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2016年12月20日10:51

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事故を我が事として捉え教訓にする

■熊本でアパート火災、1歳男児が死亡 両親は外出中か
(朝日新聞デジタル - 12月19日 21:43)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4349712

独身の頃、一人暮らししているハイツの向かいのアパートが火事になった。

確か夜の7時過ぎだったと思う。
晩御飯の買い物をしていて、スーパーから出ようとした時に、目の前を何台もの消防車が通った。
その時は、まさか自分のハイツの向かいが火事だとは思わなかったから、そんなに気にも留めてなかったのだが、自転車で自分の家に近づくにつれて、周りが騒がしくなってくる。

自分の家の近くで火事か。
そう思って、ハイツへと続く道の曲がり角を見たら、そこに消防車が何台も止まって、ホースが自分の家に向かって伸びている。

僕は真っ青になった。

自分が火事を起こしたと思ったのだ。
家を出る前に、お茶を作ろうとヤカンに火を掛けていた。
確かにそれは、外出の際、火を消して、確認してでてきたハズだ。
でも、目の前の家へと続くホースを見ていると、そんな自信もぐらついてきて、もしかしたら火を消し忘れたのかと不安になった。

慌てて角を曲がり、野次馬を掻き分けると、燃えていたのは、向かいのアパートだった。
その時は、自分が火事を起こしたのではないことで、ホッとしたのだが、問題は、その火事だった。

火事じたいは、アパートの一階の一部屋を焼くだけで済んだのだが、その部屋の中から、幼い女の子が二人、焼死体で見つかったのだ。
しかも、火事が発生した時刻が、僕が買い物に出ようとした時間と、ほぼ同時刻。
だから、僕は、窓越しにその部屋を見て、火事が発生したと思われる時刻に、そのアパートの前を通り掛かっていたのだ。

もし、あの時、火事らしきものが分かっていたら。
亡くなった女の子を助けられたかも知れない。
そう思うと、遣り切れない気持ちになった。

新聞記事によると、その女の子二人は、母親との三人暮らしだったらしい。
家計を支える為に、母親は夜の仕事をする為に、二人の子供を寝かせてから、仕事に出掛けたらしい。
その矢先の火事だった。

勿論、火の始末はしていた。
ただ、当時は真冬だった為、母親は、二人をホットカーペットに寝かせて、その上に布団をかぶせて出てきたらしいのだ。
そのホットカーペットから火が出た。

母親としてみれば、まさかという気持ちだったろう。
火の気が無いように、ストーブすら使わず、ホットカーペットだけにして外出した筈なのに。
そのホットカーペットから出火するなんて。

でも、そのまさかが起こることもある。
しかもそのまさかが、自分の居ない時に、子供たちだけの時に限って起こることがあるのだ。

だから子供だけにしてはいけない。

そんなことは分かっている。

きっと、この記事の両親も、自分たちが火事を起こす前に、こうした事故を新聞などで目にした時に、同じ事を思ったのでは。
夜中働きに出るのに、何故子供を預けないんだ。
何時間も子供を置いといて、危ないじゃないか。
自分たちなら、そんな危ないことはしない。
この母親のやったことは殺人と一緒だ。
火の気がないからってどうなるか分からないのに。

実は、僕も独身の頃はそう思っていた。

でも実際に我が子ができると子育てって、そんなもんじゃないってことがわかる。

子供が昼寝をしていて。
あまりにぐっすり眠っていたら。
少しの時間の間くらいなら、このまま寝かしておいて外出しても、起きないんじゃないか。
一寸の間くらいなら、大丈夫なんじゃないか。

そんな気持ちに駆られる事はある。

こんな事は絶対あり得ないとばかりに、この両親を悪し様に批難できる人は、きっと完璧な子育てをされているのだろう。
本当に心から尊敬する。

僕は、そんな完璧に子育てをしているわけでない。
子育ての中に、ちょっとした気の緩みがあるし、これまでも子育ての中で、ヒヤッとしたりハッとしたことは、何度もある。
それこそ、大きな事故もなくここまでやってこられたのは、そのまさかが、僕たちの周りで運良く起こらなかっただけだと思っている。

だから。
こうした悲惨で遣る瀬無い事故が起こった時。

誰かを責めたり、悪し様に罵ったり、批難するのではなく、自分たちは大丈夫かと再確認したり、教訓にしたりするチャンスだと僕は思っている。

そうした謙虚さが子育てには大切なような気がする。




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