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2017年02月19日13:55

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精神は専門外だが

この子(もう子ではないが)は人格障害であって気分障害の影響はないんじゃないかと思うなあ。
(報道内容だけからの判断なので、報道されていない部分については知らない)



責任能力の判定については法に詳しくないからあんまり根拠のない想像になるけど、
柵があると知って踏み越えたかどうかじゃないのかな?

法や公序良俗の概念は、人の行動可能な範囲を定めた柵のようなもの。
ほとんどの人はそれを柵と認識した上で、柵を前にして己のとるべき行動を決める訳だ。
決めるにあたっては、

 ・柵の先には何があるのか
 ・柵を越えたらどういう対応を受けるのか
 ・柵を立てた者がどういう意図の下にそれを立てたのか(何をされたくなくて立てたのか)

などを加味した上で、柵を越えることの損得(金銭的, 物的損得のみならず心理的損得を含む)を勘定して行動を決める。

知的障害ないし心神喪失, 心神耗弱, 幼少などによって責任能力がないと判定されるのは、
能力的な問題でこの過程の最初の段階で柵を前にして立ち止まることができないという話だろう。

つまり、

 ・柵を見る、あるいはそれを柵だと理解する能力を欠いている
    (知的障害や妄想性の精神障害などによりルールをルールと認識できない)
 ・それを柵だと認識しているが、柵を前にして立ち止まる能力を欠いている
    (統合失調症において自他の区別を喪失した患者に起こる"させられ体験"など)
 ・それを柵だと認識しているが、外的な強制, 支配により柵を越えよという命令を拒めない 
    (生活を親に依存している小児が、万引きをして来いという親の命令を拒めないなど)

という話。



この子(もう子ではないが)の過去の犯行を見てみる。

まず名古屋市内でやったという斧による斬殺(撲殺?)事件だが、
斧で人の体を叩き割りたいならば町中で斧を取り出して襲撃すれば幾らでもできただろうに、
自宅に宗教の勧誘に来た老女を連れ込んで殺害するという絶好の機会を得て実行するまで、
自らの意思で行動をコントロールしている。
発覚しにくい方法が実行可能になるまで立ち止まることができている訳で、
柵を認識できない訳でも、柵を前にして立ち止まることができない訳でもなかろう。

犯行後、ツイッターや友人との会話で犯行を打ち明けるような発言をするなど、
一見すると隠す気がないように見え、隠蔽工作としては杜撰だ。

しかし上記の如く発覚すれば捕まることを認識した上で発覚しにくい方法を選択し、
それによって今後も継続的に己の欲求に従って行動することができるよう図っている。
それを踏まえればこれは隠す気がないのとは違うと言えよう。

発覚すれば今後欲求のままに行動を重ねることができなくなるため、
それを避けるために隠蔽を企図してはいる。
ただ、良心が存在しないためにやったことに対する後悔や反省の類は一切ない。
それゆえにしたことの重大さを何らかの形で背負い続けている一般の犯罪者とは異なり、
犯行の重大性を知覚しておらず隠蔽が杜撰になりがちなだけだろう。
感情は自ずから湧き上がるものだけに意識, 無意識を問わず継続的だが、
計画は能動的に頭で考えてするものだけに意識して初めて発動される。
ふつうの犯罪者は感情面, 計画面の両面から隠蔽を行うため持続的だが、
この子(もう子ではないが)の隠蔽は純粋に計画面だけから行われているため持続性を欠くのだろうと思う。

タリウム事件に関してもこれは同様で、
ことが明らかになれば行為の継続が困難になることをきちんと認識し、所持した毒を隠している。
つまり人に毒を飲ませることが社会において許容されない行為であることは理解しており、
きちんと柵の存在を認識している。

上記の如くこの子(もう子ではないが)には規範という柵の存在を認識する能力が備わっており、
かつ、柵を前にして立ち止まることもできている。

柵を認識した上で、

 ・柵の先には何があるのか
 ・柵を越えたらどういう対応を受けるのか
 ・柵を立てた者がどういう意図の下にそれを立てたのか(何をされたくなくて立てたのか)

を検討し、行動を決している訳だ。

この子(もう子ではないが)の異常性はその最後の項目、柵を立てた者がどういう意図の下にそれを立てたのかについて、
その意図や目的は理解できても柵を越えられた時に彼が何を思うかという部分への共感が一切ないことだろう。

ふつうはひとがされたくないことに対して、自分自身にも当てはめてみて多かれ少なかれ何らかの共感を示す。
その結果まともな人間ならば柵を越えようとはしないし、
柵を越える犯罪者に関しても多少の共感は示した上で自身の欲求を優先し意図して柵を越える。
多かれ少なかれ後ろめたい気持ちがあるので同類を除いては人にはそのことを言わず隠蔽を続ける。

この子(もう子ではないが)は己の欲求と、欲求に忠実に行動した場合に受ける制裁のことは理解していて、
己の損得に基づいて行動を決めることはできる。
だがその共感の段階が欠けているため、後ろめたい気持ちがない。
ゆえに損得に基づいて隠蔽工作はするものの割と開けっぴろげに妹や友人に対して犯行の話をしたり、ツイートしたりしてしまうのじゃなかろうか。
たぶん、犯行の話を聴かされた人間が規範に照らしてそれに嫌悪感を覚える、場合によっては通報される可能性があるということを想像できていない。



だから、この子(もう子ではないが)がふつうの犯罪者ではなく、異常者であることには賛同するが、
この子(もう子ではないが)に責任能力がないとは考え難く、
またその異常性ゆえにこの子(もう子ではないが)を更正させることは不可能なのじゃないかと思う。

いや、責任能力も更正可能性も私が判断することじゃないけどね、
全く無関係の野次馬の無責任な感慨として言わせて頂くと、
この子は責任能力を持ち、なおかつ更正可能性を欠いているのじゃないかと思う。

法の規定上死刑にするのは不適切かもしれないが、
この子(もう子ではないが)は自由を得れば、きっとまた何らかの犯行を計画し、あわよくば実行に移そうとするだろう。
その危険は並みの犯罪者どころじゃなく大きく、一生涯犯罪から遠ざけるためには何らかの方法で予防策を講ずる必要があろう。
法による制約だけではどうにもならないと思う。



元名大生公判 責任能力審理へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4439502
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