宗教と言うか、人間の精神的(魂と言った方が良い)成長には段階が有り、簡単に言ってみれば「自己トレーニング」の頻度・程度を自らの管理によって出来るかどうか(餓鬼道)から始まり、組まれるプログラムに差が生じるのが現実だ。
そう言った意味では、「いわゆる」新興宗教の存在は必然(必要悪とも)であり、自己トレーニングの困難な人間を対象にした存在としての価値は有る。
最大の問題は、容易な「暴走」の可能性が高い、運営自身の未熟な魂のレベルにあるのだが、其れも社会の責任の一端とも言えるかもしれない。
アルコール依存症の人間を管理する手段を本人に求める事に、多大なコストを掛ける事を思えば、衣食住を「縛り付ける」専門機関の存在が如何に効率的かが良く分かる。
まぁ、其れとは別に、国が宗教団体を管理する為に「資金の流れ」を管理する事は必要だが。
清水富美加、出家でタバコやめた 告白本で明かす
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=4438472
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