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2017年02月11日19:05

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友が遺したこと

この日記を書こうかどうか、とても悩みました。
ですが、これは私にしかできないことですので、書くことにしました。
つたない文章ですいませんが、読んでいただければ幸いです。


私には親友(男性)がいます。
彼は3年前、配偶者に子らを連れ去られ、
司法を介しての係争となり、
お子たちとは一切会えていませんでした。

私は彼と、裁判や審判についての情報交換をしていました。
その一部を記します。

彼は『子の監護者指定』の審判を申立てましたが、
一審・二審ともに敗訴、最高裁では棄却。
判決文では、配偶者の監護不適格が述べられつつも、
その配偶者に監護権が認められました。
配偶者側の主張が一方的に認められる形で、
彼は子らの監護権を失いました。

また、配偶者は彼に子らを会わせようとしないため、
彼は『面会交流』の調停も申し立てていました。
彼は子どもに対し虐待などしていないにも関わらず、
また試行面会の結果が良好であったのにも関わらず、
家裁は『3カ月に1回の面会交流が適当』という
調査報告を出していました。

さらに、配偶者から婚姻費用も申し立てられ、
審判に移行中でした。
彼は始めから「養育費相当は支払いますよ」と
述べていたが、配偶者は金額の異なる所得証明を
提出してくるなど、杜撰な対応でした。


彼が「自殺をした」との連絡を受けたのは、
2017年2月8日(水)のことでした。


私が彼と知り合ったのはSNSがきっかけです。
私も配偶者にDVをでっちあげられ、子らを連れ去られた当事者です。
私はSNSに自身の境遇を記していましたが、
その内容を読んでメールをくれたのが彼でした。

彼がメールをくれた当時、私の精神状態はどん底でした。
夫婦間の協議は裁判に移行し、配偶者から『幼児虐待者』と罵られました。
面会交流調停を申立てましたが、『離婚すれば子どもに会わせてやる』
などといった人質交渉を受けました。
周囲に相談しても、うっとおしい存在のように煙たがられました。
私は精神安定剤・睡眠薬を服用しており、自己防衛に必死の毎日でした。

そんな時、彼は
『あなたは間違っていない』『子どもたちのために最後まで闘いましょう』
と、私を励ましてくれました。
彼の言葉に勇気付けられ、私は最後まで闘う心を持てるようになりました。
彼といつも話していたことは
『どんな手を使ってでも子どもを守ろう』でした。

子を連れ去られた当事者の方ならよくわかると思いますが、
今の我々の状況は、他人に話しても決して理解してもらえません。
なぜなら、我々当事者にしかわからない苦痛だからです。
彼は、当事者として私の状況を冷静に受け止めてくれる、
数少ない貴重な存在でした。

私は彼とはほぼ毎日電話をしていました。
彼と話をすることで、前向きで建設的な議論ができました。
子を連れ去られた当事者は、あまりの苦痛に精神が破壊され、
自暴自棄となる人も多いです。
しかし、彼は理性を保ち、希望を抱き、不屈の精神で闘う、
私にとっては心強い戦友でした。

私が今でも前を向いて司法に立ち向かい、
『DV冤罪』『連れ去り』問題に対して闘えているのも、
彼の理解と支援があったからなのです。

私が弁護士に相談するときに、彼は一緒に立ち会ってもくれました。
彼は、私が進むべき道を見失いかけたときも、寄り添ってくれました。

私が彼の家に泊まった時、彼は日曜大工をしていました。
「これ、本棚作ってるんです。子どもは喜びますからねー。」
彼は家のなかに子どものおもちゃや服を当時の状態で残していました。


2017年2月3日(金)夜、

彼がめずらしく電話で弱音を漏らしました。
配偶者から裁判所に出された文書が偽造と思われるものとのことで、
「何を信じてよいのかわからない・・」と。

彼はいつもの強気で前向きな口調でなく、
会話もかみ合わず上の空であったので、
私は少し心配でした。

でも、私たちは苦痛を乗り越え、
共に信頼しあっていましたので、
私は深刻に考えていませんでした。

ただ、
「今日は薬を飲んで、まず寝ましょう。僕も辛い時は薬で逃げてたから。
ゆっくり休もう。明日は休みだし土日ゆっくりしよう。また電話しましょうね」と、
私は伝えました。

