文系は事故が起きた時の被害、理系は重大事故の起こる確率で判断
http://newswitch.jp/p/2012
という記事を見つけた。
これ書いた人自身(あるいは調査した人)は文系なんだろうな。
確率で判断してる理系がいたら、理系むいてないからヤメレと助言するよ…
この記事で言ってる「確率」っていうのは、おそらく「期待値」と読み替えたほうが正しい。
アタリが出れば100万円もらえるクジがあって、アタリが出る確率が 20% だったら、
100万円× 20% = 20万円が期待値。
んで、このクジが1枚10万円なら買うし、30万円なら買わないというのが、期待値に
対する普通の考え方。
これを原発に当てはめると、
(事故時の被害総額)×(事故発生確率)=(被害の期待値)
って感じになる。まぁ、これはちょっと単純化しすぎていて、事故が発生していない
ときのことも考慮して、
(事故らないときのメリット総額−初期〜ランニング〜廃止コスト総額)×(事故らない確率)
も加味しなきゃいけなんだけど、要は「ゼロ/イチではなくて確率を掛けて考える」ってこと。
これ、一見論理的に見えるけど、この論理は統計的に有意なケース数が合って成立する
話であって、原発のように数えるほどしかないケース数では必ずしも適切な思考法ではない。
(さらにいえば、総額も未知だ。)
あと、期待値の考え方で重要なのは、クジのケースでいえば現実に起こる事象は
期待値ではないこと。つまり、クジを買って20万円もらえるわけではなく、100万円か
0円かのどちらか。
このクジが10万円で売ってたとして、はずれても困んないって人は買うべきだろうけど、
全財産が10万円って人が一か八か買うべきかとなると買うべきじゃないだろう。
原発に置き換えて考えると、事故っても被害総額は耐えられる範囲だっていうなら
期待値の考え方も取りうるけど、事故ったら償えないっていう場合には、事故の確率が
いくら低くても手を出すべきじゃないってことになる。
リスクを考えるときには、「耐えられるリミット値」と「期待値」の2つの観点で評価するのが
常識といっていいと思うんだけど、これ元の記事でいう“文系の考え方”と“理系の考え方”
ってことになるんじゃないだろうか?
実際のところ、文系も理系も関係なく、論理的に考えられる人は「耐えられるリミット値」と
「期待値」の2つで考えていると思う。ただ、「総額」にあたる部分は価値観とかスコープが
人によって違って、そこが論理的に考える人たちの間でも結論がわかれる理由なんじゃ
ないだろうか。
個人的には、少なくとも放射性廃棄物の安全で低コストの処理方法が確立するまでは、
原子力エネルギーの実用利用には賛成しません。逆にいえば、その辺が確立すれば
選択肢としては否定しない。高速増殖炉って、夢の処理方法の可能性だったんだけどね…
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