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2016年12月18日00:15

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三四郎をめぐる冒険

どっぷり浸かった1ヶ月でした。
11/15(火)から漱石の小説「三四郎」に向きあい。
「三四郎をめぐる冒険」に出ました。
なかなか骨は折れましたが、平素、春樹さんにしか向き合っていないので新鮮でした。

11/27(日) 私に読書会の楽しさを教えてくれた
「村上春樹の読書会 (Haruki.B.C)」へ参加してきました。
課題本はもちろん「三四郎」です。この本を読むきっかけをつくってくれました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3169098&id=81024973&comment_count=24
読書会後に参加者、皆さまの書かれた事前トピを読み、再読熱昂まる。

今年は漱石没後100年でもあり、12月9日(金)の漱石先生命日に
TVで著名人による「三四郎の読書会」 が放映されました。 
● シリーズ 深読み読書会「夏目漱石“三四郎”〜108年目のプロポーズ〜」
実にタイムリーで嬉しく思いました。
先日の読書会の考え、自分の視点と、著名人の考えはどこが違うのか?
番組見て、モチベーションも大いに上がりました。

この日記を書くことで「三四郎」に一区切りつけ
次の「世界の終わり…」自分で開催している森読書会、
春樹さん作品の読書会へ戻っていきたいと思います。

※皆さん、興味ございましたら 正月明けの読書会ご参加ください!
●1/8(日)『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』読書会
https://www.facebook.com/events/1038982209561650/

年内には、お気楽極楽♪「料理会」などもございます。
●12/23(金・祝)村上春樹の小説にでてくる料理をつくる会
https://www.facebook.com/events/1194452490632489/

課題本は、春樹さんが「漱石」好きだということから
・「漱石先生と春樹さん」の共通点を探り
・「三四郎」を読み解くことに力を入れて読んで見ました。

そんなこんなで1ヶ月間、小説「三四郎」に潜っていました。

この日記では、そんななか思い浮かんだ私なりの発見をまとめてみました。
ちょっと長いですが、興味ある方は「新潮文庫版」の
三四郎を片手にお読みいただけたら嬉しいです。
※春樹会の感想トピと重複部分あり。

この小説を読んで、まず感じたことは

1、「色」に始まり「色」に終わる小説だと思った。
  ※具体的な緑、青、黄などの色ではない。
  光と闇の対比があり
  暖かと寒い(冷える)の対比も多かったように思う。
  赤色は特別な意味を持ってつかわれていたようだ。

2、漱石の感じた世界(風景や物、人物、性格などなど)を
  一つ一つ俳句を詠むようにオリジナルな表現で、
  かつ誠実に表現しようとしていたように思える。
  これがややもするとリズムを崩し読み辛く感じる部分であり、
  密度の濃い読み応えのある文章にもなっていたように感じた。

3、読み通して、明治時代で言う「ラッヴ(Love)」の話だと思った。
  再読では、青年から大人への過程で感じる苦味や哀しみが
  美しく描かれていると感じた。
  (特に前半部のモティーフと最後半部のモティーフを重ね、意味を違えることで)
  悲劇であり、人間のどうしようもない不可解なこころの動きを
  ユーモアたっぷりに書いた小説と思い。
  さらに、
  ・結婚するか、しないか?
  ・異なる男の事情、女の事情
  ・ノスタルジイとセクシャリティ
  ・夢の実現を取るか、愛を取るか。
  ・西欧化と日本
  明治時代、二股に引き裂かれる人間を描いたのだなと考え改める。
  (これがストレイ・シープか)

4、いろいろなエピソードが本筋に関わってくるのだろうなと思った。
  つまり構成を細部まで練ってから書かれた新聞小説なのだろう。

5、「森」「夢」「酔う」「影」「闇」「淋しい」「暗い場所」
  「著名な作家の引用」「キリスト教の言葉」「火事・夕日」など
   メタファーとしてつかわれていたように思う。
   特に「イプセン」「ハイドリオタフィリア」「光の圧力」など
   意味深に描かれる。

●イプセンの新たに提示した自立した一個の人間としての女性“ノラ”に
なぞらえられる美禰子は三部作の流れで読むなら、
確かに後年「家を捨て、夫を捨て」ますね。 (小説「それから」)

