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2017年02月04日07:14

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中川渉(桂米朝三男) コミュ書き込み

2017年2月2日
神戸生活創造センター

播磨町の考古博物館時代拝見してすぐ師匠の息子と判った程の容姿
展示会の準備で資料を見て改めてそうお思いだそうです

特別展関連企画で展示資料を踏まえて生い立ちを追う
「私の履歴書」には書かれていない話をご紹介

母、文江さんの実家福田家は代々鳥取藩祐筆の家系 禄高百五十石
文江さんもその血を引かれていたようで
若かりし頃のエピソードを11PMの放送台本に書き残している
(昭和42年10月5日、永六輔と出演)

自筆の中川家系図が展示されている
舞台や寄席通いが唯一の道楽だった父と祐筆の血を引く母
まさにその結合が米朝師匠

小学校の学芸会での「桜井の別れ」の記念写真がある
真ん中に移っているので主役かと思いきや正行の弟?というような脇役だったらしい
中学校ではラッパ部に所属、吹奏楽ではなく軍隊ラッパ
戦時下で結構優遇されたりしたらしい
そういった要領の良さはあったそうです

軍隊といえば入隊してまもなく急性腎臓炎で入院と書かれていますが
結核の疑いもあったようです
しかしいくら検査しても菌が出ない
どうやら検体を取り違えられたらしい
軍隊復帰、と思ったら軍医がこの戦争はもう長くは続かない
このまま居ればよい、と言ってくれ生き残った
その陸軍病院で落語披露していますが
そのネタの数は30程記録されています

師匠は四代目米團治、地味で玄人受けするタイプだったようです
姫路での落語会等を通じて親しくしていただいた五代目松鶴などではなく
何故この人だったのか
他の師匠はこちらの質問に「昔からこうなするもの」とか答えたが
米團治は丁寧に説明してくれ、弟子のこうしては、の問いかけにも真剣に考えてくれたから

展示資料には様々な記録がありますが、
後に貴重な資料になるという意識を持って残したようです

講演後2点お尋ねしました
まず米團治さんが口にされていた自宅を記念館として開放
それと先月の談志役場、談志の遺品オークションです

1点目は現時点では白紙、というか可能性はないと感じました
2点目はご存知なかったそうで興味をお示しになられました
ひょっとしたら米朝師匠の遺品が登場するかも
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