mixiユーザー(id:336558)

2017年02月15日17:05

256 view

「幼保一体化」は、やっぱり権力のワナだった!!

国旗や国歌 保育指針改定案に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4432662

安倍政権は発足以来、
「待機児童問題」を大義名分として、
幼保一体化(=幼稚園と保育園の統合)と
保育の市場化・規制緩和を促す

「子ども・子育て支援新制度」

の施行を、強引に推進してきた。

多くの認可保育所が、
幼保一体化施設である
「認定こども園」へと看板替えして、
教育基本法の支配下に置かれることとなった。

「認定こども園」へ移行しなかった保育所も、
やはり「新制度」の中に組み込まれた。

ご存知だろうか?
「保育園・保育士が足りない」はずなのに、
いま、全国各地で公立保育園の統廃合と
民営化が、どんどん進められている。

その結果、公務員保育士は続々と首を切られ、
営利企業に払い下げられた園では、
非正規への置き換えの嵐が吹き荒れている。

戦後日本が営々と築き上げてきた
「公的保育制度」の解体が、
この数年間で一段と促進された。

「保育園落ちた日本死ね」なるフレーズが
巷の流行語として安易に消費されたことも、
そうした流れを、むしろ
後押しする結果となった。

とにかく保育の受け皿を増やして
保育士の待遇を改善すれば
それでいいのだと、保育をめぐる問題は
ことさらに矮小化されてきた。

そのように情勢を整えた上で、権力・資本が
満を持して保育園側に突きつけてきたのが、

「保育園でも学校・幼稚園と
同等の愛国教育をやれ!」

という、今回の保育指針改悪要求なのだ。

そもそも、「保育園」とは何か?

それは、

「主に労働者階級の子どもたちが、
乳幼児期に日中の時間を過ごす施設」

である。

今から約200年前の西暦1816年、
イギリスの紡績工場経営者であり
社会主義者でもあったロバート・オーエンが、
彼の理想を実現するために築いた
「ニュー・ラナーク」の街へ、
「性格形成学院」という名の
工業労働者の子どもたちのための保育園を、
世界で初めて、開設した。

「労働者の子どもは、金持ちの子どもよりも
優れた教育を受けなくてはならない!」

という強い信念を、オーエンは持っていた。

すなわちオーエンは、
幼児期の「性格形成」と「教育」の力によって
労働者の子どもたちを
優れた人材に育て上げ、
やがて成長した子どもたちが
社会の中枢を担っていくことによって、
「暴力」と「流血」によらずして、
この階級社会を、根底から変えようと
目指したわけである。

だから、もともと保育園というものは
その由来からして、ある種の
「革命」的な性格を秘めているのだ。

資本の側の立場からしても、
労働者をとことんコキ使うためには、
就業時間中に労働者の子どもたちを預けておく
何らかの「託児」施設は、やはり必要である。

しかし、オーエン的な「保育」が成果を上げて
社会が「下克上の世」になっては、マズイ。
貧乏人の子に余計な智慧は付けたくない、
というのが、富裕層の本音だ。

保育制度の充実は、「変革の時代」を招く。
それは、支配階級にとっては
恐怖の的である。

そこで日本政府は、小泉政権以降、
保育園を資本の都合の
良いように飼いならすため、
「待機児童問題」の発生を奇貨として
公立・社会福祉法人立等の
従来型の認可保育所を冷遇し、
営利企業が経営する保育サービスを以って
これに置き換えようと必死で画策してきた。

保育学の歴史が長年蓄積してきた
「養護と一体となった幼児教育」に関する
ノウハウと専門性を全否定して
「学校教育万能主義」を振りかざし、
「幼保一体化」の実行を迫ってきた。

そして今、「国旗・国歌」を強制して
子どもたちに「愛国心」を注入し、
オーエン以来の「保育」の意義を
換骨奪胎しようと狙っているわけなのだ。

学校教育の一環である「幼稚園」とは
まったくの別物として誕生し、
厚生労働省の管轄下に発展してきた
日本の「認可保育所」制度。

いまや「認可保育所」こそは、
アベ流「教育改革」の総攻撃から
労働者階級の子どもたちを守り抜く、
まさしく最後の砦である。

ロバート・オーエンの夢を受け継いだ
日本独自の公的保育制度の破壊を、
これ以上許してはならない!




8 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する