●春樹さんの短編小説「蜂蜜パイ」との関連⁈
恋に破れ、傷つき憔悴しきった三四郎の元に、
紫の袴を穿いた よし子が現れます(p327)
「蜂蜜パイ」では、ふった当人である「小夜子」が僕の前に現れます。
ドキドキするシーンでした。
「三四郎」では与次郎が よし子を呼び寄せると言う話の流れから、
実際によし子が、三四郎の元に来るのですが、
襖が開き→着物が見え→現れるまでやや間を持たせて書かれていたので、
「蜂蜜パイ」が脳裏によぎり、
「あっ!美禰子が来たんだ」と先読みして興奮していました。
それが よし子だったことにちょぴりがっかりしました。
あそこで美禰子が三四郎の枕元に現れていたら…
きっと面白いシーンが描かれただろうと春樹さんも考え
「蜂蜜パイ」でその焼き直しのようなシーンを
書かれたのではないかと私は妄想しています。
(妄想度90パーセント)

●p140美禰子の「此処は何処でしょう」というセリフが、 「ノルウエイの森」で
僕と直子が四谷で偶然出会い長い散歩をした時のセリフとかぶる。

●p65「三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎を安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池の端で会った女である。……」

三四郎の夢…列車で轢死した女は野々宮さんが美禰子を殺す(自殺的、人生を殺す的)暗示だったのではないか。

●p32「ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖の木立で、その後がはでな「赤」煉瓦のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの「夕日」に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。女の一人はまぼしいとみえて、団扇を額のところにかざしている。」

美禰子は初登場シーンから、
森の中から美禰子は、明るい光溢れる世界の方を見つめているようにみえるが、
見つめる先(未来) は「夕日」を浴びた、赤く燃える世界であり、
背後は断崖絶壁という厳しい状況に立っている、と読めないか。

p180「絶壁ね」「サッフォー(女流作家)でも飛び込みそうな所じゃありませんか」

●p261 三四郎が火事を見るシーンは美禰子との運命は
赤く燃える(不吉な)世界という暗示に思える。
(美禰子との関係に「もっと大きな風よふけ!」と思いながら眠り、それから見た光景)

●p33「椎の木」は調べたところ、 本州の西南部、四国、九州などの暖地帯に多い木であるらしい。(三四郎、熊本から上京した)特段これに意味がないとすれば、
美禰子の「そう、実はなってないのね」のセリフに大きな意味があるのではないか?
「結実してない」と。

「椎の木」に関して下記のような記述を見つけた。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/27/2/27_2_884/_pdf
↓以下部分抜粋
「頼むかげ」とか「頼む木かげ」とかは、古歌に使い古るされた言葉で既に象徴的な意味を担つている。「椎の木陰は炎熱や両露を防ぐ木陰だけでなく「幻の栖」において身の拠り所とすべき具体物である。」流転する現象のなかに、暫く頼むに足るべき揺 きな い不動の物 が「椎の木」に具象されている。それは庵の周囲の夏木立のなかに、ひときわ高くそびえ、庵の屋根 をおおうばかりに枝を茂ら せている。

※ちなみに「椎の木」は村上春樹の短編小説「緑色の獣」に登場する。

●P40 二章の終わり
「家へ帰るあいだ、大学の池の縁で会った女の、顔の色ばかり考えていた。――その色は薄く餅をこがしたような狐色であった。そうして肌理が非常に細かであった。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくってはだめだと断定した。」

この断定のフレーズが突拍子なく印象的だ。
・最後の「森の女」のカラフルさ
・初めて美禰子を見た時の「色彩の感じは悉く消える」感じ。(P34)

どれも美禰子を評した色の表現だが、
美禰子の捉えどころのなさを表現していて、意味深である。
※ちなみにオープニング部から「色」の話で始まる。

P5「女とは京都からの相乗りである。乗った時から三四郎の目についた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなるのでいつのまにか故郷を遠のくような哀れを感じていた。それでこの女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。この女の色はじっさい九州色であった。 三輪田のお光さんと同じ色である。」

