mixiユーザー(id:47361257)

2016年12月16日18:47

276 view

不快感について考える

さっぽろ雪まつり、来年度の「魚氷」展示中止を検討 1953年から続く名物展示にTwitterでは「悲しい」の声
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4344997

不快感について考えてみたい。

さっぽろ雪まつりはどうあれ、スペースワールドの件については、個人的には不快感を禁じえなかった。
この不快感の差が、同じ展示であっても、さっぽろ雪まつりとスペースワールドの差なんだろうと思う。

一体、その不快感をどこから来ているのか。

それは生き物に対する敬意だと思う。

敬意というと大層に聞こえるかも知れない。
言ってみれば、生き物の命の価値を認めた上で、その価値を貶める行為をしないようにすることが、生き物に対する敬意だと僕は思う。

さっぽろ雪まつりには、同じ氷漬けでも、最低限の生き物に対する敬意がある。
そう僕は思う。
何故なら、さっぽろ雪まつりの氷柱には、他の展示物も含めて、作品として愛でようとする気持ちが、製作者にも鑑賞者にもあるということだ。
その愛でる気持ちこそが、魚氷の中の魚の命の価値を認めているということ。
だから、決して雪まつりの間じゅう、展示された作品を傷つけたり、粗末に扱ったりしないハズ。

その愛でる気持ちが伝わるから、これまでもさっぽろ雪まつりの魚氷には、批難する人が少なかったのだろう。

一方、スペースワールドの氷漬けのリンクはどうだろう。
炎上のきっかけとなった、フェイスブックの投稿といい、そこに生き物に対する敬意は感じられただろうか。
氷漬け途中の写真を上げて、「苦しい・・・」とふざけてみたり、そのふざけも、生きている魚を玩具にして遊ぶかのような表現。
そこには、その魚の命の価値を貶めていると感じる人が多かったのでは。

また、氷漬けにした魚の上をリンクにして、スケート靴で踏みつける。
主旨はどうあれ、その行為じたいに生き物に対する冒涜や不快感を感じる人が多かったのだろうと僕は思うのだ。

これには色んな意見があるだろう。
同じ氷漬けなんだから、どっちも大差はないし、スペースワールドを批難しといて、さっぽろ雪まつりは問題ないというのはオカシイという人もいるだろう。
勿論、不快感という意味では、さっぽろ雪まつりの魚氷にも生き物に対する敬意がないという人もいると思う。

だから、別に僕はどちらの展示も止めろという積りはないし、不謹慎だから謝罪しろと、謝罪を強要する積りもない。
そもそも不快に思うなら行かなければ良いのだから。

ただ、少なからずの人が感じた、スペースワールドの氷漬けリンクへの不快感。
その不快感というのを感じるコトって、僕は大事なんじゃないかなぁと思うのだ。

これを、単なる娯楽なんだから、すでに死んでる魚で捨てるモノなんだからどう扱おうが勝手だとか、クレーマーくらいにしか感じない人には僕はなりたくはない。
これは感性の問題だ。
そう感じるからって悪い訳じゃない。

ただ、こうした感性を持って生き物の命の価値を考えられるようになりたいと思うだけだ。

7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する