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2017年02月16日20:08

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日蓮大聖人の御先祖は井伊氏

今日、2月16日は宗祖日蓮大聖人ご誕生の日。

日蓮大聖人は御自身の家系について

「日蓮は日本国東夷東条安房の国の海辺の旃陀羅が子也」(『佐渡御勘気抄』)

「日蓮今生は貧窮下賤の者と生れ、旃陀羅が家より出でたり。」(『佐渡御書』)

と、漁業に従事していた旃陀羅(せんだら)=被差別民であったことを堂々と明言されておられ、また、父君については『産湯相承事』において、「三国太夫」という名を明かされておられる。

三国太夫はなぜ被差別民となったか。
15世紀に成立した『長禄寛正記』『元祖化導記』『本化別頭仏祖統記』などの他門の伝記によれば、三国太夫の実名は「貫名重忠」で、遠江貫名郷(現在の静岡県袋井市)を領した貫名氏の出身であったという。謀反の疑い、もしくは所領争いでの敗北等、何らかの理由によって鎌倉幕府の咎めを受け、安房に配流されて被差別身分に落とされたものと思われる。

さて、この袋井の貫名氏は、今年の大河ドラマでも取り上げられている井伊氏の分家である。我が日蓮正宗では用いないが、身延派など多くの他門流の日蓮宗系寺院では井伊氏と同じ「井桁に橘」の紋を寺紋としている。これは宗祖のご実家に比定される貫名氏の家紋でもあるからである。

平安時代に井伊谷を開いた井伊共保に始まる井伊氏は、『寛政重修諸家譜』によれば5代目の盛直の時に長男次郎良直が井伊の家督を継ぎ、次男・三郎俊直は赤佐(現在の浜松市浜北区付近)を領して赤佐氏へ、三男・四郎政直も貫名の地に拠って貫名氏へとそれぞれ分かれたことが記されている。

江戸時代に彦根藩主となった井伊家は、一族の始祖・井伊共保について、藤原良門の三男・利世から数えて5代目にあたる共資が井戸から拾われた子を養子にしたものと幕府へ公式に届け出ており、従って姓は藤原姓(北家)だと称している。しかし、これには疑問が残る。藤原良門の子で「利世」という名は、『尊卑分脈』でも他系図でも全く確認ができず、きわめて実在の疑わしい人物だからである。

宝賀寿男編『古代氏族系譜集成』に収録された「三国真人系図」(みくにのまひとけいず)は、井伊氏・貫名氏について、藤原姓とは全く異なる出自を示している。この系図では、継体天皇の皇子・椀子王を祖とする三国真人姓の子孫として、井伊氏の祖である共資・共保親子の名が見えている。

井伊氏・貫名氏の由来が三国真人であったとすれば、父君・貫名重忠の御事を宗祖が「三国太夫」とお呼びになられたという『産湯相承事』の記述とも、まさしくピタリ一致してくる。

従って、私はやはり藤原説ではなく、井伊一族のルーツは継体天皇にあったとする三国真人系図の説を採りたい。

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