●P.161美禰子は「乱暴の内訌 」
「内訌」とは? 辞書で調べると「内部の乱れ。内部の騒ぎ。うちわもめ。内紛。」
つまり「迷える羊」そのものだ。

●文中の「光」とは「Love」のメタファーではないか。(P241、P242)
※小説に姿を現さない「お光さん」、その名に「光」が入っている。

●文中の「左」は「危うき場所(方向)」を表しているように思う。

●「ノルウェイの森」と同じく、「淋しい」から人は間違える。交わってしまう。
「淋しい」とは「暗く、寒い場所」に身を置くことだ。

●三四郎にとって最後の絵のタイトルは「森の女」ではなく
「stray sheep」だったのではないか?▲

●この小説の中で「森」(p30)は世間とは違う、
時間が止まったような異世界を表している。野々宮の穴倉もここにある。
美禰子の社会から離れた(夢を追い求める)「あちら側」の世界。
ただし、圧倒的な孤独の寒き世界でもあるようだ。
その美しき時間を描き留めたのが「森の女」であろう。
(現実あらざるかのような美の瞬間)

●p156美禰子からの絵葉書
「羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っている。
男の顔が甚だ獰猛に出来ている。全く西洋の絵にある悪魔を模したもので、
念の為、傍にちゃんとデヴィルと仮名が振ってある。
表は三四郎の宛名の下に「迷える子」と小さく書いたばかりである。
三四郎は「迷える子」の何者かをすぐ悟った。」

文脈から素直に読むと「迷える子、ストレイ・シープ」とは
「惚れた者」が苦しみの道に迷い込むとを言っていないか。
・美禰子は野々宮さんへ片思い。
・三四郎は美禰子へ片思い。
この二人が「ストレイ・シープ」であると美禰子は絵葉書で描いてくる(p159)
するならばデヴィルは「(恋の)欲望」であろうか。
相手への慕情、欲望、欲求の前に迷える子羊になる2人の図か。
欲望(恋?)に関してはp20の広田先生の話など印象深い。
※深読みすれば「西欧化、個人主義化」への変化により引き裂かれる心。
デヴィルとは「西洋思想」の注入か。

●P307「ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」

「絵」=美禰子の絵を描いた葉書P159(デヴィルとストレイ・シープ)
「詩」は三四郎なのだろう。
してみると、広田先生が見た夢は「三四郎の未来」の暗示なのか?
大胆に言えば、三四郎の20年後が広田先生とほぼ同じということだろうか?

●P33「(団扇を持った女は)坂を降りて来る。三四郎はやっぱり見ていた。
坂の下に石橋がある。渡らなければまっすぐに理科大学の方へ出る。渡れば水ぎわを伝ってこっちへ来る。二人は石橋を渡った。」

美禰子の選択 野々宮(理科大学)ではなく三四郎を選ぶ暗示の二股の道か。
だがその後「野々宮君が石橋の向こうに長く立っている」(p35)
ぐねぐねとして、わからないようになっている。

●愛を選ぶか(結婚)or夢の実現を選ぶか(仕事)
男にとって人生の大きな岐路、選択を迫られる瞬間だ。
こういうテーマになると、私は「グレート・ギャッツビー」と
漫画「ハチワンダイバー」を思い出してしまう。
★女性は当時、結婚しなければ生きていけなかった。
 今より切実だったのだと教えられる。

●p34「その時色彩の感じはことごとく消えて、なんともいえぬ或る物に出会った。そのある物は汽車の女に「あなたは度胸のないかたですね」と言われた時の感じとどこか似通っている。」

Q「なんともいえぬ或る物」とは何だろう?
これは「欲望(デヴィル)」なのではないか?
もっと言えば「セクシュアルな魅力」のような気がするのだが、どうだろう…
矛盾を感じたのだ。危険だけれど魅惑的なもの
stray sheep 幸せにはなれない予感、でもそちらの方向に行きたくなってしまう気持ち。
子どもの頃から実現したかった夢と恋愛への二股の道
愛欲、セクシャルなものを含んだ大人の世界。(勤勉を妨げるんだな、これが)

●p32「活動の激しい東京を見たためだろうか。あるいは――三四郎はこの時赤くなった。汽車で乗り合わした女の事を思い出したからである。――現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界はあぶなくて近寄れない気がする。三四郎は早く下宿に帰って母に手紙を書いてやろうと思った。」

幼き里心、ノスタルジイと大人へのセクシャルなものの狭間にいる三四郎ではないか?

Q「なんともいえぬ或る物」を三四郎(男)に出した女側から視点で見るとどうか?

