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2016年12月31日02:27

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年末にきて

微妙な話なんですが。

90歳になる女房の母親が、2週間ほど前から、不整脈が出て、年明けにペースメーカを入れることになって、今その手術の待機中です。

他に内臓とか、特に明らかな疾患もなく。
数年前に連れ合いを送ってからは、いろいろなお稽古事に精を出して、活き活きとしてたので。

手術が成功すれば、また元気婆さんになって、ご近所老人のリーダーとして、活躍するのだと思うので。
話はそれだけのことなんですが。

この2週間ほど、つまり検査入院以降、「家で発作が出たら、みんなに迷惑をかけるから」と称して、ずーと近くの病院の個室に陣取って、朝からうちの女房や息子(女房の弟)に、「あれ持ってこい。これもってこい。いや、あれは要らない、こっちが良い」と、かけ放題の携帯で、2人の子どもに指示を乱発し。

揚句に、「知らせておくから」と称して、自分の症状や気分を、「頭がボーットする。脈が、早い。医者が、話を聞かない。看護婦が気に入らない」と、いちいち電話してくる始末で。

追いつめられた、女房と義弟の心理状態にも、影響が出はじめました。

もともと婆さんのワガママ振りには、うちの女房も苦労したようで。

こっそり、「早くこのまま、死んでくれれば良いのに」と、呟く有様で。


死んで行く不安で、自分から死期を早め、その不安に家族を巻きこむやり方は、立派なDVですね。

周囲の嫁や近くの親類とかは、仕事で介護の経験があるので、これは心療内科的対応が必要と、すぐに見抜くのですが。


さて肝心の医者たちが、そうした角度から考えないで、薬とかの対処療法で考える傾向が強く。

すぐ隣に住む棲む精神科の医者の甥などは、学会では権威なのだそうですが。

これがヘタレで、月並みな見舞い以外は、何もできずに、逃げ回っている状態で。


どうも今どきの老人は、「死人に口なし」で、「ヒトとしての尊厳を守られて送られる老人」(定義がムズカシけど)は、超マレなのではないか?と、考え始めています。

老々介護での親殺し・心中や、一方の極地の「傍に家族がいながらの事故ではない孤独死」とかも、そうしたスキマから起きている可能性が高く。

そうした家族への、適切なケアは、民生委員の数と能力では、ムズカシイんじゃないかな。
*うちのお袋のときは、田舎のうちから50mぐらいに住んでいた民生委員が、お袋が死んで半年後に、「お母さんお元気ですか?」とやってきて。
「うちから霊柩車が出たのを、見なかったの?」
とワタシに笑われて。、


ヨーロッパ、アメリカといった白人社会では、回復が見込めない病にある人が、単に死期を遅らせる意味しかない延命措置を拒否して死を迎える「尊厳死」よりも、さらに踏み込んだ、医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早める安楽死」を、一定の条件のもとで、認めはじめていますが。

これは日本では、まだまだ超未来型で。

自他分離が出来にくい、共依存傾向が強い日本人の古いタイプの家族では、DV状態の家族ゲームの絶頂のなかで、老人は死でいくのが、本望なのかも知れない。

なんであれ、老人一人一人の死に様は、その老人の、家族との関係もふくめた社会性(=性格)が、極限的に集約されて表現されるわけで。

死んでからも、映画「送り人」のような送り方というのは、所詮はお噺なんでしょう。


いえ、ワタシは、まだまだ送る立場なので、気になるだけで。

自分の番になったら、なるべく手間がかからないように、シンプルにしていただくのが希望ですが。

どうするかは、送ってくれるヒトたちの事情と都合で決めることで。

もうその時は、野良犬の死骸と一緒にされても、もう文句言える立場じゃないですから(笑)

何であれ、家族を疲弊させながら死んでいく老人というのは、幽霊より始末が悪いですね(苦笑)


3.11のあと、地域に現れた幽霊現象をまとめた出版社の社長は、なんたら出版賞をもらったり、NHKにも出ていましたが。

幽霊が見えないこの社長は、幽霊が見えるワタシが彼に教えたように、「幽霊は、見るヒトが、自分の中だけで見るものだ」という定義を、そのまま口にしていましたが。


TV 画面での彼の目は、なまじ自分では見たことがないので、まだ幽霊に怯えてましたね(笑)

私のところに良く出没する、両親や伯父夫婦の幽霊は、いつもニコニコして、感謝の態度ですね。

最近の伯父夫婦は、トトロ猫にまで先導して現れる始末で、すっかり遊んでるし(笑)

親父お袋に至っては、たまに墓参りしても、遊びに出ていることが多くて、不在ばっかりです。




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