彼は
「そうですね。今日はもう寝ます」
と言って、電話を切りました。


翌日 2017年2月4日(土)

私は出先で彼のラインメールを受けました。
「電話できます?」と。

私はすぐに電話しました。

電話に出た彼は、昨日のような沈んだ口調ではありませんでした。
私は少しほっとして、近くの喫茶店に入り、
彼と数十分ほど電話をしました。


私「もう日本は欲しいものを力で得る国。
  もうこんな国には住みたくない。海外に逃亡したい。」
彼「海外に逃亡するなら、スウェーデンが良いんじゃないですか。笑」
私「たしかに。平和に過ごせそう。ドイツもいいっすよ、残業ないですし。笑」
彼「でも私、飛行機が苦手なんですよね。笑 北海道とかどうですか?」
私「いいですね。一緒に農業しませんか? たいへんかもしれないけど。」
彼「今の状況に比べたら全然マシっすよ。笑」

私と彼は、今の日本の司法には絶望していましたが、
冗談でよくこのような話をしていました。
彼は理性をわきまえている人でしたので、
決して感情で行動する人ではありませんでした。

そして、彼が元気な状態に戻っていたようだったので、
私は安心して電話を切り、最後に、

「いったん帰りますねー! ○○さん、元気そうでよかった!」
 とメールしました。
「シャワー浴びてました」
 という返信がきました。

このやりとりが、彼との最後の会話になってしまいました。



今までの彼の言葉が胸に突き刺さります。

「夢は見るものではなく、かなえるものですよ」
「今日は気晴らしに、日曜大工してます」
「今日は子どもたちが戻ってきたときに喜ぶように、
  本棚を作ったんですよ」
「知り合いのお子さんにエプロンを作ってあげたんすよ。
  すごく喜んでくれましたよ」
「こちらにきてくれて嬉しかったです。
  今度は私がそちらにいくので、どこか温泉でもいきましょう」
「いつかお互い子どもたちを連れて、ディズニーランドに行きましょう」
「いつまでもお父さんでいたい」

彼が子ども思いの素敵なお父さんであることを、
私は誰よりも知っています。

なぜ彼が子どもたちと会えない状況になるのでしょうか?
なぜ彼の子どもたちが、父親を自殺で失わなければならないのですか?
なぜ彼の両親が、息子に先立たれないといけないのですか?
なぜ彼が自殺をしなければならなかったのですか?
なぜ私たちは彼の家庭を救えなかったのでしょうか?


彼の訃報を知った2月8日の夜、
私はさめざめと泣き崩れました。
悔しさ、悲しさ、憤り、負の感情が一気にあふれました。

私は日本人ですが、日本という国を心から軽蔑します。

父親の人権すら踏みにじってでも、配偶者側の権利を主張する利権団体。
彼らはいったい何人の人を自殺に追い込めば気が済むのか?
いくつもの家庭を壊せば気が済むのか?

汗水流して、税金を払い、子どものために、一生懸命頑張って。
一人の日本国民の努力に対し、国や司法は仇で返した。
それも、最も尊い『命』を奪うというやり方で。

そんな日本という国に私たちの未来があるとは思いません。


彼は常に毅然としていましたが、実は光の見えない
長いトンネルに疲れ果てたのだと思います。
「親子」の問題はもちろんのことですが、
「金」も絡む問題は想像以上の苦痛を人に与えます。
彼の自死が、その苦痛の果てに一瞬でも生じてしまった
衝動的な行為であったとするのなら、
たとえ誰であっても彼の死を防ぐことはできなかったでしょう。

最後に、

私は、彼が死を選んだことを責めるつもりは一切ありません。
苦痛からやっと解放されたのだから、今は『良かった』と思ってあげたい。
私は、彼の分も長生きし、そして誰よりも正しく生き抜いてやる。
そして、彼が託してくれたものを大切にし、いつか必ず彼に報告します。

「お互い、幸せになれるときがきましたよ!」てね。
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