「愛とか恋」では(まだ)ないけれど…、
この男なら「まぁいいか」という基準はクリアしていて
艶をだして相手に目でサインを送った「ノック」をした状況とは考えられないか?
女からの「物色」ということだ。

●p119「Pity's akin to love 可哀想だとは惚れたと云う事よ」
→超訳すると「片思いは苦しいもの(迷い道に入ること)」
p20広田先生が語る「好きなもの」論からも推測できる。

●p307、p310 広田先生が森の女に会うのは、森文部大臣の葬列の中。
広田先生のお母さんは憲法発布の翌年に死んだ。これをどう解釈するか?
森有礼は欧化政策の象徴だろうと思っていたが「良妻賢母教育」も代表的なものであった。 つまり良妻賢母という価値観の終焉を表したものだったのではないか。

●p306 夢の中で「森」の中を歩く広田先生、そこで女(一二、三歳の女)に会う。
これは「森の女」だ。広田先生のファム・ファタールだ。
三四郎にとってのファム・ファタール=「森の女」は美禰子であろう
三四郎も二十年後くらいに夢の中で「森の女」に出会うのでかもしれない。
(広田先生が目覚めたら、三四郎が来ていたから
 あるいは、この広田先生の夢自体が、三四郎の未来の暗示なのかもしれない…▲)

●p34 名も知らぬ美禰子と三四郎の最初の出会いのシーンで、美禰子は
「今までかいでいた「白い花」を三四郎の前へ落として行った。」(花の匂いなし)

p333 三四郎に「結婚が決まったんですね」と告げられ、
ヘリオトロープの香水の匂いがする「白いハンカチ」を教会の前で
袂に落とす別れのシーンと重なる。(ハンカチ匂いあり←三四郎の選んだ香水)

●p35「野々宮君はしばらく池の水をながめていたが、右の手をポケットへ入れて何か捜しだした。ポケットから半分封筒がはみ出している。その上に書いてある字が女の手跡らしい。」

ラストページの 引き千切った「結婚披露の招待状」と重なる。(P336)

●p331「雲が羊の形をしている」という美禰子と三四郎の別れの場面の描写は
私が当初思っていたより大きな意図があったのではないか。
(三四郎の心を表しているのではないか)
それは、小説前半部の「雲」の描写からそれは読み解ける。
(だから春樹さんは「空の描写が多いところがこの小説の特徴」と
 発言したのかもしれない)

p37p107野々宮さんの「雲とは」説から推測すれば
「雲が羊の形をしている」と見える三四郎の心は
→「微小の」雪のように冷たく、「颶風より」激しく吹き荒れている。
p241「微小であること」は重力よりも「光」の圧力に吹き飛ばされ
「びょうびょうと冷たき風が吹く、暗き寒き場所へ」向かっているということだろう。
p243広田先生の言葉やイプセンの例えなどを「雲が羊の形をしている」の一言で
p331の「三四郎と美禰子の別れ場面」「美禰子の選択」の妙に結実させたのだろう。

●冒頭の三四郎に「度胸のない方ですね」と言った戦争未亡人の女の話
●p324 与次郎の関係した女の話

同じフレームを持ちながら、反対の行動をした二人。
三四郎は「度胸のない」と言われ、与二郎は「嘘をついて逃げる」。
それに続いて「よし子の行く所と、美禰子の行く所が、同じ人らしい。」と続く。
与二郎曰く「それぞれ事情のある事なのさ。」(p325)

●p309 広田先生は「ハムレットは結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」という。
その後、P.318でハムレットの劇を見る。
このハムレットはどのような意味で使われたのだろうか。

●「ハムレット」は三四郎だった?
いや、おそらく美禰子こそが「ハムレット」だったのではないか?(p319)
変幻する心の掴めない人物、美禰子はハムレットと重なる。
互いに「悲劇」であることは変わらないが…

p319「しかし三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。
 したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。
 ハムレットがオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなものに結婚ができるか。」

●p34「矛盾」とは自ら命の危うい場所(美禰子)へ進みゆく三四郎の予感であった。
(「深読み読書会 夏目漱石“三四郎”〜108年目のプロポーズ〜」での小倉千加子説)

だから「ハムレット」がでてくるのだろう。
つまり「悲劇」へ突き進む登場人物を重ねたということだ。

●春樹さんと同じく漱石も、当時としてはフェミニズムだったのではないか。
自由に生きんとする女性に肯定的な眼差しを感じる。

●色の「赤」と数字の「四」に特別な意味を付与している。

Q、美禰子と三四郎の別れは「教会」の前。そこが印象的だ。
神前での会話と別れなのだ。意味は大いにあろう。それは何か?

