mixiユーザー(id:2616666)

2017年02月22日22:26

425 view

警察権力とディストピア

■令状なし「GPS捜査」めぐり最高裁で弁論、弁護団「ルールなき捜査」の危険性訴える
(弁護士ドットコム - 02月22日 20:23)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=4445368

細かな専門知識は持っていないが、現行制度を前提にするなら令状を必要とする強制捜査として行うべきと思う。そしてGPS捜査をどうしても任意捜査として行う必要があるというなら、解釈に委ねるのではなく、立法対応によって明確に定めるべきだろう。

内部決裁をいかに取るか、必要性の疎明と承認の手続き、責任者の明確化、記録の残し方、手続き違反へのペナルティ、もろもろをはっきりと法律で定めるべきである。その場合でも、下手をすると違憲立法という可能性が残るが、立法対応であれば行政権力への抑止と監視はとりあえず成り立つ。

現状のまま解釈に委ねられた状態で任意捜査でもよしとしてしまったら、警察権力への抑制が働かない。あらゆる行政権力の中でも、警察権力というのは最も抑制的に行使されなければならないものだ。なぜならことの性質上、警察権力は直接国民に向けて、暴力を伴って行使される権力だからである。

国家は定義上、国民への暴力行使を完全に合法的に行うことができる。国家を直接取り締まれる主体は存在しない。だからこそ、国家権力の行使には明確な法律上の根拠が求められるのだ。警察権力に必然的に伴う暴力性を考えれば、解釈による運用の余地は最小にとどめられるべきなのだ。

犯罪者すなわち悪人を効率的に逮捕できるのだからいいじゃないか、という意見もあるだろうが、浅はかである。そもそも捜査対象はあくまでも「容疑者」であって、「犯人」とは限らない。むしろ犯人かどうかを捜査する、という側面もある。つまり犯罪者ではない一般国民もターゲットになるし、そうならざるを得ないのだ。

数々の冤罪事件の例を挙げるまでもなく、無実の人間を罪に陥れてしまうことは不幸にしてあるのである。それはしばしば捜査段階における警察・検察の予断によって引き起こされている。

国家権力による人権侵害は、最も避けなければならない事態である。なぜなら、国家以上に強力な暴力機構は国内に存在しないからである。最強であるがゆえに、最高度の抑制と監視がなされなければならないのである。「監視」はむしろ警察に対してこそ必要だ。

国家の力を持ってすれば、国民をどれほどの規模で殺戮できるか。歴史に実例はいくらでもある。犯罪者のいない社会を作ることを夢見て、うっかり警察権力の増大を許すと、逆にほとんどすべての人間を犯罪者として扱うディストピアが生み出されることになる。

それは少々の犯罪者が紛れ込んだ自由社会よりはるかに不幸な社会なのである。
8 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年02月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728