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2017年02月01日17:30

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NEWSコメント:父は明治神宮外苑競技場の観客席で送っていた

もう鬼籍に入った父は、明治神宮外苑競技場で開かれた出陣学徒壮行会で、行進する学徒達を送ったと聞いたことがある。(以下は伝聞で真偽は分からない。記憶はけっこう都合良く作られてしまうので。)

父は、今の高卒で就職したが、学歴の壁を感じたようで再度農業系の専門学校を目指し、浪人生活のようなことをして、1年遅れで東京農業教育専門学校に入学し帝都(東京)に上京していて観客席で見送ったという。

その後、神田の万世橋付近で空襲の瓦礫の後片付けをしていた時に「ハハキトク」の電報を受け取り、切符も持たずに、上野から列車に乗り帰郷する途中、赤羽で米軍機の列車への機銃掃射を受け「もうダメだ」と列車内で死を覚悟したら、なんとか無事に生きながらえ、故郷の駅で降りる時に初めて切符が無いことに気付き、「東京からです」と申告したら「ご苦労さまです」と言われて通してもらったと話していた。帝都に大空襲があったようだったと。

それでも昭和20年には、招集されていて、国内の軍事施設で訓練を受けていた時に終戦だったという。

もしも父が、もう1-2年早く生まれていて、出陣学徒壮行会で送られる側であったなら、おそらく私は生まれてこなかったのだと思う。父とはあまり話をしなかったので、この話はよく覚えている。

私は若くはないけれど、第二次大戦は遠い過去だから、今の若い人達には、第二次大戦は歴史の一部かもしれないけれど、機会があったら当時のことを、お年寄りに尋ねてみると良いと思う。

戦死された方々に合掌。

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学徒出陣、戦死京大生の遺稿
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4411746
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