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2017年02月05日19:55

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【映画】 沈黙 −サイレンス− 【☆4.0】

※記憶保持が主目的の為ネタバレ全く自重していませんので、今後観る予定のある方は読まないことをお薦めします。
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【沈黙 −サイレンス−】 (Theatre)
2017年
総合評価 4.0 → ☆4.0

「シナリオ」 (1.0) … 4 → 4
「演出全般」 (1.2) … 4 → 4.8
「心理効果」 (1.5) … 3 → 4.5
「視覚効果」 (1.1) … 4 → 4.4
「音響効果」 (0.9) … 4 → 3.6
「教養/啓発」 (0.8) … 5 → 4.8
「俳優/声優」 (0.7) … 4 → 2.8
「独創性」 (0.8) … 4 → 3.2
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【ストーリー】
クリスチャンから仏教徒に改宗した師匠を追って、ポルトガルから若い司祭2人が来日。過酷な禁制下の中でも敬虔に信仰心を保ち続ける日本人切支丹達に歓迎されるが、次第に厳しさを増す幕府の弾圧と切支丹の重すぎる信仰心、そして沈黙を守り続ける神に苦悩する。

≪キーワード≫
洋画 スコセッシ 遠藤周作

【魅力】
・原作再現度
・総合演出
・音声演出
・啓蒙
・教養
・俳優


【不満】
・無し

【印象に残ったシーン・台詞】
波の飛沫
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【少し突っ込んだ感想】
ウィキペディアでも、
『世界中で13か国語に翻訳され、グレアム・グリーンをして「遠藤は20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家である」と言わしめたのを始め、戦後日本文学の代表作として高く評価される。』
と説明されているように、原作がとにかく優秀。「信仰すれば救われるのか?」という宗教的な命題に真っ向から立ち向かっている。何らかの信仰を広めようとする人が、この作品を知らない、或いは解釈に結論を出せないとするならば、インチキかモグリと判断して良いかもしれない。

人物の心理描写は周作が研究の上でプロファイリングしたのだろうけど、ベースはほぼ実話であり、実話ならではの迫力とリアリティがある。

映画に関して言えば、非常に良く原作を表現出来ていたと思う。「再現」というより「表現」で、日本人の気質の不気味な部分や、独特の宗教観を外人ならではの目線で、原作以上に客観的に表現していたかもしれない。また、クリスチャンでありながらも決してキリスト教を不当に立てたりせずに公平な目線を保っていたのも評価できる。

実際に、司祭達は頑固、隠れ切支丹達は愚かで、迫害する幕府の役人サイドがマトモに見えてくる。実際の状況下での言い分としてはこうなるだろう↓

司祭「キリスト教は世界で最も優れた宗教だし、布教するのは当然。解らない人たちがおかしい」

隠れ切支丹「年貢もキツイし生きててもあんまりイイことないけど、少なくともコレ信仰し続ければ死後は幸せになれるんだよね?幕府の手先の坊主なんて嫌いだしもう仏教はオワコン」

幕府「宗教なんて政治の手段でしかねーんだから、ぶっちゃけなんでもイイんだよ。ただ、ウチは鎖国だしキリスト教は国防上非常に危険なんだから、とりあえず仏教にしとけ。政治的な役目の終わったキリスト教こそオワコン」

まあ、結果的にキリスト教は駆逐されることになったし、歴史を振り返っても幕府の選択肢は正解だったと言える。もちろん弾圧や拷問なんて気分悪いしめんどくさいしやりたくも無かっただろうけど、そうせざるを得なくなった経緯が、作中からも良く伝わる。

司祭や隠れ切支丹を処刑することなんて朝飯前だっただろうけど、ちゃんと警告を与えた上で猶予期間までも与えた幕府サイドは、力関係から考えたら極めて人道的に見える。隠れ切支丹に関しては完全に思考停止して、もはや死後天国に行くことしか考えてないので説得の余地もなく、司祭にターゲットを絞るのは当然だろう。

司祭の思考回路は、なんていうか医者がマニュアルに従って手術するかのように、教義に従った言動しかできない。それが仕事で、それ以外の事は教義に反するので融通が効かない。だから、当時の日本のようなマニュアルを超えた環境下におかれた司祭は不幸としか言いようがない。

しかも、「信仰によって何か(政治的な目的)を達成する」、という宗教の本来の目的が意味を無くしてしまい、最早「信仰のために信仰する」という袋小路に入ってしまっているので、完全に泥沼にはまりこんでいる。しかも、隠れ切支丹達の信仰してるキリスト教はなんか自分らのと違うし。いっそのこと切支丹達がさっさと見切りつけてくれれば楽だっただろうけど、司祭も引くぐらいに日本人が謎の信仰心の強さを発揮していた事が拍車をかけていた。まあ、そのへんは日本人とひとくくりにするよりも、最後まで生き残った精鋭の切支丹達に限定するべき性質かもしれないけど。

当時は国内で消滅寸前のキリスト教にトドメをさすための戦後処理のような状態だったので、急務では無かったとはいえ、改めて幕府側が人道的な手段を執っていたことは、周作もスコセッシも痛感したと、作品から推測される。

その他演出も、映画として無駄がなく、地味で長くてしかもストーリー既知の状態でも充分緊張感を維持できた。特に波の飛沫や静寂を基調とした音声効果が素晴らしく、これ以上の映画化は望めないと私見。俳優陣も総じて良かったけど、監督の演技指導の賜物だと思われる。


【蛇足】
役人の言葉で、「日本ではキリスト教の根は育たない」と周作が言わせているけど、これはいいえて妙で、マックス・ウェーバーがプロ倫で扱う「エートス」という言葉が的確に表現していると思う。

エートスは、「国民性」のようなもので、キリスト教の存在意義にはユダヤ教という基礎土台が必要なので、まず信仰するには旧約聖書の理解が前提となるのは当然だけど、旧約聖書の影響下の西欧文化では旧約聖書のエートスが育ってるけど、当然日本では育っていないので、基礎が出来ていない。旧約聖書から教えようにも言語の壁もあって、宣教師達が浄土宗のような教義の簡素化を計ってしまったとしても仕方がない。

キリスト教のエートスを天皇一神教にすり替えて輸入して西洋文明化を達成した伊藤博文のような常人離れした才覚が宣教師達に半分でもあれば、もう少しキリスト教が定着していたか、或いは余計な不幸を生まずに済んだのかもしれない。
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