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2017年02月11日10:10

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随想 休みの日の朝は

休日の朝はパンが食べたいと思いつつ、妻が作ってくれたご飯と味噌汁を食べる。私はご飯と味噌汁が本当に好きなのだ。妻に呆れられるほどである。牛丼屋に行っても、必ず味噌汁を頼む。海外出張に行く時も、味噌汁の元だけは持って行く。海外の和食屋でご飯は何とか手に入るが、味噌汁はどうしても美味しくないのだ。
そんな私であるが、それでも家にいて休日を迎えた朝は、パンとコーヒーかカップスープにしたくなるのである。
この感覚は何なのだろうと考えていたら、唐突に幼い頃の風景が蘇ってきた。
私はもうすぐ四十路なので、30〜40年前になろうか。我が家の日曜日の朝は、必ずパンとコーヒー、ベーコンエッグであった。父の持っていた、大きなレコードプレーヤーでクラシックを聴きながら、母はいつも「フィリップ・マーロウを気取るのよ」なんて言っていた。ちょうど、バブルが始まって、パン食が流行り始めて、でもご飯がまだ主食だった時代である。
あの当時は幼かったこともあり、牛乳入りではあったがコーヒーを飲めるのが、少し大人になった気分であった。
普段は食事を手早く済ます父も母も、のんびりと過ごしていたように思う。
今になってみれば、きっと流行りに乗っただけでもないのだろう。母は某電機メーカーに勤めていた際、1日教養を真に受けて、調理師資格をとった人である。料理に対するこだわりや誇りは強かったと思う。そんな人が、スーパーで売っている食パンとインスタントコーヒーで満足するだろうか。父も焼き魚が好きだったのだ。
やはり、休日の朝くらい、主婦業も休みたかったのであろう。料理はどんなに慣れても、冷たい水や毎日の早起きは大変なものである。平日は朝8時半までには家の中と玄関周りを掃除していたような母が、日曜日だけは父がやっていたのも、そういうことなのであろう。ちなみに父は掃除の後はすぐにゴルフかソフトボールに行っていたが。
ともあれ、そんな幼い頃の穏やかな風景が未だに心の何処かに残っていて、その風景を追体験したくて休日のパン食を望んでいたのだろうか、と考えてしまった。それはつまり、私の子供時代にも穏やかで平和な時期があったということであり、少しばかり照れ臭いが誇らしいものでもある。
我が家のそんな風景は、私が小学校に上がってから薄れていき、家族全員が揃って食事を取ることも無くなり、パンとコーヒーは穏やかな時間ではなく、短時間で食事を済ます為の手段になってしまった。
現代は働き方改革などと叫ばれている時代である。国や自治体の施策がうまく行くかはともかく、せっかくそのように言われているのだから、できるうちに、パンとコーヒーとベーコンエッグで、穏やかな時間を過ごそうと思う。フィリップ・マーロウのように。
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