Q、p88「天長節」…天皇誕生日 11月3日 国民の祝日
天皇誕生日は、慣例により日本の国家の日とされる。
昭和23年(1948年)までは、天長節(てんちょうせつ)と呼ばれていた。
p99「天長節」 に引越しの広田先生。
そこに引越しの手伝いをしに来た美禰子と三四郎。
「天長節」の日に正式に名乗りあい、会話をする。ここにどのような意味があるのか?

●p145、p146「知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものとみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪の色がある。」

Q、事前トピで、純さんの疑問提案記されていたが、「この男」はなんだったのか?
この辺りも皆で話し合ってみたかった。(デヴィルか?はたまた死んだ美禰子の兄か?)
併せて、
●p149「美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、
道があるなら、あの唐辛子のそばを通って行きたいという。」
Q、この言葉に秘められた美禰子の真意も語りあいたかった。

●p135と136の「乞食」と「七歳の迷子の女の子」は
p145の三四郎と美禰子の隠喩なのだろう。
ここで広田先生、野々宮さんと よし子が銘々解釈を披露する。

Q、なぜ「三四郎」という名前がつけられたのか?
一郎、二郎、三郎、四郎、五郎とかでなく。
「4」は特別な数字。
3+4=7だとすれば…「七歳の迷子の女の子」と「八百屋お七」に7が現れる。

余談に思えるでしょうが、春樹さんの小説「ノルウェイの森」では、オープニングに
「ボーイング747」に乗っている僕から物語がスタートする。
(関係あるような、ないような…「7」に「4」が挟まれてます。)

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

★深読み読書会「夏目漱石“三四郎”〜108年目のプロポーズ〜」を観て★

満足!とまでは言えないが、新説が聴けたり「婚活」「明治女性の不遇」などの
女性目線の意見が強く推された形の構成だったように思う。
(ところで漱石評論で有名な小森陽一さんは、なぜ出演しなかったのだろう?)

●明治政府のイギリス(アメリカ)を怖がった故の
運動会時の「日本とイギリス」の国旗が飾られてた理由がわかった。
白船事件と呼ばれたらしい。(猪瀬直樹説)

●産業革命時代に突入したイギリスは新しい仕事の勤務形態から
家族の時間が少なくなっていったようだ。 それによる副作用で、

テムズ川から投身自殺する女性が多くでたらしい。(小倉千加子説)
全く知らなかった 驚く。

●「森の女」のポートレートは
美代子の青春時代への鎮魂歌(レクイエム)なのだろう。(島田雅彦説)

●よし子も3〜4年後には美禰子と同じようになるのではないか?
同じ轍を踏む(島田雅彦説)

●漱石は美禰子に対し優しい視線を投げている(小倉千加子説)

●「矛盾」とは自ら命の危うい場所へ赴く三四郎の予感であった。(小倉千加子説)

●青春小説、上京小説、風俗小説。
漱石は、登場人物を実在の人物を想像できるようにうまく読者の好奇心を掴んでいた。
平塚雷鳥の恋 自殺未遂、寺田寅彦、漱石の一番弟子が三四郎など。(猪瀬直樹説)

●近代小説は無個性な主人公が案内役となり話を牽引していく(島田雅彦説)
三四郎の個性は他の登場人物に比べ弱いのは致し方ない。

●三四郎では主人公が「受動的」である。(p350柄谷行人説)
春樹の主人公と似た「巻き込まれ系」。
p351より柄谷行人さんの解説より抜粋↓
「登場人物たちが本来かかえているかもしれない鬱屈や苦悩を、
 距離をおいて自然の景物のように眺める「非人情」の文体によっている。」

春樹さんも、同様に距離をとっている。
春樹さんも漱石先生も「辛いこと」を私小説のように書かない。おそらく意識的に。
ここに人気の一端があるように思う。

これにて長々と書いてしまった日記を終わりにしたいと思います。
読んでくださった方、ありがとうございました。
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