mixiユーザー(id:509182)

2017年01月26日19:28

328 view

日本の映画評論界隈が『君の名は。』の成功を肯定的にとらえる言葉を持たない点について

映画監督・評論家・編集者の荒井晴彦氏が今年の「あきた十文字映画祭」のパンフに載せたコメントが物議をかもしていることに関連してtwitterで書いたものを保存
===============

日本の映画評論界隈が『君の名は。』の成功を肯定的にとらえる言葉を持たない点について、かつて家に居場所がない団塊世代の次男坊以下の安らぎの場は映画館の暗がりや喫茶店の紫煙の中で、映画語りはその空間で培われた。映画の造り手にしろ評論家にしろその言語を共有した者は屈折した視点を持った。

で、ポスト団塊世代の映画評論もその言語空間を引き継いだわけで作り手もその空間に受け入れられるような作品を作ろうとした。そこで映画に屈折を求めない鑑賞者との断絶が生じる

で、その評論の言語空間に作り手がすり寄った結果が40億円プロモーションと銘打ってアイドルへの夢を壊す『ザ・オーディション』になったり、人気絶頂のコミックフォーク歌手の主演作が『冒険者たち』というダウナーな作品になったり

アメリカでは、1970年代におけるルーカス監督やスピルバーグ監督らの登場で、アカデミー賞などの評価基準に見直しが生じたこともあったが、日本ではその時期から映画の斜陽化が進み、映画評論の言語空間は温存された。

というわけで、「わかりやすい屈折」がない作品は、日本映画評論の言語空間から置き去りにされてきた。『君の名は。』評価における迷走は、半世紀前からの言語空間をミームとしてきた人たちの当惑の表れと見なすことができる。
===========

発端となったツィートはこちら
https://twitter.com/cine_palais/status/823097954177163266/photo/1?ref_src=twsrc%5Etfw
11 3

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する