらずにほったらかしにして、補償などにべらぼうな金がかかっている。今回の混迷、迷走の責任は小池知事にある」と主張。「豊洲市場は危険ではない」とし、早期移転を進めるべきだとの見解を示した。

 その後、石原事務所の職員が、東京ガスの工場跡地を市場用地として購入した経緯などについて説明する文書を代読した。文書では「用地取得交渉は副知事だった浜渦武生氏に任せており、逐一報告は受けていない」とした。

 また、2008年5月までに用地から環境基準値の4万3000倍のベンゼンが検出され、土壌汚染対策が必要となった際、総額586億円(当時の試算)の土壌汚染対策工事のうち、東ガスの負担分が78億円にとどまったことについては「私には詳細な契約文書を判断する知見はない」とした。【川畑さおり、芳賀竜也】

--------【記事引用終了】----------



 このニュースについて、私は次のようなつぶやきをしてみました。

『分かってはいたが、この人は民主主義というものを理解していなかった。事実を知り、一般市民に知らしめたうえで、共に悩みながらする判断こそが「決断」。彼のは「リーダーシップ」という名の「独善」。』
http://mixi.jp/#!/voice/10924749/20170303160752


 このつぶやきに、マイミクのムーさんという人から次のようなコメントが寄せられました。

『> シュウさん 元知事に非民主主義的な施策がなかったと言うつもりはありませんが、記事の件はむしろ民主主義的ですよ?ちゃんと所定の手続きを踏み、何処にも独裁的に決定した人がいません。「部下の献策を鶴の声で引っくり返すべき」「議会の承認は民主主義ではない」と仰るなら、シュウ様のご主張こそ民主主義違反』

 このコメントに対する回答をいろいろ考えていたのですが、これからの時代にあるべき「民主主義」とはどのようなシステムかという大きいテーマを含んでいます
 そこで、ややまとまった文章が必要になりましたので、日記にしました。

 なお、今回の会見でのやり取りはこちらの報道から情報を得ています。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/02/ishihara-shintaro-conference_n_15124104.html

 私の回答は次のようなものとなりました。御笑覧いただければ幸いです。


【土田の回答】

1.「記事の件はむしろ民主主義的」

 民主主義というのは、単に多数決で決定するだけのシステムではありません。民主主義の主眼は、多数決で負けるであろう少数派の意見をすくいあげ、議論を交わして相互に学習する中で決定に至る過程にこそあります。

 したがって、民主主義とは、首長であれ議員であれ、有権者に選ばれた者たちが、情報を公開し、議論を交わし、判断過程を一般市民に明示しつつ、決定に至るシステムです。

 ところが、今回の件で彼が言っているのは、
担当者に任せた、
専門家の決定に私が口を出せるところはなかった、
議会も承認した、
ということだけです。

 そんな中身のない決定過程を「民主主義的」と評価できるのでしょうか。


2.「ちゃんと所定の手続きを踏み、何処にも独裁的に決定した人がいません」

 第一に、まちがいなく「所定の手続き」を踏んだのか検証がされているのでしょうか。かなり怪しいと思いますよ。

 第二に、仮に形式的には「所定の手続き」を踏んだとして、それで十分に民主主義的な過程を経た意思決定と評価できるのでしょうか。
 少なくとも情報公開が不透明だった点一つをとっても、十分とは評価できないでしょう。

 彼は、用地の選定に豊洲以外に独自のアイディアを持っていたようですが、なぜ結局は豊洲にするしかなかったのかを自分でも理解できていないようです。それゆえにか、この件に関する情報を都民に知らせず、なぜ決まったかもいまだに説明していません。

 彼の決定は、第三者のチェックを受けずに自分一人だけの狭い見識で、部下から上がってきた案を「善し」と裁可したものです。
 およそ民主主義とはかけ離れた「独善」でしょう。


3.「部下の献策を鶴の声で引っくり返すべき」と仰るなら、シュウ様のご主張こそ民主主義違反

 情報を全部出させて都民の議論に付せば、部下の献策の評価も、おのずと議会と一般都民に明らかになるでしょうから、「鶴の一声」ではなくてもひっくり返すことはできました。

 仮に現在、小池都知事が石原氏のいうように豊洲の汚染状況をろくに調査もせずに移転を決めたとしましょう。
 もし後で取り返しのつかない汚染が発覚したら、石原氏の過ちを繰り返したことになります。
 石原氏は自分が選んだ政策決定過程の誤りをいまだにわかっていないのです。

 今回の石原氏の会見は、彼がいかに慎重さを欠き、情報公開や議論の重要性を理解していない人物かを如実に表しました。

 彼は
「私一人の責任というよりも、行政全体に責任があると思いますし、それを検証することがいちばん大事なすべじゃないかと思います」
「みんなで決めたことでしょ? 個人の住民訴訟で責任を問われるのは法的におかしいと思いますよ」
と責任は自分個人にはないと言い張っています。
 しかし、判断過程に慎重さを欠いた過失は否定できないでしょう。

 さらに「瑕疵責任の留保という言葉もこの問題が起こってから初めて聞きましたし、今思えばとっても大事な問題だと思います」などと自分の無知が仕方がないことであるかのように言っています。
 しかし、彼がすべての情報をオープンにしていたら、興味を持った多くの都民が、それぞれの専門性を動員して諸々の問題点を指摘してくれたでしょう。

 情報の公開は衆知をあつめることでもあるのです。そのことも彼は気づいていません。
 逆に見れば、そのような賢察を得ることを恐れたために情報を公開しなかったとも邪推できます。

4.「議会の承認は民主主義ではない」と仰るなら、シュウ様のご主張こそ民主主義違反

→ 議会の承認は、それが十分に情報公開され、共産党など、当初から反対していた人々の疑問に答えるものであったなら「民主主義」的といえるかもしれません。

 しかし今回の議会承認については、そのような情報公開や開かれた議論といった内実がなく、単なる多数決でしかありませんでした。

 今回の議会承認については、明確に「非民主主義的」と言えるでしょう。

以上
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