昼から、何もする気にならず、コタツでボォ〜ッとしていた。
芸能学校の先生と生徒は、一般社会の関係とは違う…
生活するのに必死で、食べることもままならない場合が多い。
そんなため、よく我が家にやって来ては、カミさんの手料理を食べて行った。
彼女は特にカミさんに憧れ、カミさんも彼女を娘のように扱っていた。
泊まっていくものも多かった。
面白いエピソードがあります。
子どもたちは、生まれた時から、家にはいつも知らないおじさんやおばさんが居た。
家庭とはそういうものだと思っていたら、小学生になって、友だちの家に行くと、家族以外誰もいない…
そこで初めて、我が家の異常さに気付いたというのだ。
そんな中で、彼女は裕福な家庭に育って、おっとりとして、優しい子だった。しかも、頭の回転が早い…
心優しい彼女は、私の行きつけの飲み屋にもよく顔を出した。そこで人手が足りないと聞くと、すぐにバイトに入っていた。
大森、大倉山、私の行き付けの店すべてでバイトしたんじゃないかな?
本州から出たことがないというので、コンサルタント時代は、助手として一緒に出張に行った。四国が多かったかな?
高知では叔父さんがパチプロということで、パチンコの台選びや打ち方を教えてもらい、儲けさせてもらったこともある。
いつしか私は、彼女を跡継ぎにしようと思い始め、ラポールの障害者劇団を任せるまでになっていた。
そして、お父さんが亡くなってからは、横浜のお父さんから、横浜の冠が消えるまでになっていた。
娘に先立たれるって、こんな感じなんだな。
とにかく、冥福を祈ろう。
よく頑張ったね、お疲れさまでした!
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